かいとさんの最新Blog

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2021年03月17日 07:30
進学先のこと
 ( かいとさんのプロフィール)

結論としては第一志望の筑附に進学するのですが、志望動機などを絡めて、進学について書いていきます。


いわゆる男子校のノリに合わなかったゆうとは、高校受験をして共学を目指す道を選びました。


共学の最高峰を目指すということになったわけです。


ゆうとが小6のとき、筑附中の文化祭に一緒に行ったのですが、数研の論文を読んでパパは感動したのを今でも覚えています。


サイコロの目は6分の1の確率になるか振ってみた。なぜ変数はxなのか歴史を調べて仮説をたててみた。のような論文を中学生が書いてました。こういう考え方や検証をしている環境にとても感動したのです。


ゆうとはそこではなく、中2のときに行った体験授業で志望を決めたようです。見た目は金髪でも真面目に授業を受けている姿や、哲学の授業での先生の話が気に入ったようです。


筑附は中2で、学園祭、体験授業、学校説明会に行っていたので、今年コロナですべてリモートになっても当時の記憶を辿ることで、影響がなかったように思います。


渋幕は中2で学園祭などに行かなかったです。今年度は当然動画だけで判断せざるを得ませんでした。実際に訪問した他校と比較すると印象が薄かったかもしれません。


開成は中2で学園祭には行きましたが、あまり現実味はなく、最高峰の生徒たちはどんな様子なのかを興味本位で見に行った感じでした。


志望校に入れたのは中2の11月でした。実際に合格してからは何度も行かなくて良いのか聞きましたが、意志は変わりませんでした。


何度も聞いたのは行って欲しいというわけではなく、まさか開成を目指せると思っていなかったので、本当は通いたいと思ってないかなという確認でした。意地になってないかと。


また、開成は延納金制度がないので、後でゆっくり考えるということができないためです。


でも意志は変わりませんでした。


今日なんかは休みが飽きたので、はやく筑附に行きたいと言い始めました。


渋幕や義塾などは、すでに入学までの課題が出ているようですが、筑附は芸術科目のエントリーを終え、明後日説明会です。


他校の私立と比較するとのんびりしているようですが、内の子には合っているかもしれません。


日々なかなか良い公式ができたとマイペースに嬉しそうなので。


いったん弟のかいとのブログに戻りますが、ゆうとの様子もたまに書いていこうと思います。


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2021年03月09日 08:40
開成、筑附の入試のこと
 ( かいとさんのプロフィール)

東の私立最難関、夢の開成です。


これまでの模試の成績や過去問の自己採点からは合格圏内でした。


ただ現実味がないというか、中学受験では到底達することのできなかった夢の学校です。


普通の子でも開成受験できるんだと感慨深い朝を迎え、テストを楽しんでくるようにと送り出しました。付き添い担当はママ!


開成は工事中で、試験前は工事の進捗の話があったとか、外国人先生が英語でスピーチしたり、他の学校にはなかったとのことでした。


さて、開成の感触は国語の出題パターンを変えてきたなどあったそうで面白かったというのが初めの感想でした。


楽しめたみたいで良かったなと思ったのと、本当に楽しめるってすごいなと驚かされます。


数学はちょっと難しかったけど、大丈夫だと思うと。


結果は数学が過去5年で受験者平均、合格者平均が最も低かったので、感覚は当たっていました。


中学受験のときは感覚を外しまくっていましたがw 高校受験は模試の時から感覚が当たっていました。自分の出来を客観評価できている証かと思います。


結果はWEBで合格者の受験番号一覧が掲載されて、自分の受験番号を探すスタイルです。


掲載予定時刻の1分前には掲載開始されていて、番号を探すと、、、あったーー!!!

と大興奮しました!家族で抱き合って!まるで第一志望ですね。


開成は当日中に入学手続き書類を受け取らないといけないので、ママとゆうとで開成に行きました。


工事中の門の前で記念撮影して、合格証書をいただき、我が家の家宝になりました。鉄緑会のパンフレットも路上でいただいて、これもまた選ばれし者感があって舞い上がってしまいます。


最高の状態で第一志望を迎えられました。


第一志望の筑附はパパが付き添い。小学校時代から通算3回目w


お弁当を持ってあげてたのですが、筑附の門をくぐって見送った後、パパがまだお弁当を持っていたことに気づいたのです。


慌てて近くの先生に状況を伝えて、大声で呼び戻していただきました。お恥ずかしい。パパも緊張していたようです。


受験から戻ってきたゆうとは、英語が簡単すぎて怖いという感想でした。筑附は難問というよりも他の私立より合格点が高い学校のはずだからわからないと。


筑附は最低点も平均点も非公表なのです。

中学は7割超なので、高校も同じくらいの水準なのかなという印象です。


ゆうとは難問は得意ですが、基礎問題を落とさないタイプは不得意なので、安心できないのです。


ちなみに開成の合格者最低点は6割を切ります。渋幕は5割弱。市川は5割前後でした。


何はともあれすべての受験を終えました。


そして第一志望には合格してほしい一心で合格発表日を迎え、ドキドキのWEB確認。


合格を手にしました!!!


この子は勉強とどう向き合うべきなのかを考えて実践してきました。勉強は受験がゴールではなく、その先を見据えて目標もできました。


受験を通してとても成長できたと思いました。

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2021年03月06日 07:00
市川、渋幕の入試のこと
 ( かいとさんのプロフィール)
ゆうとの受験は千葉校から始まりました。

その前になぜこの2校だったかの理由です。中学入試もそうですが、高校入試も千葉、埼玉の私立校を皮切りに東京私立、国立、公立で受験が終わるという大きな流れがあります。

ゆうとは賑やかな男子校のノリは合わないので、共学ねらいでした。そこで、千葉、埼玉でトップ校となるとこの2校になります。

模試などの成績を基準にすると、市川が滑り止めに適していました。

志望校4校の中で、最も早い受験日なのも都合が良かったです。
市川は読書をとても大事にしている学校で、読書の時間が毎日あったり、図書館が充実していて、方針が明確でした。ゆうとは理系ですが、小説を良く読むので良さそうな気がしました。
市川の入試にはパパが一緒に付き添いました。
渋幕は実はパパはよく知りません。ママの方が知っているのですが、いわゆる優等生タイプで、落ち着いた校風とのことでした。制服以外の校則もほとんどないようで、こちらもゆうとに合っている気がしました。
あまり意味はありませんが、鉄緑会の指定校になっていますね。これも人気のひとつになっているようです。
さて、中学受験ではパパ付き添いの受験校は全敗だったので怖かったですが、はじめに市川で合格できたことに肩の荷が下りた気がしました。
渋幕は数学の最後の大問に気づかず丸々一問失ったと、とても落ち込んでいました。ちょっと準備不足というか油断したというか。。。もちろん過去問は解いていたわけですが、過去5年で数学はすべて大問5問だったのに、見落とすって。。。と思いました。まぁまぁ仕方ないですね。
帰路では反対方向の電車に乗ってしまうし、帰宅してイスに座り損ねて崩れ落ちるし、とてもくやしそうで落ち込んでいました。
この時はもしかしたら第二志望で不合格あるかもと頭をよぎりました。
一方で市川は合格だったし、第一志望獲ればいいし、とパパママは結果がどうであってもあまり気になりませんでした。
結果は合格、しかも特待!驚きました。心配させやがって、なんだよ~と。
良い波?に乗れて、最難関、本命に臨みます。
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2021年03月01日 00:15
受験までの成績と勉強のこと②
 ( かいとさんのプロフィール)
中3になってからもYoutubeは変わらず見続けてました。
面白動画も見てたり、スマホゲームもやっていたのですが、教育系をそれ以上に見てたので、スマホは自由にさせていました。
受験はもちろん大事なのですが、そればかりに囚われて欲しくないというか、色々見てほしいなと思い、春に英検準2級、秋に数検2級をとりました。秋はギャンブルかなとも思いましたが本人の希望だったので、背中を押しました。
偏差値は大体1年を通して安定していました。だいたい国語か英語のどちらかをやらかしていましたが、毎回どちらか一方なので結果合計はあまり変わらない状態でした。
筑駒の合格率が80%を継続していたので、合格率や偏差値でみるのをやめました。
ところで、サピはレベルが高いので、偏差値が低めに出ます。みん高では一律78のところ、サピでは筑駒は66、開成は64、筑附62はです。
みん高の偏差値は、間違えてるわけではなく、全国平均が基準なので、上の方はみんな一緒という判定になります。
サピ生の平均は全国平均よりも高いので、偏差値が低めに出る代わりに、上の方は一緒ではなくて差はあるよという判定になります。。実際に受験するとなるとサピが実態に近いと思います。
さて、偏差値で見るのをやめた理由は、ここまで来ると偏差値を見ることにあまり意味がないことに気づいたからです。
例えば偏差値66以上は確か20人くらいいますが、実際のサピの合格人数の過去実績を見ると偏差値66ではギリギリです。合格率80%なのに順位ではギリギリなのです。順位のほうがリアルな印象だったので、順位で見ることにしました。
中3の模試は危なげないというか、成績が安定していました。だいたい10位台の中後半をウロウロでした。
内訳は、理数が1桁順位で、他の2科目が2桁順位で、残り1科目が3桁順位なことが多かったです。

筑附は受かるかもしれないけど、筑駒を受けるとしたら50%かもねと伝えました。サピの合格率は80%なのに50%だと言うのです。さぞかしむかつく親でしょうね。
第一志望は筑附なので、筑駒は無関係なのですが。最高峰を基準にすることで、第一志望の合格率をどれだけ高めるかが重要かなと思ったのです。
年内の模試はは合格圏内、本人希望の慶應志木プレ模試では1位!3科すべて1桁順位で総合初の1位でした。
その後、オープン、開成プレと13位、12位だ年内フィニッシュし、精神的にも成績の傾向も理想的なコンディションで年明けの本番を迎えます。ブログで全文を読む
2021年02月26日 12:23
受験までの成績と勉強のこと①
 ( かいとさんのプロフィール)
長くなりますので、2回に分けることにしました。

