難病を克服するうえで
”間違いやすい行動と意識”
”本当の意味で必要なこと”
”不安に負けないための行動”
を分かりやすくまとめてみました。
↓ ↓
https://kokufuku.jp/2023/02/20/blog100/
ご参考ください。
ブログで全文を読むこの先、どうなるのか?
不安しかない。
頑張って頑張って頑張って
頑張って来たのに
恐怖と不安しか
残らない。感じない。
私の思い描いた未来は、
なんやったんやろ?
今までは、
なんとかなると思って
頑張って来たけど
もう…無理だ。
不安で心が折れてしまって
涙がとまらない。
こんにちは
にこ占会の三つ目ちゃん、音風翠香です
今日は普通のブログです
毎日寒いですね�
毎朝5時に猫が「寒いにゃー!」と
私を起こしにきます
早いので二度寝しますが笑
決めた!!ヘアカット&カラーします!!
早速、美容院を予約しました�
卒業式が近いので予約が多くて
月末にねじり込んでもらいました
若々しくなりたいなー�
今年の冬はかなり冷え込む日が多くて
ギックリ背中とお友達�
例年より寒さが身に染みる�
ばーちゃんはヘルニアと坐骨神経痛で
思うように動けなくなり
私の家事の負担が増えました
本来、このくらいのバランスがいいのかも??
甘え過ぎていたなーと実感しています
今月からLINEミュージックのサブスクを
始めましたー!!初月無料です!!
推してる3組のアーティストを応援するために
毎日聴いています�
いつかライブに行きたいなー!!
生歌で聴きたい♡
会って話したい♡
いつも東京でライブなんだよー泣
金銭的にも体力的にも行けないー泣
でもこれからも応援するぞー!!
otokumoさん
フウセンカヅラ遼さん
UNIさん
頑張れー��✨
ツイキャスでそれぞれミニライブが聴けちゃうよ♡
もちろんLINEミュージックでも聴けます♡
検索してみてね�
最後まで読んでくれてありがとう
ではまたね
私は
何の為に
生かされてるんだろうか?
誰の為に
生かされてるんだろか?
生かされてる事に
理由は、あるんだろうか?
苦しむ為に
生かされてるなら
乗り越える為になら
もう、生かさないで欲しい
消してくれれば良い
生きていくのが…
しんどくなって来た
もう、
悩み、苦しみ、辛い思いするなら
私を生かさないで
開放して欲しい
神さま、もう…
私を助けてくれなくていいよ
最後は、
『今までありがとう』と
伝えて、終わりたい。
数日前に報道されてた精神科病院での虐待のニュース。
https://abema.app/6cSw
自分には一生無関係、そういう病気にならない自信がある人たちからすれば他人事で言いたい放題…
家で面倒見れなくて家にいられると困るし、近所にその状況見られたくなくて家族がずっと退院させたくないくらい頭がおかしくなってるんだから身体拘束されて当然だとかそういう人が沢山いるんだか仕方ないとかと…
確かにそうだけど行って見てきてから言って欲しい…
メンタルクリニックじゃなくて精神科病院に。
私が今、てんかんってよりも高次脳機能障害のことで通院してるのはメンタルクリニックじゃなく精神科病院。
だから、診察終わってシャトルバス待ってる時に、売店に入院してる患者さんが買い物してるのをよく見かける。
その人たちを見た時、今回のことで知りもしないのに言いたい放題言ってる人達はどう思うんだろう。
たぶん、見てるだけで頭がおかしくなるってだろう。
その言葉を親や母方の親戚、近所で学生時代から散々聞いてきてるけど。
いつ誰でも精神科行きになる可能性ある。
認知症で子供に精神科に入れられる可能性だってある。
だけど、自分は絶対そんなところ行かない自信があるからと、言いたい放題。
精神科病院すべてが今回のニュースになった病院ではない。
周りに危害加えるくらい被害妄想、幻覚おきてれば身体拘束になるけど、入院になった人すべてが酷い身体拘束になるわけではない。
一生閉鎖病棟から出れないわけじゃない。
難しい問題だけど、本当に偏見で話してる人達は1度精神科病院に行って見てきてから行って欲しい…
ここ1週間くらい無気力でなかなか制作ができてない…
叔父と父の関係が拗れて、叔父に対してだけじゃないからおばに本当のこと伝えたけど。
