よかもんママさんの最新Blog

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2009年05月19日 02:07
ご挨拶。
 ( よかもんママさんのプロフィール)

このブログを書いて数日が経ちます。


実はこのページは試作だったのです。。。


でやっと以下URLに引っ越します。



http://ameblo.jp/tubasa-tears/



全ての記事は新しい場所にも置いてありますので


新天地にてまたお会いしましょう。

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2009年05月18日 14:21
はじめての外泊の理由
 ( よかもんママさんのプロフィール)

入院した当初わたしは精神科では最年少だった。



若かったからと言えばそれまでだが



今からおよそ20年前の精神科とは今の精神科と違っていた。



今は精神科もメンタルヘルスも患者層は低年齢化しているが



当時は中高年の人が多く若い人などほとんど居なかった。





鍵のかかった病棟。鉄格子のついた窓。ライターは持ってはいけず



刃物も薬も禁止。



入院の説明の時わざわざアルコールはいけませんとは言われなかったが



そこは前回のことで流石のわたしも学習していた。

入院をしてまず煙草を一服。

新顔のわたしに患者さん達は色々な態度をとっていた。

「たばこ一本チョーダイ!!」

「ねえねえお菓子持ってる?」

「ジュースおごってw」

とにかくうるさい。。。

わたしはこの先じうなることかと少々思い悩みながら

かれ等を無視して一人たばこを吸っていた。

でもうるさい奴はうるさくて最後には無視をするのも困難な状況に。

わたしも環境が変わってイライラしているので

その時はひとの事まで気が周らない状況だった。

一週間くらい病棟内で過ごすと

一日に数時間は外の空気を吸えるようになった。

精神科の病棟には閉鎖病棟と開放病棟に別れていた。

閉鎖病棟ではそれぞれマークが付けられ

ある程度の患者さんは一日に数時間、院外へも散歩に出られた。

看護士さん付き添いでとか色々マークはあったが

わたしは一週間もすると院外にも出られるマークをもらっていた。

ここまで来ると家よりすごしやすくなっていた。

三食昼寝つき。親はいないし発作はその頃昼間はなく比較的少なかった。

一週間が過ぎ、一ヶ月が過ぎ、三ヶ月が過ぎ、半年が過ぎ

そして院内で誕生日を迎えクリスマスを迎えそして正月も迎えた。

週末に父が面会に来て時々ドライブに行ったが

母が来た記憶はあまりない。

そんな中いきなり母が来て開口一番

「黒い服を着なさい」

と一言。

「今日はおじいちゃんのお葬式だから。」

わたしは詳しくを聞かないまま入院して以来初の外泊の用意をした。

外泊は少しうれしいような気もしたがお葬式だ。

素直に喜べない。

靴屋で黒い靴を買い自宅で喪服に着替え葬儀場へ。

親戚のひとがもうすでに集まっていた。

わたしが入院していることってどこまでのひとが知っているんだろう。

そんな事を考えている間に葬儀は終わり火葬場へ行く時には

雪がちらついていた。

葬儀も無事終わり自宅に帰ったがわたしは自室では過ごさなかった。

おじいちゃんが急に亡くなり

おばあちゃんが夜眠れなくなってしまっていたのだ。

わたしはおばあちゃんのベットの横のソファーで寝た。

外泊している一週間のあいだずっと。

そして病院に帰るころ父に言った。

「病院では眠れない人に入眠剤を渡すよ...」

父はその後おばあちゃんを内科に連れて行って

《ハルシオン》を処方してもらったと言っていた。

こうしてわたしのおよそ10ヶ月ぶりの外泊は終わり

また病院へと戻っていった。

そしておよそ一年が経つころいったん退院の話がでてきて

退院が決定した。

季節は春。

桜の花が新しい春を祝い終わり新緑の季節が目の前だった。

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2009年05月17日 13:31
滑稽な親の姿
 ( よかもんママさんのプロフィール)

多量服薬を知った両親は今まで通っていた小児科の先生を訪ねた。


「そんなこんなで強制退院させられたのですが


他に病院はないでしょうか」


と病院を紹介してくれと訪ねたのだ。


わたしはと言うとその滑稽な両親の姿を傍で見ていた。


〔自分達が手に負えなくなったから病院に預けるつもりなんだ〕


と思った。


家に帰って来ない。暴力的。働かない。薬は一気に飲んでしまう。


てんかんの発作があるから常備薬がいる。



病気がなければどこかの施設にでも入れられたのだろうが


てんかんという病気を持っているので病院に入れたかったのだろう。


結果精神科を紹介してもらいそこを受診。


初診を終え翌日に入院の準備を整え入院。


その日から2度目の入院生活が始まった。




2度目の入院生活についてはまた次回。。。




よかったらペタしてください







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2009年05月17日 12:55
精神科デビューと多量服薬
 ( よかもんママさんのプロフィール)