塾に行きはじめたのは中1の12月でした。
本人の希望でしたが、中学受験を経験したゆうとにはレベル高めの塾でないと暇かなと思い、地域柄もあってSAPIX一択でした。
中1では多分に漏れず、Youtubeとスマホゲームにはまり、勉強してなかったです。
塾に行きはじめてからは、少しYoutubeとゲームが緩和した印象でした。
塾の成績は入塾してから3カ月くらいは真ん中くらいをウロウロしてました。ゆうとより前からいる子に歯が立たない様子でした。
そういえば、小学生の頃から読書は好きでしたが、小説の他に「はじめアルゴリズム」や「数学ガール」といった謎の数学マンガを中1から読んでいました。
ママが本を買ってくるのですが、ママはゆうとがはまる本を選ぶセンスが抜群なのです。
そこからいわゆる教育系Youtubeを見まくるようになりました。はなおさんやヨビノリさんがお好みのようですが、今はパパがなんとなく数学Youtuberを見ていると、知らない人はいないというくらい見漁っているようです。
さて、教育系ユーチューバーに興味をかきたてられ、中2の夏期講習や冬期講習の狭間でK会、SEGの講習をとりました。K会は微分・積分、SEGはフェルマーの小定理・リュカ数列・フィボナッチ数列の講座をとりました。
K会はママが、SEGはパパが紹介したのですが、ビビりながらもYoutubeで予習して行きました。
ゆうとがサピにはK会、SEGに通ったことを言ったようで、反応は寛容だったようです。
成績は徐々にあがってきて、中2の春の模試では筑附80%が出ていたので、秋の模試では判定校に開成を入れるようにしました。
この頃の志望校別合格率は、開成55%で、他(筑附、渋幕、市川)は80%でした。
それが冬には志望判定校に筑駒も入れましたが、合格率はすべて80%判定でした。
出来すぎた中2生活はこんな感じでした。
なぜ初めから筑附を入れていたかと言うと、ゆうとは共学を希望していたからです。
なので、共学の最高峰を目標にしていましたが、80%がずっと出てしまうと気が緩む心配もあったので、模試の志望校判定は最高峰の筑駒を基準にしました。
長くなりましたので中3は次回にします。
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2021年02月24日 12:42
ゆうとの高校受験
 ( かいとさんのプロフィール)
3つ前のゆうとの記事が3年前で、ほとんど更新できてないことを反省します。。。
かいとは退院後、容態は安定してまして体重は40kgオーバー。いまだにハイハイで言葉も一語ですが、スクスク育ってます。
ゆうとは3年前の悔し涙から、すごくがんばって第一志望校に合格しました。バカ親ながら、本当に誇りです。
中学受験ブログは目にしますが、高校受験ブログは比較的少ないようなので、少し書いていきます。
結論から先に言いますと全勝でした。受験校は以下4校です。
開成高校筑波大学附属高校渋谷学園幕張高校(特待)市川学園高校
中学受験して大学付属のの難関校に入学しましたが、その後、紆余曲折を経て高校受験をして、見事リベンジを果たしました。
小学生では到底到達できなかったところに到達した子を本当に尊敬します。
開成ってこういう子が合格するんだなと実感しました。今までは夢物語というか、宇宙人だなとか、うちには関係ないとか、先天的な天才だとか思っていました。
でも、うちの子のような平凡な子が、少し考え方を変えて取り組むと、そういうレベルに到達できるということがわかりました。
塾の広報誌や出版社の取材を受ける人気っぷりなので、少し受験のことを記録して行きたいと思います。
受験までの成績と勉強のこと市川、渋幕の入試のこと開成、筑附の入試のこと進学先のこと
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2019年11月30日 11:02
26日間の入院でけいれん発作の制御ができました
 ( かいとさんのプロフィール)
かいとはてんかん発作がとまらず、10/23~11/15まで入院していました。付き添いが必須だったので、平日は妻、週末は僕が付き添い当番にしました。
10/21にT病院の主治医から電話で、朝のマイスタンを倍にするのと、緊急時のダイアッブは1.5倍にする指示を受けたので、それで様子をみました。
まったくおさまらなかったので、10/23に緊急外来でT病院に診てもらい、入院することになったのです。
入院してからはお薬の調整で、ミダゾラム(ドルミカム)の点滴が始まりました。
週末には発作が数時間おきないなど、割とすぐに効果がでました。
今の飲み薬 ・フェノバール ・アレビアチン ・イーケプラ ・マイスタン ・酸化マグネシウム ・ミヤBM ※頓服はダイアッブ
発作のせいで夜寝られないので、寝る前はダイアップを毎日のように使いました。
10/30には脳波検査のためミタゾラムを減量して、10/31にはゼロになりました。入院から8日が経過してのことでした。
当時は、あと1週間以内には退院できるかなと楽観視していましたが、甘かった。ここからなかなか安定しませんでした。
このときには間代発作(けいれんの発作)はほとんど見なくなり、強直発作(力が入る発作)のみに見えました。発作中は意識を失っているようです。発作の頻度は4割減くらい(1時間に30回くらい)になったかなと。
午前中の発作は激減したのですが、午後からは1時間に50回くらいの発作頻度に戻ってしまいました。
主治医からは大きな発作だけ記録すれば良いですよ、記録が大変だからと言われていたのですが、傾向や頻度を把握したかったので、気づいたのはすべて記録していました。
入院2週目からはフェニトイン(アレビアチン)の内服薬を増量することに。発作は減らず毎晩ダイアップを使っている状態でした。
フェニトインはかいとにとって、とても難しいお薬です。鎮静作用は強いが血中濃度のコントロールが難しい。少ないと発作は止まらないし、多すぎると中毒を起こしてしまうのが、何度かありました。
体調によっても血中濃度が変化しやすい印象だったのですが、入院してるしそんなこと考えてる場合じゃないなと。

かいとは、「バイバイ」と発することができるのですが、ある夜3時間以上も「バイバイ」を機械のように一定のリズム(5秒に1回くらい)で連呼していていました。
計算すると2,000回を超えることになりますが、途中発作があったから実質は半分くらいかな。目の焦点も合ってないような気がして、ナースコールしました。
看護師さんもいろいろ掛け合ってくれて、当直の先生に来ていただきました。
するとかいとは大好きな聴診器を見て掴もうとしてバイバイをやめたのです。
心配しすぎて騒ぎにしてしまって病院には申し訳なかったけど、意識的に言っていたことがわかり安心しました。でも3時間以上もバイバイを言い続けるのは体力が必要だっただろうなと親バカ思考のほうが強かったのは反省点です。
さて、3週目は内服薬のフェノバール増量と頓服のダイアッブをワコビタール(エスクレ)に変更です。
ワコビタールは過去使ったことがあるのですが、かいとには効きづらい印象です。主成分がフェノバルビタールで、緩やかに効いてくる印象でした。主治医はフェノバルビタールの血中濃度をあげたかったようです。
一度ワコビタールを使ってからは、フェノバルビタールの血中濃度が適正になったようで、フェニトインも適正になったようでした。
この頃にはあまり食べられなかったゴハンを間食できるようになりました。
昼夕食時に発作が連発するという謎の事態ではあったのですが、それでもモリモリ完食できることが増えてきました。
表情も少しずつ豊かになってきた印象です。
4週目には、完全に安定しないもの、以下の観点で退院準備が進みました。
・昼夕食近辺以外は発作が連発しないこと ・それでも食事がしっかりとれていること ・夜ダイアップを使わなくても寝られること ・すこしずつ元気を取り戻せていること
そして11/15にめでたく退院し、今では入院前と発作頻度は変わらないくらいになりました。
ただ衰えた体力はすぐには戻らず、それまでの活発な動きを取り戻すにはリハビリが必要そうです。
11/18には特別支援学校にも通うようにして、翌週にはデイサービスにも通えるようになりました。
最初はドッと疲れたようで、帰って来てからは寝てる時間が長かったようですが、徐々に活気を取り戻してきました。
これから成長期には血中濃度のバランスがとれずに、入院調整することが数回くらいあるかなと思う今日この頃です。
入院中は迷走神経刺激療法(VNS)の可能性もあるかなと思いましたが、お薬でコントロールできて良かったです。
今回は付き添い必須だったので、平日はママが寝泊まりで、金曜の夜から僕が寝泊まりの担当でした。
文化の日があったり、僕がテレワークできたりしたので、お互いの負担を少し調整できたかなと思いました。
ただ、兄のゆうとには10年前の誕生日に家族全員でお祝いできなかったことを思い出しました。 https://ameblo.jp/tenkan-k/entry-10193575206.html

平日はなるべく定時に帰ってゆうとと一緒にいる時間を作りました。

理解のある会社で良かった!働き方改革!
次回は、大好きなゆうとのことも報告したいと思います。

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2019年11月10日 18:25
かかりつけに拒否され、主治医の病院に入院
 ( かいとさんのプロフィール)
約1年半の更新ですが、かいとがかわいそうでたまらなくて投稿してしまいました。
10月23日に発作が止まらず、かいとは入院しました。
強直間代発作で1回あたり10秒から20秒くらいです。感覚は1時間に数回から1分おきなど様々です。
かいとはお座り、ハイハイから膝立ちまでしますが、頻度が高いときは、ハイハイや膝立ちの途中で発作が起きてテーブルに顔をぶつけてけがをするようになりました。
ゴハンのときも発作が起きてほとんど食べられず、フラフラしてお座りもできなくなり、夜中ずっと発作が起きて眠れなくなりました。
実は昨年10月に引っ越しをして、かかりつけ病院がM病院からJ大学病院に変わりました。国立T病院には3カ月に1回通院していましたが、引っ越し先からも通えなくはないので、継続しています。
ダイアッブを使っても発作は止まらず、1時間には100回の発作が数時間続いたので、かかりつけのJ大学病院に夜中3時に電話をしました。それまで2回定期受診していました。
救急では看護師さんに症状を伝えると、119番して他の病院に行くように言われました。こんなことを言われたのはショックで初めてのことでした。
少し違和感があったのは、ダイアッブなどは使いましたか?と聞かれ、使いましたと答えると、誰の指示ですか?と質問されたことです。
それ以外にもたくさんあるのですが、来てもどのくらい待つかわからないとの答えでした。であれば外来の受付開始まで待てばいいですか?た聞くと救急車で他の病院に、との答えでした。
信用できなくなったので、深夜4時にゆうとを自宅に残して、妻と別の救急病院をに行きました。病院前に着くと発作の頻度が5分に1回くらいまで減ったので、自宅に引き返しました。
朝8時まで待って主治医に連絡しました。
主治医は、直接J大学病院と話して治療できるように話してみるので大丈夫だと言ってくださいました。
少し待っていると、主治医から連絡があり、今から来れますか?とのことでした。J大学病院は拒否したようです。
このような経緯で11月8日までの17日間入院していました。今は退院しています。
家族4人で暮らせる幸せを改めて実感しました。
治療の内容や入院中の家族の生活については別に記事を書きます。
ただ、主治医からJ大学病院のかかりつけ医が何を言っていたのかを聞いて驚きました。
他県なら診るが、直接国立T病院に行ける距離ですよね。ウチに来ても発作を止めることくらいしかできないので。
これが主治医の言い分とのことでした。発作を止めてほしいから連絡したのに。
J大学病院の看護師さんと話してたときの違和感はこういうことだったのだと理解できました。なぜかかりつけを引き受けたのか不思議でなりません。
ちなみにJ大学病院のルールで患者や家族は医師とは直接話せず、看護師としか話せないようです。医師と直接話せるのは診察時のみです。
主治医からの勧めで、かかりつけは総合病院のほうが良いとのこでしたので、他の総合病院を探します。 ブログで全文を読む
2018年02月14日 09:00
かいとの近況とゆうとの受験
 ( かいとさんのプロフィール)