そのうち、叔父のことで兄弟の間で大騒ぎになるような気がするけど、そうなって当然のことだと思ってる。
『著作権保護のため、記事の一部のみ表示されております。』
ブログで全文を読む私は、こうして過去を振り返りながら
あることを、今頃思い出しました・・・
父親(元夫)の元へ、2人の子たちを送った時
(元夫の連れ子2人を結婚中
母親として育てていました)
「生活が落ち着いたら、迎えに来るからね」
私、あの子たちにそう言ったのに
迎えに行かなかったんだ・・・
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
ここまでの私の過去については
ご面倒でなければ・・・こちらからお読みください�
『期待するから、失意のどん底へ落ちる』 私は長女だったからできる子、尊敬される人でいないといけなかった 強い自分でいなければ・・・と長い間、必死に自分を奮い立たせて まわりから後ろ指さされないよう…ameblo.jp
『期待するから、失意のどん底へ落ちる2』親になったからと言って子どもを育てられるとは限らない・・・ 元夫のもとへ泣く泣く2人の子たちを戻したものの 元夫は「子どもを捨てるのか!」と視覚障がい者…ameblo.jp
『期待をするから、失意のどん底へ落ちる3』 私の産んだ息子は保育園のころは、流行病で何度か入院しないといけないことがあったり 小学校入学してからは花粉症と紫外線によるアレルギー反応がひどくなり目の周り…ameblo.jp
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
前回からのつづきはここから
転職先はそれまで病院でしか働いたことがなかった私には完全にアウェイ感満載でしたが でも新たな経験を積めることが私には楽しみでもありました 某大手企業の健康管理室でのお仕事でたった3人で、3千人以上の社員の健康を管理する今までは病気の患者さんを対象としてきたけどここでは健康な人たちが、いかに健康を維持しながら業務を続けられるかを支えていくことが役割でした しかし・・・ 私の前任者は長い間、たった1人でこの健康管理室を任されていたとても優秀で、到底あしもとにも及ばない大先輩・・・最初から、その方の物凄さをことあるごとに他の2人のスタッフから聞かされていました なので、どこか私自身私だってできるんだから!場所は違えど、長い社会人として頑張ってきたんだという気負いで凄く肩に力が入っていたと思います 会社組織とはということがどういうことなのか社会の中にいるということがどういうことなのか初めて学ぶことになりました というのも病院という職場は実は特別な空間で病院という枠が世界社会との接点があるようでない場所どこか特有の世界だったのです「井の中の蛙大海を知らず」 今はPC操作も日常必須あたりまえですが私が病院を辞める数年前からやっと病院内も、デジタル化され始めた時代だったのでPC操作もほとんど私はできない状態・・・マウス操作にいらない力が入って手首が腱鞘炎になるくらい50歳手前の新入社員、必死でした
だんだん仕事にも慣れてきて
いろんな業務も任されるようになり
フォロー継続が必要な方も何人か担当になり
毎日が気の抜けない状態
私自身、ミスをしないように
隙がないように
毎日毎日、業務が滞ることがないように
だんだん残業時間も増え
仕事が終わっても常に頭の中は仕事モードで
夢の中もずっと仕事をしている・・・
入社3年目の夏ごろから
夜なかなか寝付けない、寝ても中途覚醒があったり
頭痛や腰痛がひどくなり
腰椎ヘルニアが悪化して歩行も大変
体調が良くないことが増えてきました
それでも、たくさんやらなければいけないことや
配慮が必要な方々のフォロー
難しい案件・・・
守秘義務上1人で抱え込むことが増えていて・・・
頭の中24時間体制で頑張っていました
息子からも
「お母さんだいじょうぶ?休んだ方がいいよ」と
心配されるくらい・・・
だんだん、周りの人が自分を責めているように感じるようになり
誰も信じられないようになりました
隙を作らないように
足元をすくわれないように
職場でも他の2人のスタッフと会話しなくなりました
孤独で、どんどん追い詰められていき
呼吸さえも上手くできないように
毎日が苦しくなりました
