天国で、娘さん、お父さん、おかあさん、弟さん、そしてネコのキティちゃんに会えたかな?
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皆様、いかがお過ごしですか?
立秋が過ぎたら、秋田はさすが秋田で、涼しい風が吹いてます。
朝夕は本当に涼しい。
夏が40度もあって、それが3ヶ月も続く、メンフィスに15年いたので、この夏の切り上げの良さにはびっくりです。
さて、今日は少し長いかも。
去年の帰国から一年、入院、手術、術後のことを書き留めておきたいと思います。いろんなコトがあったなぁ。
ダイジェスト
1. 膝の骨折
2. 帰国後、千葉で入院
3. 秋田へ転院
4. 後方拡大術、脛骨の手術です。
5. リハビリ?
6. 退院騒動
7. 身障者訓練センターへの入所
8. 自立。アパートで一人暮らし
興味のない方はサラッとパスしていただいて結構です。
1. 膝の骨折とは知らず
去年の8月、帰国1週間前くらいから右ひざが痛くなり、激痛のため病院に行ったところ、原因がわからず、一応抗生物質。しかし良くならず、そのまま12日日本へ。13日に成田着。友人のところでのんびりするつもりが、膝がもうもたなくて、力尽きて転んでしまう感じ。そのまま15日千葉の病院に救急車で搬送、入院。
しかしそこでも、原因がわからず。とは言ってないけど、膝が骨折して転んだと診断。秋田での保険の申し込みやらでそれができるまで3週間入院。
2. 秋田へ転院
保険ができたのが3週間後。即退院。秋田へ。しかしその1週間前から、意識がモウロウとして体に力が入らない感じ。
偶然、忙しいはずの友人がその退院の日、お休みで東京駅まで送ってもらえる。
秋田へは土曜日の夜到着。入院は次の週の木曜の朝。
歩く自信がないので、さっそく簡易トイレを買う。トイレに立つ以外はベッドを離れず。
入院当日、とうとう立てなくなる。入院と思うと、ほっとする。家族に迷惑かけたくない。家族は仕事で入院の私に付き添えない。
また偶然。友人が入院に付き合ってくれる。
助かったぁ~
4. 後方拡大術、脛骨の手術です。
膝の骨折のため倒れたかと思われたが、検査の結果、頚椎の神経3、4が圧迫されてた、とのこと。これもリウマチのせい。
入院当日から、ご飯も食べれなくなる。手も足もどこも動かすのに必死だが、動かない。手術までの2週間で、息をするのも必死。座ってるのもやっと。
医師の見解、手術は生きるため。良くても車椅子生活。まぁ、早い話、寝たきり。
ちょっと泣いた。泣かない人いないよね。
5. 術後とリハビリ?
手術自体は成功。私は首が痛くて必死。しかし座っているのもリハビリと言われ必死に座っていようとしたが、痛いというより、苦しかった。
寝たきりと言われたが、無知なため、信じていないというか、耳に入っただけ。術後、1週間は必死。とにかく痛い。動けない。ナースコールのボタンが押せないので、テープで指に固定してもらってた。1ヶ月くらいまで、ご飯も食べさせてもらってたし、とにかく全部介助。
市役所の人が来て、介護保険の調査でも、介護5,と即決定。
治る見込みが無いという、医師の見解の下と思う。
しかし、指先や足の感覚がすこしずつ戻ってくる。手術前は、針を刺されてもわからなかった手や足。息も浅くしかできず、声も出なかったのが、少しずつできるように。
1ヶ月後には、自分でご飯を、こぼしながらもできるまでに回復。
しかし足のリハビリまで、2ヶ月以上もあったので、つまり立ってないということ。足が弱ってる。しかも膝は骨折のまま。力が全然入らない。ショック
担当医に、歩く練習をさせてと言うが、
「よくなっても車椅子生活。膝も骨折してるし、歩けるわけがない」
「いえ、大丈夫。感覚戻ってるから、歩かせて」
の、押し問答。
リハビリの許可降りず。エレベータも。
嫌われてるかも…
診断の、「車椅子生活」ができるようになったので、またそろそろ3ヶ月になるので、退院を、と言われる。
すごい疑問だった。
何故って、どこかの施設に行って欲しいので、老人介護施設を紹介される。
しかも認知症の人が殆どという。
「障害者の人が行くところでリハビリをしたい」
病院は、弟宅への退院許可を下ろさなかった。そういうところへ行って転ばれ、怪我をしたら責任を問われるから。しかし、一旦、今行ってる身体障害者更生訓練センターへ行くことが決まると、即退院。しかも弟のところへ一時行くことに問題はなかった。
6. 退院騒動
もう一つ問題があった。11月下旬に退院の文字が出たとき、私はアパート探しを始めた。
その一つが公共住宅。(言い方間違ってたらごめんなさい)
ちょうど、12月に抽選のある住宅が、弟宅から歩いて5分のところ。
老いた母が来るには近いので都合がいい。
「当たらないよ」
の言葉はいっぱい聞いたが、当たらなくても、やるべき事をしないで後悔はしたくない。書類集めは大変だった。弟にも頼んだ。仕事を休んでいってくれた。私が行かないと埒があかないこともあって、友人に無理を承知で頼んだ。結局、応募したのは、締切りの15分前。初雪がきれいだった。
ところが、私はその抽選に当たった。信じられなかった。
これは入るためと思えた。
みんな、ありがとう。
7. 身障者訓練センターへの入所
公共住宅は1月入居予定。
ところが、障害者がひとりで入るということで、今度は住宅側が難色を示した。いろいろ悔しい思いもしたが、これは今は省略。
結局、いろんな条件を出され、OKが出たのは2月。
入居は3月11日。
訓練センターの人たちがみんなで協力してくれ、いろんな書類を集めたり、引越しの準備やら、まるで自分のことのように、親身になって手伝ってくれた。心にしみた。ありがとう。
8. 自立。アパートで一人暮らし
日本に来る前は、家の中は一人で歩けてた。
右ひざの骨折はそのまま。医師は感染症が怖いのでという。
私はそれでいいと思う。痛みは全くと言っていいほどない。
そのかわり、左膝が少し音を上げている。シカタナイネ
今は、歩行器のお世話になってる。でも、一人で自由に暮らせるのは素晴らしい。一人では出来なかったこと。
外は、電動車椅子のお世話になっている。
家のことは、ヘルパーさんが来てくれる。
人の助けなしでは生きて行けていない。
母も、腰が痛かったりなんやらだが、頑張ってきてくれるのがうれしい。
本当にありがたい。
まだ考えなければいけない、人生の課題もあるけど、リハビリや毎日のこと、いろいろだけど、生きて行けることに感謝せずにはいられない。
そして、下手ながら、マイペースで絵を描けることが私は幸せ。
そして、そして、私は周りの人たちに愛を感じないわけには行かない。
本当にありがとう。
読んでくれた方、ありがとう。
これが、他のリウマチで苦しんでいる方への情報となればありがたいです。
堅い話の後は、こんな絵をどうぞ。