しばらく更新していませんでしたが、落ち着きましたので、更新します。


かいとは先日2分の1成人式を迎え10歳になりました。
今までずりバイだったのが、ハイハイができるようになりました。スピードは早いものではありませんが、膝をたてて体を支て動けるようになったのは大きな成果だと思っています。
機嫌の悪いときは「痛い!」と連呼するのですが、痛いことは何もしていないので、外で言われるときは焦ることがあります。
お風呂がとても好きで、それまで「痛い!」を連呼していても、お風呂入る?と聞くとキャッキャ言います。
お風呂では体を洗っているときから、バスタブに入ろうと身を乗り出します。バスタブに入ると水面を叩いて遊びます。キャッキャ、キャッキャ毎回楽しそうです。
アメトーークのスペシャルが大好きで、録画を何度見せても笑いながらおとなしく見ています。Eテレのいないいないばあのスペシャルも同じように大好きで、これらを交互に見せています。
かいとは脳梁離断したあと、左脳のMSTを経て半球離断していますので、左利きです。

お食事はお腹がすくとテーブルまでやってきて、つまみ食いをします。特別支援学校やデイサービスでOTのトレーニングのおかげで、スプーン持たせると自分ですくって食べられるようになりました。すべて左手です。
発作は1日数回程度発生しています。
意識があって足が痙攣するもの、意識をなくして全身硬直するもの、いずれも10秒程度です。
足だけの痙攣のときは発作後、「ブブブ(恐らくブルブルブルと言いたい?)」と言います。全身硬直のときは発作後「あー」と言ってニッコリします。
意識をなくしても発作があったことはわかっているようです。
お薬は、ラミクタール、フェノバール、アレビアチン、マイスタン、イーケプラです。
ところで、かいとですが今年中学1年生ですが、本人の希望もあり中学受験しました。
本当は続けていた少年野球をやめたくて、塾に逃れようとしたようですが、僕には逃れる選択肢としては理解できませんでした。それは5年生のGW前のことでした。
それから割りと家族総出でバックアップ(一緒にお勉強)しました。
ママは得意の国語中心、それ以外はパパ。5年生の頃は成績に一喜一憂して、失敗を叱ってしまったこともありました。
成績が悪いから叱るということでは、勉強に興味がわくわけがないことに気づきました。

パパも反省しまして、それからは失敗の対策を打たなかったもの、つまり同じ失敗を繰り返したものをどう改善するかを徹底的に話したつもりです。結果、叱ってしまいましたが。
これは仕事をしてても失敗して叱られることはあります。それまでも悪いことをしたら叱っていた。だから、成績が悪いから叱ることとは似て非なるものかなと思いますが、ゆうとはどう思っているのか。
僕はゆうとと一緒に勉強したのが、楽しくて嬉しくてたまらなかった。勉強ってゆうとと一緒だと楽しいなって思いました。
わからないことはとことん調べて、とにかくその理由を得るのはパパの勉強。それをゆうとに教える。
なぜそんな公式になるのか、その現象の仕組みは、この出来事の原因は、のような。
パパは社会が苦手で、例えば野菜の生産量トップ3なんて全然覚えられなかったのです。そもそもなぜあの野菜なのか、他にももっと野菜あるのに、、、良くわからないけどただの暗記なんてつまらないなと思っていました。しかし、調べてみるとその理由はしっかりありました。
こんなにたくさんのことを知れるのなら、中学高校になっても一緒に勉強していきたいと思いました。
ちなみにゆうとは第一志望の最難関校は不合格でしたが、難関校に合格しました。
第一志望に落ちたゆうとは泣きながら、同じ偏差値の別の学校を受けることを訴えましたが、今の学力だと不合格の確率が高い中で、合格でも不合格でもそこから何を学び、課題とするのか意味を見いだして欲しいことを伝え、以降の受験はあきらめました。
ゆうとはとてもがんばって、かなりの時間を勉強に費やしましたが、それでも勝てなかった相手との違いはいったいなんなのかを考え、改善して成果を出すことが課題です。
ただこの先勉強は一生続きますから、学ぶことを楽しんで欲しい。知らないことを知ることに興味をもって欲しい。知ることの喜びはこの約1年半足らずでわかったのではないかな。
受験はただその時々の自分の学力を相対的に知ることができる機会というだけ。
そんなゆうとは1年前に面積迷路という問題集でまったくパパのスピードに追いつけなかったのに、今一緒に解き直したら暗算のゆうとにまったくスピードが追いつけないパパでした。ただのしょうもない自慢話ですね。
かいととゆうとは一見まったく成長スピードは異なりますが、それぞれの環境で考えられないようなスピードで成長していることを実感している今日この頃です。 ブログで全文を読む
2016年06月26日 22:32
発作で転倒
 ( かいとさんのプロフィール)
今日も発作が多く、ここ一週間で一気に悪化しているように感じます。

昨日は月一の音楽運動療法(ピアノの曲に合わせてトランポリンで跳ねる)の日でしたが、発作が落ち着かないので、お休みしました。

音楽運動療法では通常一人でトランポリンの中心にお座りさせて、周りでトランポリンを揺らします。今回は困難だと思いましたし、無理やり支えたり抱きながらやっても発作があるとスタッフの方にも気をつかわせてしまいそうなので、お断りしました。

昨日はダイアップ3回、今日は2回なので昨日よりは落ち着いていたと言えるでしょうか。

ただ、昨日よりも睡眠が増えているので、脳がお休みしていた分安定していたのかもしれません。

タイトルにある発作の転倒ですが、今日だけでなく実は昨日もありました。

昨日も今日もお座りをしている時に発作があると、体全体に力が入り右半身にけいれんが起こります(強直間代発作)。こうなると意識は失っているので、重みのある頭から倒れてしまいます。

昨日もありました。今日も布団などのクッションを用意してなかったので、床に頭を打ってしまいました。

布団を用意して上に座らせておけば、倒れてもクッションになりますが、テレビ台やソファに掴まりたちになっているときは、布団に倒れるにも範囲がが広がることで、周囲の他の物に頭をぶつけてしまう危険があるので、掴まり立ちをすることのリハビリ効果は大事ですが、やむなく床におろします。

これもまた発作による間接的な悪循環かなと思ってしまいます。

今日は数時間テレビを見ていましたが、それ以外は寝てしまっています。ゴハンも食べずに寝てしまっていますが、先ほどお薬だけは飲ませました。

お薬を飲ませた直後も発作を起こしてしまいました。でもお薬を飲ませないことの危険のほうが大きいので仕方ないです。

お薬を飲ませた後の発作後もすぐに寝てしまいました。

夏の旅行も予定しているので、自然に落ち着くとも思っていませんが、なんとか落ち着いて欲しい。かいともゆうとも家族みんなの思い出になるから。あの時は何でだったんだろうねと、良くわからないけど落ち着いて良かったねと言えるようになりたい。ブログで全文を読む
2016年06月26日 22:32
発作で転倒
 ( かいとさんのプロフィール)
今日も発作が多く、ここ一週間で一気に悪化しているように感じます。

昨日は月一の音楽運動療法(ピアノの曲に合わせてトランポリンで跳ねる)の日でしたが、発作が落ち着かないので、お休みしました。

音楽運動療法では通常一人でトランポリンの中心にお座りさせて、周りでトランポリンを揺らします。今回は困難だと思いましたし、無理やり支えたり抱きながらやっても発作があるとスタッフの方にも気をつかわせてしまいそうなので、お断りしました。

昨日はダイアップ3回、今日は2回なので昨日よりは落ち着いていたと言えるでしょうか。

ただ、昨日よりも睡眠が増えているので、脳がお休みしていた分安定していたのかもしれません。

タイトルにある発作の転倒ですが、今日だけでなく実は昨日もありました。

昨日も今日もお座りをしている時に発作があると、体全体に力が入り右半身にけいれんが起こります(強直間代発作)。こうなると意識は失っているので、重みのある頭から倒れてしまいます。

昨日もありました。今日も布団などのクッションを用意してなかったので、床に頭を打ってしまいました。

布団を用意して上に座らせておけば、倒れてもクッションになりますが、テレビ台やソファに掴まりたちになっているときは、布団に倒れるにも範囲がが広がることで、周囲の他の物に頭をぶつけてしまう危険があるので、掴まり立ちをすることのリハビリ効果は大事ですが、やむなく床におろします。