それでも、そんなこと考えている間に
もっともっと、頑張らなければいけない焦燥感が
私を職場へと突き動かしていたのです
ある日、ちょっとした他のスタッフの言葉が
私への攻撃に感じて
それまで張りつめていた糸が、プツっと切れたように
いっきに抑えていた感情が爆発し
制御できなくなって・・・・そこにいられず
慌てて上司の元へ走り
その時なにを喋ったのか覚えていないのですが
わあわあ泣き崩れたように思います・・・・
「休んだ方がいいね」
「今週はゆっくり休んで、あとのことはまた考えればいいから」
「病院を受診してください」
と言われたように思います
診断:うつ病
「重症のうつ症状」
2014年12月半ば
就業禁止 休職
自宅療養になりました・・・
3回の復職トライに失敗した私・・・
1年半の休職期間が満期になり
復職叶わず・・・
2016年6月末 退職になりました
現在も
うつ病の治療継続中です
復職出来なかったことは
自信喪失に繋がり、定職につくことへのトラウマになりました
つづきはまた
ブログで全文を読む
昨日、プロレス観戦お友達と
大日本プロレスの商店街プロレスを観に行ってきました。
大日本プロレス official website (bjw.co.jp)
毎年、年賀状でプロレス観戦しましょう!とお互い言ってはいたものの
ご近所さんではないし、私は入退院してばかりだし(^^;
私が逐一チェックしていなくてはいけないのに
連絡をいただいて商店街プロレスがある事に気が付きました。
いつもは春から秋にかけての興行で
コロナ禍で中止になっていた時期もあり
すっかりノーチェックだったのです。
ちなみに大日本プロレスとは
ジャイアント馬場さんの全日本プロレスに在籍していた
グレート小鹿社長が旗揚げした団体で
港北区に道場があり、
地元横浜を主体とした興行を行う
本来は蛍光灯を使ったデスマッチが主体のインディー団体です。
商店街プロレスは横浜市内の各商店街を巡り
その一角にリングを設置し
座席観覧のみ有料、立ち見は無料の太っ腹興行です。
そしてデスマッチは封印し、
子供からお年寄りまで楽しめる試合内容となっています。
今回行われた、青葉区のたまプラーザは
行くのが初めてだったので
早めに到着し、会場までの下見をしてきました。
案の定、道に迷って、全く別の道へ行ってしまった(;'∀')
会場に着くと、またリングの設営中でした。
一旦、駅に戻りお友達と合流。
かなり久しぶりの再会。
10年近くぶり??
でもFacebookで近況を拝見しているので、
全く変わらない感じでした(女性です)。
駅で早お昼を食べてから
会場入り。
ちびっ子のプロレス教室は終わっていて、
既に第一試合が始まっていました。
2/18(土)【観戦無料!】【LINELIVE「大日本プロレス」での"無料"生配信あり】商店街プロレスspecial @青葉区・たまプラーザ駅前通り商店会美しヶ丘公園大会 | 大日本プロレス official website (bjw.co.jp)
伊東竜二 選手だー!懐かしい!!
その昔は大日本プロレスを代表する選手で
週刊プロレスの表紙を飾る事もあった様な(記憶違いかもしれません)。
数年ぶりに見た伊東選手はやはりちょっと老けた感じで
身体にシャープさがイマイチ。。。
長年の怪我が祟っているのか。それでイマイチ身体を絞る事が出来ないのか。
初めて見る選手。
髪までオレンジで1番目立っていました。
知らないうちに若手も成長しているのね。
これは6人タッグの
関札皓太という選手らしいです。
爬虫類好きが売りの様です。
故・橋本真也選手の息子、橋本大地選手の入場
(中央ではなく、左の黒いコスチューム)
岡林選手に仕掛ける橋本。
パワーの岡林。
6人が3方へ別れて場外乱闘。
ちびっ子の逆水平チョップをくらう橋本。
これが商店街プロレスの面白さ!!
関本の逆エビ固め。これはキツイ。
これはメインインベントのバトルロイヤル。
instagramに挙げた動画のとうりです。
本来、写真撮影のみで動画は禁止なのですが、
著作権が絡む、入退場曲がかかっている所以外は
動画撮影、投稿もOKの太っ腹。
LINEのLIVE配信もしていました。
やはり関本・岡林コンビの
アルゼンチン・バックブリーカーは見ごたえがある!