精神科を紹介したのは当時通っていた小児科の先生。


家庭内不和だといったん距離を置いた方が良いでしょうらしき事を


両親は言われそれを素直に実行した。



と言っても当時父は単身赴任で家にはいなかったので


母の手に負えないと言う母の意見だけが尊重されたのだろう。



いきなり入院となった。



5月のある日入院し数日を過ごした。


が、わたしは病室に慣れられず自分を傷つけていた。


でも看護士さん達は気がつかない。


数日で二人部屋に移された。


相手は中年のおばちゃん。


話しなどなくただ湿った空気だけが漂う空間に


わたしは身を置いていた。



「どうかなる。。。」



とわたしは思った。


無言でただ食事を待ち、ふらふらと廊下を歩いて病棟内を歩き


食事をして薬を飲み夜がきて。。。



「どうかなる。。。」


"どうにかなるさ"ではなく"おかしくなる"という方のどうにかなりそうだった。


気が狂うの方。。。



わたしは高校時代からの友達に連絡をして病院に来てもらった。


売店に行くとか何とか言って友達と病院の外へ出た。


友達は車て゜来ていた。


そのままドライブへ。。。で、飲酒。


久々のビールを飲みこのまま夜を迎えたくなかったので


夜になったら空けるつもりでビールを持って帰った。



正直それが悪い事とは全ったくちっとも全然思わず


ただ夜暇だから飲んで寝ようという理由からだけだった。



でもそんな理由が通らないのが世間一般の常識。


病棟に入りビールが見つかり院外に出たのがバレ強制退院。



わたしは鉄格子の病棟から退院した。



一週間分の眠剤のお土産つきで。。。



退院して翌日か翌々日。


家にいるわたしはとにかく家にいたくなかった。


母は強制退院させられたわたしを危険な物体を見るような目で見ていた。



わたしは出物か腫れ物のように扱われた。



〔この状況から何としてでも抜け出したい〕


と思うわたしの視野に先日もらったお土産が入った。



『何も考えたくないし何も感じたくない。。。これを飲んだら寝れる!?』



わたしは迷わず一週間分のお土産を飲み込んだ。


わたしのはじめての多量服薬。



が、その事が次の入院に繋げることとなった。






また次回に続きます。




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2009年05月17日 00:01
わたしとてんかん その②
 ( よかもんママさんのプロフィール)

短大を半期留年して卒業したわたしは家に寄り付かなかった。


当時は週に一日しか働いていない事もあり家でごろごろしているか


遊びに出かける毎日だった。



働きたいとは思うのだが何分発作が起こるので十分に働けない。



日曜日にだけ短大の頃からしていたガソリンスタンドのバイトを


続けていた。


が、短大に入り頻発におこりだした『発作』が邪魔をしだしていた。



車にガソリンを入れたりしている時こそ『発作』はおこらなかったが


時々『発作』の前兆を感じては車の陰に隠れて『発作』をやり過ごしていた。



当時わたしはまともな人間関係を築いていなかった。


何を基準にまともと言うのかは定かではないが


当時のわたしの周囲は普通の人より少し荒れたひとが多かった。



世の言う不良とか素行の悪いひととでも言うのだろうか。。。



でもわたしにはそこが心地よかった。



何せ彼らはわたしが『発作』をおこしても顔色ひとつ変えずに


心配してくれた。



夜中のコンビニの買い物中に『発作』をおこしても


誰かが肩を貸してくれてわたしの『発作』を一緒にやり過ごしてくれた。



わたしにはそれが何にもかえがたいものだった。



『発作』をおこしても気にしなくて良いはじめての空間だったから


わたしは自然体でいられとても居心地が良かったのだ。


そう。家よりもはるかに。


今までで一番。。。



でも母は黙っていなかった。


「あんな人と関わるんじゃありません!!」


「うちの子を連れまわさないで頂戴!!」




母はわたしの気持ちに気がついていなかった。


家で発作を起こせばいらぬ気を使われリラックスもできていない事に。。。



わたしは母と家が大嫌いになった。



わたしの友達を否定した母。


わたしの心やすらぐ空間を取り上げた母。



それは子供を思っての母親の態度だったかもしれないと


今でこそ少し思えるが、


当時のわたしにはそんな事を思うことは無かった。



家庭内不和が深刻化し両親はわたしを一時入院させる事にした。


てんかんの発作も持っているので入院先は精神科となった。



これがわたしの精神科デビューとなった。


短大を半期留年して半年過ぎた春の出来事だった。




まだまだ続きます。



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2009年05月16日 13:54
わたしとてんかん
 ( よかもんママさんのプロフィール)