これもまた発作による間接的な悪循環かなと思ってしまいます。

今日は数時間テレビを見ていましたが、それ以外は寝てしまっています。ゴハンも食べずに寝てしまっていますが、先ほどお薬だけは飲ませました。

お薬を飲ませた直後も発作を起こしてしまいました。でもお薬を飲ませないことの危険のほうが大きいので仕方ないです。

お薬を飲ませた後の発作後もすぐに寝てしまいました。

夏の旅行も予定しているので、自然に落ち着くとも思っていませんが、なんとか落ち着いて欲しい。かいともゆうとも家族みんなの思い出になるから。あの時は何でだったんだろうねと、良くわからないけど落ち着いて良かったねと言えるようになりたい。ブログで全文を読む
2016年06月25日 11:44
一夜明けても発作は継続
 ( かいとさんのプロフィール)

昨日はダイアップで様子見となり、受診は見送りとなりました。ダイアップは3回使いました。

今朝からもやはり数秒の発作を繰り返しているため、ダイアップを使いました。

発作は、まず右足に力が入ってピンと伸び、けいれんが始まります。次に右腕に力が入り、目が右を向きます。数秒で終わるので意識がなくなっているのか判別はつきづらいです。発作後特に右の手のひらにだげ汗をかいていました。

発作のせいなのか、ダイアップのせいなのか、ぐったりしています。体を起こしてお薬を飲ませているときに発作が起きたときは、体全体に力が入っていたので、恐らく支えがないとバタンと倒れてしまいそうでした。また、そうであれば、お座りなどさせないほうが安全に思いました。

午前中に7~8回発作がありました。

今はかいとはテレビを観ていますが、ちょっと笑い声も聞こえたので少し安心しました。

ブログで全文を読む
2016年06月25日 11:44
一夜明けても発作は継続
 ( かいとさんのプロフィール)

昨日はダイアップで様子見となり、受診は見送りとなりました。ダイアップは3回使いました。

今朝からもやはり数秒の発作を繰り返しているため、ダイアップを使いました。

発作は、まず右足に力が入ってピンと伸び、けいれんが始まります。次に右腕に力が入り、目が右を向きます。数秒で終わるので意識がなくなっているのか判別はつきづらいです。発作後特に右の手のひらにだげ汗をかいていました。

発作のせいなのか、ダイアップのせいなのか、ぐったりしています。体を起こしてお薬を飲ませているときに発作が起きたときは、体全体に力が入っていたので、恐らく支えがないとバタンと倒れてしまいそうでした。また、そうであれば、お座りなどさせないほうが安全に思いました。

午前中に7~8回発作がありました。

今はかいとはテレビを観ていますが、ちょっと笑い声も聞こえたので少し安心しました。

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2016年06月24日 09:05
発作の再発
 ( かいとさんのプロフィール)

2年あまり発作がなかったので、このまま緩やかに成長していくものと楽観視していたのですが、そんなに甘くなかった。

ブログの更新は順調なときほどしないものですね。

術後の2年ほど前から発作が消失し、緩やかに発達していました。(それでも1歳程度の状態です。)

物を渡すといたずらにポイをして、自分で笑う。左手を口にあてて笑うこともあります。

お腹いっぱいのときや食べたくないときに食べ物をあげると、顔を背けます。もっと食べたいときは顔近づけたり、手をのばしたり、、、ちぎったレタスやフライドポテトは自分で手づかみで食べられます。

言葉は、「ちっち」、「バイ」、 「おやすみ」など一語ではありますが、種類は増えてきていると思います。

かいとは左脳の半球離断をしているので右半身の麻痺があり、左手をとても良く使い力も強いです。左手を使って右手を持ち上げるような動作もします。

まだつかまり立ちとまではいきませんが、テレビ台やソファに上半身や右腕をついて立つことも多くなりました。このとき右半身麻痺があることから、右足は甲や外側の側面が床に着いていて力が入っていない状態です。足の裏を地面につけてあげると安定しますが、つかまり立ちの状態だとやはり右足がぐらつき不安定です。

今は小学3年生になり、特別支援学校に通っています。

こんな矢先に、右足や右手の軽いけいれんから再発し、この1週間は眼が右に寄ってしまって、右手、右足がけいれんしてしまうので、恐らくは意識を失っているのだろうなと思います。

昨夜から今朝にかけては、発作を繰り返しているようで、昨日はゴハンも食べず発作後は寝てしまっているようです。今朝も眼が右に寄り、右手、右足がけいれん、体は力がはいっている発作がありました。時間は10秒程度で今朝は発作時に声がでていましたね。

思い返せば、発作のあるときは体を横にすることが多くなり、お座りすることが少なくなりました。当たり前ですが発作は発育の最大の敵で、今までの経験ではスピードに差はあるものの悪化していくことばかりでした。

来週大学病院に検査予約をしていたのですが、今日に変更できないかを相談します。でもこの先どんな手があるのか、このような状態の発作は薬じゃ制御しづらく、またケトンというのも、、、外科はVNS(迷走神経刺激療法)しか手がないような。

ここ1カ月でまた心配な状態になってしまいました。

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2016年06月24日 09:05
発作の再発
 ( かいとさんのプロフィール)
2年あまり発作がなかったので、このまま緩やかに成長していくものと楽観視していたのですが、そんなに甘くなかった。

ブログの更新は順調なときほどしないものですね。

術後の2年ほど前から発作が消失し、緩やかに発達していました。(それでも1歳程度の状態です。)

物を渡すといたずらにポイをして、自分で笑う。左手を口にあてて笑うこともあります。

お腹いっぱいのときや食べたくないときに食べ物をあげると、顔を背けます。もっと食べたいときは顔近づけたり、手をのばしたり、、、ちぎったレタスやフライドポテトは自分で手づかみで食べられます。

言葉は、「ちっち」、「バイ」、 「おやすみ」など一語ではありますが、種類は増えてきていると思います。

かいとは左脳の半球離断をしているので右半身の麻痺があり、左手をとても良く使い力も強いです。左手を使って右手を持ち上げるような動作もします。

まだつかまり立ちとまではいきませんが、テレビ台やソファに上半身や右腕をついて立つことも多くなりました。このとき右半身麻痺があることから、右足は甲や外側の側面が床に着いていて力が入っていない状態です。足の裏を地面につけてあげると安定しますが、つかまり立ちの状態だとやはり右足がぐらつき不安定です。

今は小学3年生になり、特別支援学校に通っています。

こんな矢先に、右足や右手の軽いけいれんから再発し、この1週間は眼が右に寄ってしまって、右手、右足がけいれんしてしまうので、恐らくは意識を失っているのだろうなと思います。

昨夜から今朝にかけては、発作を繰り返しているようで、昨日はゴハンも食べず発作後は寝てしまっているようです。今朝も眼が右に寄り、右手、右足がけいれん、体は力がはいっている発作がありました。時間は10秒程度で今朝は発作時に声がでていましたね。

思い返せば、発作のあるときは体を横にすることが多くなり、お座りすることが少なくなりました。当たり前ですが発作は発育の最大の敵で、今までの経験ではスピードに差はあるものの悪化していくことばかりでした。

来週大学病院に検査予約をしていたのですが、今日に変更できないかを相談します。でもこの先どんな手があるのか、このような状態の発作は薬じゃ制御しづらく、またケトンというのも、、、外科はVNS(迷走神経刺激療法)しか手がないような。

ここ1カ月でまた心配な状態になってしまいました。ブログで全文を読む
2014年09月25日 00:51
かいとの近況と所見
 ( かいとさんのプロフィール)
一部不適切な表現があり、読み返してみると支離滅裂な内容だったために内容を編集しました。このブログをご覧いただいたにも関わらず不快な思いをさせてしまったことを深くお詫び申し上げます。


ほとんど更新していないこのブログですが、多くのみなさんにご覧いただいて、大変ありがとうございます。

割りとネガティブというか、発作、内科的治療、手術を少し医学的に書いていたりしますが、近況もアップしておきたいと思います。

引き続き発作なし記録を更新中で半年を超えました。

かいとは主に左脳前頭葉の皮質形成異常(右後頭葉にも少し形成異常があります)があり、右半身の片側麻痺があります。

それまではズリバイでしたが、今は10秒程度の膝立ちや、片側麻痺のうる右足首を固定すればつかまり立ちができるようになりました。

毎日のようにソファーやベッドにあがっては、それなりに上手に降りられるようになりました。

寝返りをうったときなどは、片側麻痺のある右腕を巻き込んで体の下にしてしまい抜け出せないこともありますが、着実に成長が伺えます。

言葉もバイバイ、(モノを見つけて)あった、クック、おかえりなど自分の興味のあるものは段々と言葉にできるようになりました。

他人が聞くと何を言ってるかわからないかもしれませんが、ママも僕もそう聞こえます。

また僕がくしゃみをすると、「ハクシュ!」とマネをしたりします。

嫌なときは大声でイヤと言いますし、食事の時にはごはんを2回に飲み物1回くらいの割合であげるのですが、飲み物のタイミングでないと自分で判断したときは顔を背けて飲みません。

かいとは離乳食中期程度で自分で食べることはできません。

ただ、手のひらに食べ物を少量乗せておくと、自分の手に取り、自分の口に運べるようになりました。

時には元気があり余って強くつねることもあり、1週間くらい跡が残ったりします。眠くて眠くてどうしようもなくて、しばらく奇声をあげたりして、まるで健康な赤ちゃんのように表現します。

発作が止まらずドルミカムを静注し、意識もなく寝たきりの状態だった6年前を思い起こすと、臨床上は奇跡的な発育だと思います。

今はお昼のお薬がなくなり、朝晩のみで、フェノバール、アレビアチン、マイスタン、イーケプラと臭化カリウムやラミクタールは卒業しています。

発育年齢1歳の域は出ていないので、発達度は十数%です。月齢と発達度の関係からすると統計上は飛躍的に発達することはありません。

ただ後5年もすればヨチヨチ歩きくらいはできるようになるのかなぁと淡い期待を抱いています。

やはり発育の退行の代償は取り戻すには大きいなぉと思いつつもゆっくりながらも成長しているかいとが可愛くて仕方ありません。ブログで全文を読む
2014年09月25日 00:51
かいとの近況と所見
 ( かいとさんのプロフィール)