この2人は新日本のマットにも何度か上がった経験もある
実力派選手です。
橋本のジャイアントスイング。
観客からも回転数の声援が飛ぶ(マスク着用の声だしOK)。
かけた方もかけられた方も目が回って
しばし動けずw
バトルロイヤルは強い選手が勝つとは限らない。
インサイドワーク、実力、運等々で決まるから面白い。
今回は橋本選手の優勝!
最後に橋本からマイクアピールがありました。
会場から見える白い建物。
赤い団地の後ろの白い建物。
これが橋本選手の卒業した小学校だそうです。
本当に地元だったのね。
故・橋本真也氏が横浜だったのは知っていましたが、
この近所に自宅があったのか。
青葉区には滅多に来ないのですが、
車で通る青葉区はセレブが住む
高級住宅街が並ぶイメージが強いです。
最後に商店街会長もリングに上がって
全員で商店街コール!
ポカポカ陽気で
休憩時間中に積もるプロレス話で盛り上がり、
最高のイベントでした。
惜しむらくは私の好きなアブドーラ・小林選手と
バラモン兄弟が居なかった事でした。
オフィシャルサイトを見たら、
武藤全日本に居た浜亮太選手(元力士)が
移籍していました。
次は東京の会場へも足を運びたいと思いました。
『著作権保護のため、記事の一部のみ表示されております。』
ブログで全文を読むおはようございます~�️�♀️❗ 曇ってたけど、薄日がさしてきた 今日は曇りで、夕方から晴れる予報で、曇りなのに暖かくなるそう そして、明日からまた寒くなるなか 明日はまだそれほどでもないけど
posted at 08:32:57
ブログで全文を読む『著作権保護のため、記事の一部のみ表示されております。』
ブログで全文を読むこんにちは
にこ占会の三つ目ちゃん、音風翠香です
最近、白髪が増えたなーとため息…
自宅でたまーにカラーリングしますが
入浴タイムに染めるので
冬は寒くてすぐに流しちゃうから
うっすらとしか染まらない…�
美容室で白髪染めしようかな??と考えてます
でも高いんだよなー!
あー!悩ましい!
どちらにしろそろそろヘアカットしなきゃ!
懐が痛い…
さて、お楽しみの週末占いです
2月17日〜2月19日はどんな運勢かな??
霊感タロット、霊感オラクルにて
リーディングしていきましょう!!
下の画像をご覧くださいね♪
左から、恋愛運、仕事運、
天からのメッセージ、ラッキーフードです
恋愛運です。カップルや夫婦の方は、お相手に対し距離感を持って冷静に接することが大切です。ご自身の本当の気持ちを見つめ直してみてください。シングルの方は明るく元気に挨拶することがラッキーアクション!!大胆なアプローチが吉です。出会いがない場合、肩の力を抜いて、周囲のアドバイスに耳を傾けましょう。
仕事運です。契約や交渉が白紙に戻るかも…努力が報われずイライラしてしまいそうです。うまくストレス発散しましょう。現状に不満がある場合、転職も視野に入れてみてください。今まであなたが頑張ってきたことが評価される兆しです。また、将来性のある会社とご縁があるようです。
天からのメッセージです。様々な場面であれこれ考えすぎてしまうことはありませんか??それは、あなたが優しくて思いやりがあるから、慎重になっている証です。あなたの細やかな気配りに、周囲の人たちは癒され感謝しています。天は、その慎重さを好意的にみています。
ラッキーフードは、エビフライとリンゴです。そのまま食べるのもいいのですが、りんごジャムやアップルパイもおすすめです。
以上です
心に響く言葉を受け取ってくださいね♪
1日1日を大切にして
心ときめく週末をお迎えください
占ってほしいテーマを募集中です!!