わたしと病気というのは切っても切れない仲らしい。


産まれてもの心ついた頃には通院をしていた。


日常生活をしていて突然発作に襲われる日々。


何だか平衡感覚が無くなり吸い込まれるような感覚と共に


けいれんを伴っていた。


けいれんが治まると気分が悪いこともなくけろっとして


いつもの生活に戻る。


そんな生活が続いていたが『発作』が起きるのはイヤだった。


この病気は『てんかん』と言う病気だった。


てか、その病名に辿り着くまでに十数年の時が流れていて


病名がはっきりした時にはもう中学生になっていました。



『てんかん』の発作がありわたしの生活は


少し普通の人と違う生活だった。


朝も昼も夜もクスリ。


朝のクスリを忘れようものなら


背後から母が鬼の形相をして追いかけてきていた。



通院や検査の為に学校をしばしば早退したり遅刻したり。


その度に少しづつ授業からは後れたり。


周囲のおとなは勉強のことを気にしていたが


わたし的に一番イヤだったのは友達との話が合わなくなることだった。



小学校高学年にもなると『発作』は珍しく奇妙なものになっていた。


小学校では『発作』を原因にいじめられる日が少なくはなかった。


中学生も同じだった。



が、幸い高校進学の時に家の引越しで校区が変わりいじめはなくなった。


またそれと同時になぜか『発作』も止まっていた。



服薬をしている事以外は普通の子と変わらない生活を


はじめて送っていて結構ご機嫌な高校生活を送っていた。



が、高校3年生の終盤、『発作』がまたおこりだした。


わたしは『発作』の事を当時仲の良かった友達数人にだけ話し、


後はできるだけ隠し続けた。


《話せば多分今の高校生活をすてなければいけない》


と思ったからだ。



高校3年生の当時、部活にあけくれていた。


高校演劇をしていて自分を表現する事に没頭していた。


その傍ら部活の打ち上げなどと言っては


友達の家で飲酒もしはじめまたタバコも吸い始めていた。



わたし的にはそれで良かった。


が、正しい知識を持つ今ではその当時の飲酒、喫煙が


『発作』を誘発したのだろうとも思っている。


が、後悔は全くない現在のわたしだ。



こうして『発作』がまたおこりだした中


短大に進学する事となった。


わたしは短大なんて行きたくなかった。



が、両親は「大学くらい行っておきなさい」と口うるさく言われていた。



就職をして家を出たかったけれど


てんかんと言う病気を持つ18才のわたしはとても無力だった。



近くの短大に行った。


往復の電車の中では幾度と無く発作を起こして


周囲の人から救急車を呼ばれそうになった。



18、19、20の多感な時期だった。



電車に乗るのがイヤになり


短大の2年後半はほとんど学校に行かず


彼氏の家で過ごしたり誰もいない家に転がって過ごしていた。



そんな日々がたたり半期留年。



卒業するつもりで受けていた就職の内定は


「引越しをする事になったのでお断りします」と断った。


でも卒業できていても内定が決まってから


「普通免許を取りにいって下さい」と言われていて


『発作』で免許のとる事のできないわたしは


どうせ断らなければならなかった。


(今は道交法が改正され発作のパターンにわってはとる事ができます)



半期留年中は一週間に一時間だけ短大へ。



この頃わが家では家庭内不和が深刻に。


わたしの精神状態もどんどん悪くなり家に寄り付かなくなった。



まだ母はクスリを持って鬼の形相を続けていた。


わたしはそれが大嫌いだった。



そんなこんな中どうにか短大を卒業したわたしだった。








この続きはまた。。。





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2009年05月15日 23:13
はじめに
 ( よかもんママさんのプロフィール)

はじめまして。


よかもんママと言います。


わたしは二児(ふたご)の母です。


子供は今1才5ヵ月で女の子のハナちゃんと男の子のタロちゃん。


(ここではそう呼ぶことにしました)


ハナちゃんは1936㌘にて出産。


タロちゃんは2016㌘にて出産。


妊娠34週以後であれば、たとえ早産で生まれても、


ほぼ成熟児と変わらずに育つことができるようになると言う


ギリギリの期間お腹にいました。




わたしの紹介はプロフィールに概略を書いてあるので


そちらを見ていただければと思います。



ではあまり詳しく書いてしまうとこれから書く事が無くなりそうなので


この位で。。。




このブログは今までのわたしの経験や今の出来事、思想、etcを


綴っていく予定です。




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