ほとんど更新していないこのブログですが、多くのみなさんにご覧いただいて、大変ありがとうございます。

割りとネガティブというか、発作、内科的治療、手術を少し医学的に書いていたりしますが、近況もアップしておきたいと思います。

引き続き発作なし記録を更新中で半年を超えました。

かいとは主に左脳前頭葉の皮質形成異常(右後頭葉にも少し形成異常があります)があり、右半身の片側麻痺があります。

それまではズリバイでしたが、今はつかまり立ちができるようになり、ソファーやベッドにあがっては、それなりに上手に降りられるようになりました。

言葉もバイバイ、(モノを見つけて)あった、クックなど自分の興味のあるものは段々と言葉にできるようになりました。

また僕がくしゃみをすると、「ハクシュ!」とマネをします。

嫌なときは大声でイヤと言いますし、食事の時にはごはん、飲み物と交互にあ2回に飲み物1回くらいの割合であげるのですが、飲み物のタイミングでないと自分で判断したときは顔を背けて飲みません。

かいとは離乳食中期程度で自分で食べることはできません。

ただ、手にレタスなどを一切れ乗せておくと、自分の手で取り、自分の口に運びます。

自分でスプーンを手に取り、食べ物を救い口に運ぶことはできませんが、素手で食べ物を手に取り、自分の口に運べるようになったのです。

健常者からすれば、偏差値50か51になるかならないかですが、医学的には奇跡的な発達なのです。

業界によって変化に対する度合いは異なると思いますが、最も狭義な度量(例えば臨床)で評価する場合には奇跡的な成長です。

時には元気過ぎてうっとうしいです。加減を知ってか知らずか強くつねられることもあります。1週間くらい跡が残ったりします。かいとの場合、眠くて眠くてどうしようもなくて、奇声をあげナリフリ構わず暴れますが、健常な子でもそんな時期はあったのではないでしょうか。

でもそれまでの植物人間だったようなかいとと比較すると嬉しくてたまらないのです。

正直ムカつくことはありますけど、以前の植物人間ぽいかいとと今の一時(5年くらいたちます)とどちらが良いかなんて、今の方が良いに決まってます。

えー、つまりは子煩悩な親バカなわけですが、かいとの医学会での奇跡の一助になればと思います。

つまりかいとは元気ということです!

長々と失礼いたしました。

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2014年05月19日 09:29
術後2ヵ月発作なし
 ( かいとさんのプロフィール)
術後は髄液漏や感染症もなく順調に退院できていました。

術後翌日にはICUから病棟に戻れました。その後、3月19日に退院しました。

術後1週間程度、発作の残存がありましたが、その後2ヵ月経った今は発作の再発はありません。

退院して4月からは養護学校で新1年生を迎え元気に通っています。

やはり発作がないと、どこまでもズリバイですすんでいってしまい、ケトン食療法中のときと同じくらい活発です。

発達面では気に入らないことは、声と表情でより顕著に表現できるようになりました。嫌な顔して大きな声でアー!と言えるようになりました。

言葉もクックやおかえりーなど、もしかしたら親にしか聞き分けられないかもしれませんが、決して多くはないけれど、術前よりもあきらかに多くの言葉を使えています。

病変を完全に除去したわけではありませんが、これまでの発作ゼロ期間のレコード更新中です。

実は先週一週間発熱と咳がひどく学校をお休みしていました。今までだと発作の再発や悪化がありましたが、今回は再発がありませんでした。

油断はできませんが、発作が消失することを願っています。ブログで全文を読む
2014年05月19日 09:29
術後2ヵ月発作なし
 ( かいとさんのプロフィール)
術後は髄液漏や感染症もなく順調に退院できていました。

術後翌日にはICUから病棟に戻れました。その後、3月19日に退院しました。

術後1週間程度、発作の残存がありましたが、その後2ヵ月経った今は発作の再発はありません。

退院して4月からは養護学校で新1年生を迎え元気に通っています。

やはり発作がないと、どこまでもズリバイですすんでいってしまい、ケトン食療法中のときと同じくらい活発です。

発達面では気に入らないことは、声と表情でより顕著に表現できるようになりました。嫌な顔して大きな声でアー!と言えるようになりました。

言葉もクックやおかえりーなど、もしかしたら親にしか聞き分けられないかもしれませんが、決して多くはないけれど、術前よりもあきらかに多くの言葉を使えています。

病変を完全に除去したわけではありませんが、これまでの発作ゼロ期間のレコード更新中です。

実は先週一週間発熱と咳がひどく学校をお休みしていました。今までだと発作の再発や悪化がありましたが、今回は再発がありませんでした。

油断はできませんが、発作が消失することを願っています。ブログで全文を読む
2014年03月03日 21:05
手術終了
 ( かいとさんのプロフィール)

先ほど面会終了時間ギリギリにICUに入ることができました。

手術は8:40に入り14:50頃に完了の連絡をもらったようなので、予定通り6時間ほどで終わりました。

輸血もせずに順調に終えたので安心しました。

今回で、前回の左脳半球離断で離断しきれていなかった箇所を離断したことで、完全な半球離断となりました。

ただ、かいとには右脳の後頭葉にも皮質形成異常があり、主治医(初めての手術のときは講師でしたが教授ななっていました)からは、術後は右脳からの発作が怖いとのことでした。

それが、2時間後に群発の発作が起きてしまい、ダイアップを使ったそうです。

以前に術後の発作は、それまでの残存で起こることがあると聞いたことがありますが、脳波をとってみないとわからないですね。

僕が面会した頃には、重そうな眼をわずかに開けてくれて、両腕に点滴されていましたが、動かせる左手で抱っこしてくれようとするくらい活発でした。

笑ってもくれたし、指に触れると力強く握るし、今までの手術で一番術後の状態が良いかもしれません。

前回までを振り返ると、術後は抗生剤やら輸液やらでたくさん点滴していた印象ですが、ドレーンはまだ外れませんが今回は点滴2つだったので、この差はなんだろうと。

あとバイタルも以前に比べるととても安定していて、HR130台と術前の10~20%増し程度です。SpO2は100だったので、術前よりも好成績でした。

これからは感染症と髄液漏の危機が待っていますが、このまま平和に退院して欲しい。

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2014年03月03日 21:05
手術終了
 ( かいとさんのプロフィール)

先ほど面会終了時間ギリギリにICUに入ることができました。

手術は8:40に入り14:50頃に完了の連絡をもらったようなので、予定通り6時間ほどで終わりました。

輸血もせずに順調に終えたので安心しました。

今回で、前回の左脳半球離断で離断しきれていなかった箇所を離断したことで、完全な半球離断となりました。

ただ、かいとには右脳の後頭葉にも皮質形成異常があり、主治医(初めての手術のときは講師でしたが教授ななっていました)からは、術後は右脳からの発作が怖いとのことでした。

それが、2時間後に群発の発作が起きてしまい、ダイアップを使ったそうです。

以前に術後の発作は、それまでの残存で起こることがあると聞いたことがありますが、脳波をとってみないとわからないですね。

僕が面会した頃には、重そうな眼をわずかに開けてくれて、両腕に点滴されていましたが、動かせる左手で抱っこしてくれようとするくらい活発でした。

笑ってもくれたし、指に触れると力強く握るし、今までの手術で一番術後の状態が良いかもしれません。

前回までを振り返ると、術後は抗生剤やら輸液やらでたくさん点滴していた印象ですが、ドレーンはまだ外れませんが今回は点滴2つだったので、この差はなんだろうと。

あとバイタルも以前に比べるととても安定していて、HR130台と術前の10~20%増し程度です。SpO2は100だったので、術前よりも好成績でした。

これからは感染症と髄液漏の危機が待っていますが、このまま平和に退院して欲しい。

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2014年03月02日 12:36
明日は5回目の手術
 ( かいとさんのプロフィール)
結局のところ、また土壇場までインフォームドコンセントの日時が決まらず、直前に日時変更があり、僕は説明を受けることができませんでした。

前回の反省は生かされなかったようで、とても残念です。

妻ともこの一連のゴタゴタが原因で手術日が確定したか否かが直前までわからず、仕事の調整がつかずに手術日に僕は病院には行けなくなってしまいました。

今回で開頭手術は最後になるわけですが、前回行った半球離断で、どうも完全に離断できてないと思われる箇所(大脳基底核と後頭部)を離断します。

手術時間は5~6時間の予定で、今までの手術の約半分の時間で終わるようです。

これから術前最後の付き添いですが、術後に元気な姿で会いたいです。

先週までのかいとは、発作が1日に10回以上起こり、それぞれの発作は概ね1分以内で、けいれんするもの、心拍があがり気分が悪くなるもの、強直するもの、強直に加えて意識消失するものと様々です。

術後、発作が増えてくるようであれば、ケトン食療法の再開、それでもコントロールできなければVNSとのことです。

5回目にして初めてのバタバタで、手術や術後管理が心配で、何も起こらなければ良いと願うばかりです。ブログで全文を読む
2014年03月02日 12:36
明日は5回目の手術
 ( かいとさんのプロフィール)
結局のところ、また土壇場までインフォームドコンセントの日時が決まらず、直前に日時変更があり、僕は説明を受けることができませんでした。

前回の反省は生かされなかったようで、とても残念です。

妻ともこの一連のゴタゴタが原因で手術日が確定したか否かが直前までわからず、仕事の調整がつかずに手術日に僕は病院には行けなくなってしまいました。

今回で開頭手術は最後になるわけですが、前回行った半球離断で、どうも完全に離断できてないと思われる箇所(大脳基底核と後頭部)を離断します。

手術時間は5~6時間の予定で、今までの手術の約半分の時間で終わるようです。

これから術前最後の付き添いですが、術後に元気な姿で会いたいです。

先週までのかいとは、発作が1日に10回以上起こり、それぞれの発作は概ね1分以内で、けいれんするもの、心拍があがり気分が悪くなるもの、強直するもの、強直に加えて意識消失するものと様々です。

術後、発作が増えてくるようであれば、ケトン食療法の再開、それでもコントロールできなければVNSとのことです。

5回目にして初めてのバタバタで、手術や術後管理が心配で、何も起こらなければ良いと願うばかりです。ブログで全文を読む
2014年02月08日 13:50
手術はさらに1ヶ月延期
 ( かいとさんのプロフィール)
昨日は手術にあたってインフォームドコンセントの日でした。