個別のお悩み相談ではなく
興味のある占いテーマをお聞きしたいです♪
コメントやDMで教えてくださいね♪
最後に、私の活動の場をご紹介致します
WORDS、ココナラ、Twitterにて
個人鑑定をしております
お手頃価格ですので、お気軽にご活用ください
詳細は、アメブロのコメント欄やDMにて
ご質問して頂けると助かります
ご感想もお待ちしております♪
よろしくお願い致します
最後まで読んでくれてありがとう
ではまたね
ブログで全文を読む山田 謙一(@jabber_wock110911)がシェアした投稿
ブログで全文を読む
私の産んだ息子は
保育園のころは、流行病で
何度か入院しないといけないことがあったり
小学校入学してからは
花粉症と紫外線によるアレルギー反応がひどくなり
目の周りが真っ赤になり
顔全体も腫れあがるほど症状がひどくて
受診を繰り返し、飲み薬塗り薬点眼薬の治療を続けて
そうなると、暗い静かな部屋で安静にしないと
症状が改善しないので
よく学校を休まないといけなかったり
注意を払わないといけない子育てでした
息子のために一生懸命でした
仕事と子育てに必死になっていました
アパートで独り暮らし
会社員になったことで
自立した次男(元夫の子)のことは
もう大丈夫かな・・・と
ときどき連絡をとる程度になっていました
そして、そんなある日・・・
私は、両親から言われました
「小姑が家にいたら、(私の)弟にお嫁さんが余計に来ないから」
小姑はわたしのこと・・・
障がい者の両親の上に、出戻りの小姑がいたら
弟のところにお嫁さんが来にくい・・・ということ
だから
弟のために、私と息子は出ていって欲しい
という意味です
確かに、実家にずいぶんお世話になってしまったし
自立しなければならないことも確かでしたが
私のことよりも、これからがある弟のことを
両親が優先的に思うのも、当然のこと・・・
わかってはいました・・・
それでも、私と息子は外の人間なんだな・・・・と思ったら
かなりの衝撃でショック過ぎて
陰で大泣きしたことを思い出しました
私はもともと、HSPの気質だったから
些細なひとことも、ものすごく心に刺さってしまい
言った側はそんなに深い意味で言ってなくても
爆弾級に感じてしまうために
落ち込みもひどかったです・・・
それでも、その頃はまだバリバリ働けていたし
収入もそれなりにあったので前向きでいられました
間もなくして、たまたまいい物件があり
息子を連れて実家を出ました
息子は小学5年の2学期に
引っ越し先の学校へ転校したのですが
高学年になると
まわりの子たちとの関係が難しくなっていて
仲間外れや意地悪、いじめにあうことが増えていました
それでも、歌が上手な息子のことを
音楽の先生が合唱部にスカウトしてくれたおかげで
大好きな合唱部を楽しみに
なんとか頑張って、小学校を卒業まで通うことが出来ました
中学にも、楽しみに通い始めましたが
夏休みを過ぎたころから、だんだん行き渋るようになり
また学校でいじめにあうようになっていたのです
ちょうどその頃
私は長く勤めた職場を退職して
新しい職場に転職しました
息子のために、自分のために
ちゃんとしたお休みが取れて
夜は家にいられるように・・・
なので、私は新たな職場に慣れることに必死で
息子にも叱咤激励しながら
半ば強引に学校へ行かせていました・・・
でも・・・
ある日、息子が私に言いました
泣きながら
「お母さん、もう僕を学校に行かせないで」
「お願いだから、もう僕を怒らないで」
と・・・・
はっとしました
そんなにつらかったんだ
なんてことを私は、息子に言わせてしまったんだろう
学校には行かせなくちゃ、将来に繋げなくちゃ
今つらくても、頑張っていれば
そのうち息子も自信がついていく・・・って・・・
まったくの私のエゴ!!!
私のこだわりのせいで
こんなに辛い思いを息子にさせてしまっていた
なんてひどい母親だったんだ!
学校へ通うことが当たり前だと思い込んでいた私・・・
学校というとこには
息子の居場所はなかったのだと
初めて、私は気づいたのです
そこで私の気持ちは決まりました
息子を
こんなにボロボロに傷つけた学校に
無理して行くことに なんの意味があるんだろう?!
クラスのみんなからの仲間外れ
上級生からのいじめ
多数の生徒の中の1人のことよりも
多数の普通の生徒側だった担任
担任は、息子のことを守ってはくれなかった
心が弱っていた息子 勉強も学校の中のルールも
息子には難しく、理解しにくい状態だったこと
様々なことで息子は疲弊し
気力を失い、みんなが出来るあたりまえは
息子には当たり前ではなかった
まだこのころは「発達障害」ということが知られていませんでした
担任も
息子のことを、ただの甘え・怠け癖と決めつけていたから
薄々は息子の特性に気づいてはいたものの
私もなんとかなるんじゃないか・・と
思っていました・・・が!