会社を早退し病院に着くと、手術は延期のためインフォームドコンセントはなしになったと妻から聞きました。

インフォームドコンセントの20分前に言われました。

手術の延期は理解できますが、急変したわけでもないのに、なぜそんな直前でないと延期の判断ができなかったのか疑問でなりません。

かいとが最も大事なことに変わりはありませんが、かいとの治療のためにも仕事があるわけです。

かいとの状態ではなく、単に病院の都合で振り回されるのは勘弁です。病院の都合もあるでしょうが、家族への配慮も考えて欲しいものです。

さて、かいとの状態は継続的に白血球が200を切るまでに減少していて、もはや日常生活も危険という状態です。

白血球の回復を待つため、1ヶ月様子をみるということでした。

週明けに血液検査をして退院できるかどうか検討するということらしいのですが、白血球がある程度戻ったとしても、日常生活が危険な状態と判断した3日後に退院しましょうとなるのでしょうか。

1ヶ月もの延期の必要性があるものをインフォームドコンセントの20分前に判断したこと、根拠のない3日後の退院検討・・・病院への不信感が一気に高まりました。
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2014年02月08日 13:50
手術はさらに1ヶ月延期
 ( かいとさんのプロフィール)

昨日は手術にあたってインフォームドコンセントの日でした。

会社を早退し病院に着くと、手術は延期のためインフォームドコンセントはなしになったと妻から聞きました。

インフォームドコンセントの20分前に言われました。

手術の延期は理解できますが、急変したわけでもないのに、なぜそんな直前でないと延期の判断ができなかったのか疑問でなりません。

かいとが最も大事なことに変わりはありませんが、かいとの治療のためにも仕事があるわけです。

かいとの状態ではなく、単に病院の都合で振り回されるのは勘弁です。病院の都合もあるでしょうが、家族への配慮も考えて欲しいものです。

さて、かいとの状態は継続的に白血球が200を切るまでに減少していて、もはや日常生活も危険という状態です。

白血球の回復を待つため、1ヶ月様子をみるということでした。

週明けに血液検査をして退院できるかどうか検討するということらしいのですが、白血球がある程度戻ったとしても、日常生活が危険な状態と判断した3日後に退院しましょうとなるのでしょうか。

1ヶ月もの延期の必要性があるものをインフォームドコンセントの20分前に判断したこと、根拠のない3日後の退院検討・・・病院への不信感が一気に高まりました。

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2014年01月29日 01:05
発作群発で再度緊急入院
 ( かいとさんのプロフィール)
今日はT大学病院の通院日だったわけですが、待合室で発作が群発してしまい、診察中も発作が起き続けたようで、緊急入院となりました。

血液検査の結果、フェノバルビタールとフェニトインの血中濃度が過去最低とのことで、フェノバールを静注しました。

一旦は落ち着いたようですが、今日は一晩ビデオ脳波をとり、明日は睡眠時脳波をとるようです。

発作がおさまらないようであれば、ドルミカムで鎮静させて手術を迎えるとのことです。ドルミカムを使うと誤嚥しやすくなり、肺炎のリスクが高まるため、栄養はマーゲンチューブで鼻からの注入となります。

ドルミカムとマーゲンチューブは0歳の最悪の状態の頃を彷彿させます。

また発育が退行しそうですが、発作をおさえて万全の態勢で手術に臨むのが最優先と考えたいです。ブログで全文を読む
2014年01月29日 01:05
発作群発で再度緊急入院
 ( かいとさんのプロフィール)
今日はT大学病院の通院日だったわけですが、待合室で発作が群発してしまい、診察中も発作が起き続けたようで、緊急入院となりました。

血液検査の結果、フェノバルビタールとフェニトインの血中濃度が過去最低とのことで、フェノバールを静注しました。

一旦は落ち着いたようですが、今日は一晩ビデオ脳波をとり、明日は睡眠時脳波をとるようです。

発作がおさまらないようであれば、ドルミカムで鎮静させて手術を迎えるとのことです。ドルミカムを使うと誤嚥しやすくなり、肺炎のリスクが高まるため、栄養はマーゲンチューブで鼻からの注入となります。

ドルミカムとマーゲンチューブは0歳の最悪の状態の頃を彷彿させます。

また発育が退行しそうですが、発作をおさえて万全の体勢で手術に臨むのが最優先と考えたいです。ブログで全文を読む
2014年01月23日 01:12
お陰さまで退院できました 手術は10日に延期
 ( かいとさんのプロフィール)
本日退院できたようです。

皆さまにたくさんご心配いただき暖かいお言葉をありがとうございます。

病院やママからちゃんと聞けていないのですが、どうもインフルエンザにかかり、肺炎をおこしかけていたことがレントゲンからわかりました。

CRPが15を超え入院となりました。

このとき、血中濃度のバランスが崩れて、フェニトインの血中濃度が上昇し、重度の中毒症状を引き起こしたのではないかという推測です。

今までも体調を崩して、血中濃度のバランスを崩すことはありましたが、今回のような重度の症状は初めてでした。

そんな中でも一番最初に診断してもらい、転院まで献身的に診療していただいたK先生と再会できたようで、かいとも安心して入院できたのではないかと思います。

ゆうともインフルエンザにかかっていて、昨日に登校禁止が解けたのですが、ママがかいとの付き添いをしていたために、学校に行けず実家で面倒を見てもらいました。

ゆうとは、なんとか今日から大好きな学校に登校することができ良かったです。

もともと、かいとは今月に27日に最後の開頭手術を予定していたのですが、案の定延期となり、2月10日に延期することになりました。

また家族は離ればなれになりますが、まずは手術に向けて体調を整えていけると良いなと思いました。ブログで全文を読む
2014年01月23日 01:12
お陰さまで退院できました 手術は10日に延期
 ( かいとさんのプロフィール)
本日退院できたようです。

皆さまにたくさんご心配いただき暖かいお言葉をありがとうございます。

病院やママからちゃんと聞けていないのですが、どうもインフルエンザにかかり、肺炎をおこしかけていたことがレントゲンからわかりました。

CRPが15を超え入院となりました。

このとき、血中濃度のバランスが崩れて、フェニトインの血中濃度が上昇し、重度の中毒症状を引き起こしたのではないかという推測です。

今までも体調を崩して、血中濃度のバランスを崩すことはありましたが、今回のような重度の症状は初めてでした。

そんな中でも一番最初に診断してもらい、転院まで献身的に診療していただいたK先生と再会できたようで、かいとも安心して入院できたのではないかと思います。

ゆうともインフルエンザにかかっていて、昨日に登校禁止が解けたのですが、ママがかいとの付き添いをしていたために、学校に行けず実家で面倒を見てもらいました。

ゆうとは、なんとか今日から大好きな学校に登校することができ良かったです。

もともと、かいとは今月に27日に最後の開頭手術を予定していたのですが、案の定延期となり、2月10日に延期することになりました。

また家族は離ればなれになりますが、まずは手術に向けて体調を整えていけると良いなと思いました。ブログで全文を読む
2014年01月19日 14:02
意識消失で救命
 ( かいとさんのプロフィール)
いま救命で処置中です。

10:30頃から両眼が上転し、20分後から嘔吐を繰り返し、ずっと意識が戻らなかったため、救急車を手配しました。

今月に手術を控えて、T大学病院に確認した上で救急車を呼んだわけですが、救急車が来るまでの間に、てんかん治療以外(風邪など)でかかっているM病院に連絡して、救急車の方にはM病院に運んでいただきました。

まだ意識は戻りません。

一昨日にインフルエンザにかかり、タミフル服用で状態は安定していたのですが、突然急変しました。

今のバイタル
呼吸30、脈拍120、サチュレーション95
血圧110-68

サチュレーションがちょっと低いのでマスクをしていますが状態は安定しています。

ただ手足が冷たいので暖かくなってから検査する予定です。

次の週末に入院でインフォームドコンセント、週明けにオペの予定ですが、ずれるかもしれません。

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2013年12月18日 09:42
5回目の開頭手術へ
 ( かいとさんのプロフィール)
約2年ほどかいとに関するブログから
遠ざかっていたのですが、5回目の開頭手術に
向けて準備が進みだしたので、徐々にブログを
復活させていこうと思います。

かいとももう6歳になりました。

これまでのかいとは夏に約2年間のケトン食療法を
終えました。

今のかいとをみるとケトン食療法は一定の成果が
あったことを実感します。

ケトン食療法中は、行動は活発でどこまででも
ズリ這いて来てしまう。大きな声は出すし、
夜中まで起きていて元気でした。

ケトン食療法を止めて間もなく、あまり動かなく
なり、寝ている時間が増えている。

発作も増え発達ともに悪化している印象です。

ケトン食療法中の発作は、数秒から数分間
右手右足のけいれんが日に数回程度でした。

ケトン食療法を止めてからは、突然意識消失をして、
前に倒れる発作が出現しました。

座っている状態から前に倒れ、頭を打ちつける前に
意識が回復し、手をつける状態が今では意識が
戻らないまま、頭を床に打ちつけてしまいます。

手足が強直して意識を失って(目は左上を向いて)
けいれんする発作も増えました。

最近は発作中に声を出すので、気づくように
なりました。

大きくなったから以前よりも体力があって
安心ということですが、感情が豊かになった分、
痛い思いをさせることに気が引けます。

ただ手術適応であること、この先長いかいとの
一生を考えれば、一時的な苦痛は乗り越えて
もらうしかないのかもしれません。
ブログで全文を読む
2013年02月15日 10:29
父の告別式
 ( かいとさんのプロフィール)
今日は父の告別式。

慢性腎不全で人工透析をするようになり20年余り。

肺炎で亡くなりました。

2月11日
母から連絡を受け、入院先の病院から父が心停止したと連絡があったとのこと。

僕が病院に着いたときは死亡確認後でした。

父は、亡くなる数十分前には看護師さんとお話ししていて、看護師さんが点滴交換に再訪したら、心停止していたとのこと。

年末から肺炎を発症して、CRPが25くあり入院が決定。1週間後にはCRPが9。

それから1ヶ月余り、抗生剤を打ち続けてもCRPは下がりませんでした。

数年前には弁膜症で、1つの弁しか機能しておらず、いつ心臓が止まってもおかしくないと言われていました。

もともと人工透析で胃よりも肥大して弱った心臓だったので、限界だったのかもしれません。

退院したら施設に入る予定で契約していました。

父は家に戻りたかったところ、母も父の介護で限界だったので、究極の選択でした。

僕の誕生日が過ぎてから亡くなった父、、、家に帰りたくて仕方なかったんだ、きっと。


最後までごめん。おかえりなさい。ブログで全文を読む
2011年12月25日 23:49
2年間に4度の開頭手術
 ( かいとさんのプロフィール)

僕らは大きな病気をしたことがなかったから、開頭手術なんて初めて死を意識しました。

かいとは笑うことも泣くこともしなくなっていたから、前頭葉のダメージが大きいのだと実感しました。

もう手術しかないと思ったし、今思えば手術適応がなかなかない中で、かいとが手術できたのは運が良かったのだと思いました。

1回目:2008年11月19日
左前頭葉を焦点とした発作が右脳に広がって全般化するので、右脳への経路を断ち切るために脳梁離断しました。

あとは発作の焦点が左前頭葉の前頭連合野の皮質を切除しました。これと引き替えに右指を1本ずつ動かすようなことはできなくなります。

16時間に及ぶ手術は無事に終了しました。


2回目:2009年2月13日
頭頂葉感覚野(かいとの運動野はここに移っているらしい)のMST、側頭葉前方の皮質切除です。

MSTは、と呼ばれ、皮質切除をすると機能不全となってしまいますが、切り込みを入れることによって機能を温存する術法です。

切り込みを入れると発作が切り込みによって遮断され、脳に広がるのを防ぐ効果が見込まれます。

手術時間は11時間半。

今回も右指の麻痺がリスクでしたが、問題ありませんでした。

ミリ単位の手術なので、ちょっとずれただけで麻痺してしまう可能性があるのです。


3回目:2009年8月17日
2回目よりも範囲を広げて感覚野のMST、感覚野側方から新たな発作の焦点となった後頭葉視覚野にかけての皮質を切除。

今回は右目の視覚に影響するので、右側の視覚が上下右に45度狭まり、遠近感が掴みづらくなるようです。

手術時間は11時間半で無事に終わりました。

視覚はまだ話せないので話せるようになってからじゃないと、健常者よりも視覚が狭いのかわかりません。


4回目:2010年7月26日
今までの手術では発作は改善されたものの消失には至らず、左脳自体を意図的に機能不全化して、完全に左脳を脳から切り離す半球離断をしました。

左脳が脳に接続している箇所を離断して、脳の中で宙ぶらりになります。結果左脳は機能不全となり萎縮します。その代わりに発作が脳に広まることはなくなるというわけです。

一方の右脳が大きくなり、右脳で全身をコントロールすることになります。

これでかいとの左脳はなくなったのと同じです。

それでも生きていける人間はすごいと思いました。


今では離断したはずの左脳がまだ脳とつながっているようだとのことで、5回目の手術の可能性が出てきました。

MRIでみると脳の深部では完全に離断にできておらず、神経ネットワークが左脳から右脳に伸びていました。

ですが、一旦はケトン食で様子をみることになりました。

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2011年12月13日 01:19
初めての入院から重篤まで
 ( かいとさんのプロフィール)

入院から重篤までわずか2ヶ月のことでした。

2008年8月(生後10ヶ月)に今までにない発作が出現しました。嘔吐して目をパチパチして意識混濁した発作が5分程度続きました。

買い物先のショッピングセンターでのことで、今までにないタイプの発作であることと、いつ発作が終わるか見通しがたたなかったことから救急車を呼びました。

病院についたらかいとはケロッとしていたのですが、翌月には月に100回近くの発作を起こし、長い入院生活となりました。

妻は平日泊まり、僕は金曜から2泊3日、長男ゆうとは妻の実家に預け、家族はバラバラとなったのです。

昼夜問わず1日に数十回も強直間代発作を起こし、心拍は180以上になります。1回あたりの発作の時間は1分~数分。

呼吸困難、目は右上を向き、右手を天井に向かってあげる。手足は小刻みにけいれんする。

とても苦しそうだけど、サチュレーションは90を下回ることがない。

もはや寝たきりに近い状態になり、経口での食事は摂れず、鼻からの経管となりました。お座りもできなくなり、発育が退行していったのです。

薬はマイスタン、アレビアチン、フェノバール、臭化カリウム、ラミクタール、ドルミカムと変わっていきました。

内科治療の限界を感じ、外科治療の可能性を探るべく、SPECT、PET、MRI、脳波を取り、外科適応と判断されました。

このM病院では手術できないため、T大学病院に転院することになったのは入院してから2ヶ月ほどのことです。

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2011年12月08日 09:27
はじめての発作から診断まで
 ( かいとさんのプロフィール)

やっぱりこのブログはかいとのものなので、かいとのことを書こうと思います。

かいとはもう4歳になりました。

ブログも長くなってきたので、一旦今までを振り返ろうと思います。

2007年10月9日かいとは次男として誕生しました。

長男と変わらず元気な男の子でした。

首も座り、お座りもでき、離乳食を食べ、順調に育っていったかいとの最初の発作は、生後7ヶ月のことでした。

夜中に意識を消失して、呼吸困難と全身けいれんを起こしました。発作は数分でおさまり、かいとはそれまで通りに寝入りました。

とても数分には感じられず、とても長い時間に感じました。

僕たちは驚きながらもどこか冷静で、救急車を呼ぶことはなく病院探しをしました。

病院でも乳幼児には良くある一時的なけいれんと診断されました。

ただ病院では念のため脳波、念のためCT、念のためMRIと精密検査が進んでいきました。

診断は、大脳皮質形成異常、多小脳回でした。

これは先天的な脳の異常で、大脳皮質形成異常は主に左脳の神経ネットワークが成長しない病気で、多小脳回は脳のしわが多すぎたり少なすぎたりする状態です。

これがわかったのは最初の発作から約1ヶ月後のことでした。

この頃の発作は全身をガクガク震わせ、意識を消失し、目を開いて上を向きながら、呼吸困難な状態で1分前後続きました。

頻度は月1回から1週間に1回、その1回が1日に数回と徐々に頻繁になってきました。

薬は最初テグレトールを処方され、アレルギーの疑いで、ハイセレニンに変え、エクセグランと変わっていった最中でした。

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2011年08月17日 02:32
かいとブログはお休みします
 ( かいとさんのプロフィール)

少しブログをお休みしようかと。

僕は必要以上のことをブログに書き過ぎたかも。

かいとのことを書くつもりが自分ネタが主になってしまった。

これからはケトンのレシピブログにしようと思ってたけど、そうもいかないみたいだ。

せっかくだから、僕の環境もまとめよう。

僕の父は慢性腎不全の1級障害者。

母と2人で暮らしてる。

僕の父が養子だったことを知ったのは祖父が死んでから。

僕が好きだったおじいちゃんは実祖父の兄だった。

おじいちゃんは友人たちと出かけた旅先で脳梗塞で亡くなった。

朝風呂に入ったときに脳が寒暖差に耐え切れなかったそうな。

おじいちゃんは2泊3日で出かけた。

当時のカレンダーには出かける予定の3日分に○がついていて、2日目と3日目には×が上書きされていた。

おじいちゃんが出かける前に、僕はおじいちゃんに質問した。

「なぜ×がついてるの?」と。

おじいちゃんは僕が普通に納得する答えを返してくれたが、記憶にない。

亡くなった直後も覚えていなかったし、今も思い出せない。

ただ質問したことだけは明確に覚えている。

家族の中でカレンダーの異変に気づいたのは僕だけだった。

小学校5年生のときだった。

僕の人生でとても印象深い出来事だった。

認知症も患い寝たきりとなっていた祖母は、母が四六時中世話をし、おじいちゃんより前に亡くなっている。

やがて実祖父、実祖母が亡くなり、ややこしい遺産問題に対峙した。

いま慢性腎不全と軽度の認知症である父の成年後見人になる準備を進めている。

父の弟、精神疾患のある父の妹と、父の代理人として協議をしてきたが、解決の糸口がみえない。

父の挙動に母も困っているし、コミュニケーションが成立しない母と父の2人暮らしの実家での生活管理も怪しいから。


僕には大脳皮質形成異常で、脳梁離断、左脳皮質切除、MST、左脳半球離断と4度の開頭オペを行い、それでも毎日発作を起こし、ケトン食療法を始めたかいとがいる。

健常なゆうとと妻。

妻の弟も不治の病に侵されている。


僕は実は精神疾患があるらしい。
心療内科に通っている。

症状は不眠のみで今はほとんど大丈夫だけど、一時期は大量の睡眠導入剤を飲んでいた。

僕は寝なくても生きていけるし、月間の残業を250時間オーバーこなしても平気だった自負もある。

でも仕事が安定して毎日家に帰れるようになると、睡眠をとることに執着してしまった。

欲深いね。

寝なくて大丈夫なら眠くなるまで起きてればいいのに。

何もしないで起きてることが辛いのだと、このわがままっぷりは救いようがない。

人間は環境に応じてどこまでも欲深くなる。

いっそのこと欲を排除しようと振り切ろうとしてみたり(宗教じゃなくて)。

ほら、この振る舞いが病んでいると、僕じゃなくて精神疾患のせいにされる。

僕なんだよ、すべての原因は。

世の中事象がすべてで感情なんて必要ないんだ。

人間は前頭葉が発達し過ぎた。主に前頭連合野が。

僕に前頭連合野は必要なかったんだ。

でも僕は大丈夫。

たぶん世の中滅亡しても僕だけ生き残るタイプだから。

周りでバタバタ倒れても僕は平気だった。

僕は寂しがり屋だけど誰よりも強い。

大事な人は巻き込みたくない。

これは僕だけの問題だから。

だからこんななってしまって、かいとのことも満足に書けないブログは意味がないので、お休みしようと思います。

僕はブログを通じて得た出会い、喜び、励み、悲しみ、全部背負って人生を送りたいと思います。

ケトンの方程式も書いたし、みなさん大丈夫でしょ^^

ホントはケトンとかいとの発作の相関も書くべきなんだろうけど、今は書ける見通しがたたないので、ごめんなさい。

変化がありましたら、ご報告するかもしれません。

みなさんのご多幸をお祈りもうしあげます。

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2011年08月14日 20:20
ケトン食開始のため、かいと入院
 ( かいとさんのプロフィール)