もう息子の望むようにしよう!
泣いてばかりいた息子の笑顔を
私は取り戻さなければいけない!
元気で、笑ってくれてさえいれば十分じゃないの?
「もう学校へは行かなくていいよ」
そのときから、私はいっさい怒ることをやめました
怒られることは、息子にとってはただ怖い・辛いだけ
怒られることは「お母さんが怒ってる」という事象だけで
「何を」「どのように」「なぜ」
怒られている内容なんてまったく理解出来てはいなかったのです
勢いに任せて、自分の思い通りにならない息子を
母親である私も
怒りという感情を先行していただけだったことに
やっと、気づいたのです
息子にとって一番安心で安全な場所は
私と一緒に住む家
この時住んでいたのはマンションだったので
セキュリティも大丈夫
食べるものを準備しておけば、息子はお留守番は大丈夫でした
だから、とにかく収入を得ること
仕事を頑張る事に私は集中していました
慣れない職場で、自分の仕事を確立し
まわりの職員に認めてもらえるように
違う世界から来た私は
最初のころは
何かとその職場でのあたりまえというトラップに
知らぬ間にはまることが多かったので
敵地に乗り込んだ気分で
毎日、緊張の中にいました
つづきはまた
ブログで全文を読む
おはようございます~☀️�♀️❗ 晴れ~ 今日、明日は休養日+雑用ディ 晴れると主婦は忙しい 休養できるのか⁉️
posted at 11:35:11
ブログで全文を読む@k04k31c28r28 @amrcyan まゆみちゃん、こんにちは~ リハビリ行ってきた~ 死亡してる左肩、入念にやってもらった 朝は寒かったけど、日中は暖かくなったよ 明後日は20℃超えるって そして、来週は10℃切る?
posted at 17:38:53
おはようございます~☀️�♀️❗ 晴れ 午前中曇りになってたけど、晴れてる~ 今日からしばらくは暖かい模様 特に明後日は20℃近く⁉️ 来週はまた下がるから、三寒四温の季節に入ったのかな
posted at 08:46:32
ブログで全文を読む『著作権保護のため、記事の一部のみ表示されております。』
ブログで全文を読む昨日ですが、医師の診断書を持参して
自立支援医療受給者証更新手続きをしてきました。
必要なものは今使っている自立支援医療受給者証と
保険証、マイナンバーカード、精神障害者手帳。
無事、更新手続きが済みました。
一昨日、
発達障害のテストを受けたので
その際に出来上がっていた診断書を受け取っていたのです。
診断書料5500円
テストは再来週もあります。
そのあとも。全部で3回に渡ってあります。
3回目は結果を聞くだけなのか、
3回目もテストがあって、
4回目(普通の通院日?)に結果が分かるのか
までは知らされていませんが。
ブログで全文を読む
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親になったからと言って
子どもを育てられるとは限らない・・・
元夫のもとへ泣く泣く2人の子たちを戻したものの
元夫は「子どもを捨てるのか!」と
視覚障がい者の私の両親に対しては
「障がい者が子ども(私の産んだ)を育てられるわけがない」
などと、平気で言ってきたり
それでも、中学2年と3年になった2人子たちのことは
面倒見るだろう・・・と
しかし、そう思ってしまったことに、すぐに大きな後悔をしました
元夫は仕事はしていたものの
お金は全部、自分が使ってしまう癖がつづき
もちろん借金は当りまえ・・・
2人の子たちの給食費を払うことなく
家事いっさいを子どもたちにやらせて
せっかく頑張って高校に入った長男
制服を着た姿を見せに
嬉しそうに実家に来たのに・・・
高校の授業料を元夫は滞納し続けたために
長男は中退せざるを得ず・・・
父親と暮らしてましたが、自分でバイトをして
生活していました・・・
父親が「お前たちは母親に捨てられたんだ」と洗脳し
長男の口から私のことは「もう母親とは思わない」と決別されました
その後は次男からの情報で
長男は借金を重ね、東京へ出て行った結果
犯罪を犯してしまい収監されたとのこと・・・
元夫に連絡行っても「関係ないから」と無視されて
義母と義妹が身元引受人になり連れ帰り
義母の元で生活することになりました・・・
次男は一人残され、家事をやらされながらも
学校の友人や先生に恵まれたおかげで
中学卒業後、推薦で高校に入学できました
もちろん、中学の給食費はまったく父親が払うことなく
あとから少しずつお返しする方法で
高校の授業料も、同様に対応して頂けて
次男が働けるようになってから、頑張って返済をしたのですが・・・
次男も家にひとりでいることはつらく
友人のお宅でご飯を食べさせて貰ったり
泊まらせて貰ったり
お友達の親御さんにたくさんお世話になったのです
大けがをしたときは
私や母が通院に付き添い
(医療費が学校の部活中のケガだったために
スポーツ共済から全額返金があっても
当然のように、元夫はこちらに渡すことはなく使い込み)
送迎をしたり実家で面倒見たり・・・
次男は高校卒業後は良い会社に入社出来て
アパートを借りて生活
アパートの初期費用、生活用品は私が準備して
結局、2人とも父親から離れました
私のことを
「子供を捨てたひどい母親で、浮気をしていた」
「お金を使い込んでいた」
など・・・元夫と義母や義妹たちはうわさを流し
狭い田舎のまちでは、すぐにうわさは広まり
とんでもないところから
そういううわさが流れていることを知りました・・・
それでも、人の噂も七十五日・・・そのうちに消えていくだろうと
ほうっておきました
そういう人格の人間相手なので
離婚するまでも時間と労力が必要で
私は実家の協力を得ながら
息子を育てつつ
仕事もパートから正職員になり
ウィークデイは朝から晩まで働き
週末は当直・・・代休なし
年休を使って「離婚裁判」をおこし
3年かけてやっと離婚することができました
弁護士さんが養育費も
元夫の会社の給料から天引き手続きを取って下さいました
たった月2万円でしたが・・・・
数年後、案の定
元夫は次男や義母や義妹から借金を繰り返し
会社内では、女性社員に手を出したり
ある日、とんずらしていなくなりました
県外へ逃げたのです・・・
動悸がひどくなってきたので
また、つづきはのちほど
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『著作権保護のため、記事の一部のみ表示されております。』
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私は長女だったから
できる子、尊敬される人でいないといけなかった
強い自分でいなければ・・・と
長い間、必死に自分を奮い立たせて
まわりから後ろ指さされないように
隙をみせないように
一生懸命、勉強することも頑張った
看護師をしていたほぼ25年近く
誰よりも
優れたプロでいたかったから
知識を積み、技術を磨き
誰よりも素早く、的確に、動けるように
人としても、心と向き合うために
より感覚を研ぎ澄まし
見えないものも見通すことも
たくさん努力を重ねてきた
十数年間という短い結婚生活の間も
元夫の子供たちを
幼児のころから、中学に上がるころまで
我が子として育て
同時に自分の産んだ息子も育て
元夫から、逃げるように別居を決意したときも
子ども3人とも連れて実家に逃げた
私は3人とも育てていくつもりだったから
実家の両親と弟の生活の中に
それまでとは違った生活がはじまり
しばらくいっしょに実家で生活をしていたけど
私が産んだ子はまだ幼くて、流行の胃腸病で入院が必要で
私が付き添い入院しなければならず
上2人の子たちを実家に任せることも・・・
そして
両親から、元夫の2人の子たちは
元夫のもとへ返せ・・・と言われた
今のままでは
元夫が一番楽をして生きることになる
親としての責任を
元夫にも持たせるべきだ・・・と
どうしても3人とも育てると言うのなら
実家から出ていくようにと・・・
踏ん張りたかった
2人を手離すことは、絶対にできない
と、泣いて両親に頼んだけれど
なんにも貯えがなかった私には
3人とも連れて、部屋を借りる力もなく
共倒れになるのは目に見えていたから
それだけは避けないといけなかったから
つづきは、また
ここまで思い出しながら書いていたら
その頃の何とも言えない思い
溢れてきて
苦しくなってしまった・・・
これ以上
今は書けない
ごめんなさい
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