かいとのケトン食療法が始まりました。

ケトン食は、主に脂質に偏重した食事をとることで体内にケトン体というものを作り出し、維持していくものです。

ケトン体の天敵は糖質です。ゴハンやパンなどの炭水化物も体内で糖質となりますから、これらの摂取はできません。

よく脱水症状となった人にケトン体が見受けられたりします。

これは体は糖質から吸収していくので、糖質が著しく減った結果、脂質をエネルギー源にしている状態のようです。

さて、ケトン食では献立を考える上でケトン比やケトン指数が基準となります。

○ケトン比=ケトン物質(K):反ケトン物質(AK)
○ケトン指数=K/AK

KとAKってなんでしょうか。KetoneとAnti-Ketoneでしょうか。

ケトン指数が2(ケトン比K:AK=2:1)以上でないと、体内にケトン体は作られません。

市販の本ではケトン指数2.5前後を目安が多いのですが、今回の入院ではケトン指数3前後が目安となっています。

次にKとAKはどのように構成されるかですが、これがややこしいのです(^^;

Kは脂質(F)とたんぱく質(P)約半量です。
K=0.9F+0.46P となります。

FとPはなんでしょう。FatとProteinでしょうか。

AKは糖質(C)と少しの脂質と約半量のたんぱく質です。
AK=C+0.1F+0.58P となります。

Cはなんでしょうか。炭水化物のCarbohydrateでしょうか。

ケトン指数K/AK=(0.9F+0.46P)/(C+0.1F+0.58P)

とにかくややこしいですね^^;

レシピ本もたくさん出ていますが、基本的には飲食材料や調味料の脂質(F)、たんぱく質(P)、糖質を含めた炭水化物(C)のそれぞれの量を計算しないと献立を作れません。

かいとは10月で4歳となり、体重は13kgですし、エネルギーも重要です。

病院では1200kcal/日~1300kcal/日が基準となっています。

これはパソコン使いながらでないと無理ですね。

食材や調味料のマスターを作り、項目と量を入力するとケトン指数とエネルギーが表示されるような。

エクセルで十分ですね。アクセスのほうがいいかな。

本ではソースやケチャップもダメだと書いてありました。普通に糖質多そうですね。

醤油とマヨネーズくらいしか使えないのもかわいそうなので、ケトン指数を維持できれば使用して問題ないのか。

甘味料としてパルスイートを薦められていますが、同様にケトン指数を維持することを前提としての糖分摂取は問題ないのか確認したいです。

例えば砂糖を摂取するとケトン指数計算上には表れない効果減退を及ぼしてしまうのか、とか。

病院では毎日数回、血糖値を測定しています。

ケトン食を始めると低血糖症になりやすいのだとか。

少しずつケトン食についてわかってきました。

一方で薬が増え、下記のようになりました。
フェノバール
アレビアチン
マイスタン
臭化カリウム
ラミクタール
ウラリット-U(結石防止)
ビタメジン(ビタミン剤)


久しぶりにかいとに会えた*^^*

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2011年08月08日 01:24
脳梗塞患者のお見舞い
 ( かいとさんのプロフィール)

今日、久しぶりに故祖父母のお墓参りに父母と行った。

なんとなく周りのお墓の墓誌をみて歴史と寿命の相関を感じた。

主に戦前後の寿命の短さや、歴史的な出来事に依存した命を感じた。

その後、母の提案で実家の隣に住んでいて仲の良かったおばあちゃん(知人)のお見舞いに行った。

脳梗塞をおこして、比較的近所のリハビリセンターで入院していた。

母からは寝たきりで、もはや感情を表情にあらわすことができる程度で話すこともできず、ガンを併発しているとのことだった。

病室に入ってみた姿は、まるで別人だったけど、わずかに面影が残っていた。

経口での食事は困難で鼻からの経管だった。

左手は鼻の管を外さないように手袋をはめられていた。

右半身麻痺で左半身は動かせていた。

左脳前頭葉中心の梗塞だったのだと思った。

正直、かいとと違って失われた左脳の機能を右脳で代替することや可塑性を期待するのも簡単じゃない。

僕に何ができるのだろう。

病室にはST、PT、OTのカリキュラムが貼られていた。

かいとのことで多少の予備知識があった。

右手や右足は握っても反応がなく、左手と左足は反応する。

手を握ると力強く握り返してきて、呼びかけると目を見開いて口をモゴモゴさせて何か言いたそうだけど、音にしかならない。

悔しいだろうな。

僕はおばあちゃんと自分の最近のことがこみ上げて涙が頬を伝った。

そうすると一層力強く手を握り返してきた。

数十分おばあちゃんと一緒にいて病室を後にした。

母いわく、おばあちゃんは僕をめにかけてくれていて、あんなに反応するのは希なんだと。

僕は実家に帰るときは時々おばあちゃんの好きなビールを差し入れて、お茶をご馳走になったりしていた。

とても元気なおばあちゃんで、ただの近所のおばあちゃんなのに、なぜか好きだった。

おばあちゃんの喜ぶ顔が見たかった。

今日も喜ぶ顔が見れたので、実家に帰るときは、おばあちゃんの病院に見舞うことを誓った。

おばあちゃんなら僕の相談に乗ってもらえそうだ。

次に会うときは今日より元気だといいね。

お大事に、おばあちゃん。


でも僕はまず家族か。

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2011年08月08日 00:27
戻る糸口もなく悪化の一途
 ( かいとさんのプロフィール)

僕はインターネットに携わる人間として忘れていたことがあった。

こうきママさんのように僕のブログをみて下さっていて、アラートをあげて下さる人がいる。

インターネットのSNSは偉大だなと感じました。

ありがとうございます。

とても嬉しいコメントでした。

僕が全容をお話ししてないからですけど、不揃いの夫婦をみる子どもよりも確立した片親をみるほうが子どもにとっては幸せなんじゃないかと思うのです。

親関係や親戚関係に言及している、こうきママさんは確信をついていて、すごいと思いました。

ブログではそこまで言及してないのに。

僕は妻に不満はないのです。

子どもを支える支点に対しては同じ作用点をもってる気がします。
僕たち夫婦としての支点は別々の作用点をもってる気がします。

僕たち夫婦に一般的な喧嘩や話し合いは成立しないのではないかと思うのです。

今まで本当の意味で向き合うことがなかったのかもしれません。

話し合いといっても彼女の背中に向かって話しかけ、彼女は僕とは反対方向に向かって僕に話す。

彼女が向き合えば、僕は横を向いて話す。

物理的にさえも向き合ってないから、お互いが言ってることの誠意も伝わらない。

彼女は自分の身の回りの人たちを固めた。

僕はもはや彼女の環境には入れない。入りたくない。

もはや道は決まっているのではないか。

僕たちのコミュニケーションはすでに対面からメール、書き置きへと疎になっている。

僕たちはお互いを知らなすぎて結婚したのかもしれない。

それを知りたいと思った僕が悪いんだな。

嫌いだから別れるんじゃない。

どうせ将来嫌わられて別れるなら。

いま家族のために。

それが偽善というなら、僕の身勝手のために。

いや僕が彼女を嫌いになればいいのか。

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2011年07月24日 23:08
離婚協議
 ( かいとさんのプロフィール)

僕は親のトラウマからなのか怒りの感情を家庭では出さない。

出さないのではなく、ないと言ったほうが正しいかも。

父はいわゆるDVだった。

母親とも分かち合えない。

だから、離婚問題はママが嫌いだとかじゃなくて、話は淡々としている。

僕はどこかママやママの家庭にコンプレックスをもっている。

だから3人(ママと子どもたち)が将来幸せだったら、何でもいい。

僕は、僕自信が不幸だという感情をもたないから。

ママは強い。僕がいなくても大丈夫だし、同じ歳だけど引く手あまただと思ってる。

僕も強いけど、違うのはダメ男で、育ってきた環境も悪い。

でもノタレ死ななくて最後まで生き残ってるタイプ。

僕たちは結婚生活や育児の中で、本音を話せなくなってきた。

何のストレスもなく。
いずれ将来、ママに愛想つかれて嫌われて出ていかれるより、今のほうがいいのではないか。

自分が傷つきたくないだけなのかな。

わからないけども。

今が良いきっかけだと思うけど、やっぱり本音を話せないお互いの強さなのか、意地なのかはあるような気がする。

子どもにとっても僕が離れたほうが良い気がする。

離婚前提でのママの要求に満額回答できない情けなさはあるけど、それでも将来一緒に居続けて、嫌い合って泥沼化するより、今が良い気がする。

まだ出口は一向に見えないけど、どうなんだろう。

かいとのブログなのに自分の話ばかり^^;

満額回答して背負っていく自信と根拠がないから、いい加減なこと言えないし。

だけどそれは義務だろって話かもね。

ま、とにかく僕らはコミュニケーションが下手すぎる。

特に僕が。

この数日会わないだけでも、ゆうとが大きくなった気がする。

子どもにとっとも大好きなママと、いるだけのパパ。

うーん、不眠症が悪化した。

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2011年07月20日 22:31
離婚か
 ( かいとさんのプロフィール)

妻もそのうちは見るブログだから。

だけど、ある意味ブログだから書けることもある。

僕たちは離婚するんだな。

離婚にあたってはお互いが納得する妥結点をたくさん決めなきゃいけなくて、ギャップがありすぎて、埋められる見通しさえつかない。

離婚前提だからいけない?

ある人は離婚に5年かかったとか。

時間なんて関係ないか。

そんなことは関係なく、かいとやゆうとは成長してる。

僕なんていらないんじゃないか。
なんだろうね。

僕は病気なんだろうね。

ま、でも病気だけど。

何がしたいんだろ。

わからない。

離婚したらしたで、想像を越えて厳しい現実や、想像より楽なこともあるのかもしれない。

一生妻を愛することを誓った結婚式はなんだったのだろう。

とにかく今や家族の顔をみるのが苦しい。

僕たち夫婦は本音を語れなくなった。

もちろん僕も含めて。

こんなダメ男に何を求めても金目のものは出てこないよ。

そしてダメ男は今日も酒に飲まれる。

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