わたしが不登校になったとき。親も先生も友達も、なんで?と聞いてきました。何度も何度も。
でも、わたしはうまく答えられなかった。
恥ずかしくて言いたくない気持ちもあった。自分でもよくわからなかった。答えられない、わかってもらえないことに絶望した。
だからね、もう聞かないでください。
突然に見えるけど、突然じゃない。ゆっくりゆっくり歯車が狂っていって、あるきっかけで弾けてしまったということ。
でも、大丈夫。早いうちになってよかった。なったものは仕方ない。理由よりも、未来を見よう。どうして?って言ってても答えは出ない。これからどうするかだけを、考えてください。
こどもが不登校になったとき。親は、育て方が間違ってた?と悩むと思います。当事者のこどもは、親のせいだ、と思うかもしれません。
実際不登校だった高校生のわたしは… 自分のせいだと思っていました。学校に行けない自分を責めて責めて責めまくっていました。そしてその次に親の育て方のせいだと思い、いまは…育て方と、環境、割合で言えば8:2くらいだと思ってます。ええ、こどもは全く悪くない‼︎笑
だってたった10年ソコソコしか生きてないこども。しかもほとんど親の影響を受けて育ってるだけのこども。閉鎖された空間で、逃げ場は自分の部屋しかなかったのです。
しかし実際自分が親になってみると、こどもを育てるのって本当に大変。親も完璧じゃない。ってか全然完璧じゃない。だから、こんなに頑張って育てたのに、何で親のせいなんて言われるの?って思う気持ちもわかる。でも、やり方が間違ってたのは確実。この現代の日本で、衣食住与えるだけで育てたとは言えない。
いまの中高生って、親が学生だった頃と全然違う。アホなこどもばっかりなんですよ。学校行くの、大変やと思います。
まず、不登校のこどもは自分のせいじゃないから、安心してください。不登校のこどもを持つ親は、反省してください。そこから出発できたら、克服できるかも…。
わたしは物心ついてから、折に触れてよく父親から聞かされていた言葉があります。酔っ払うと必ず。
わたしの父親は、そんなに立派な人間ではなく、口も悪いし口も臭いし、不器用でお調子者で不潔で(ヒドイ‼)嫌っていた時期もあるのですが、というか今もあんまり好きではないのですが、その言葉がわたしを不幸になることから救ってくれたように思います。
それは。『お前を愛してくれる人と結婚しなさい』でした。
わたしは自己評価が低くて自分を好きだという人を受け入れることが出来ず。自分を好きだという=見る目ない奴みたいな図式があり、自分を大事にしてくれないダメ男ばっかり好きになっていました。でも、大事にしてくれないダメ男といると苦しくなって別れる…の繰り返し。それは、父親のこの言葉が刷り込まれていたお陰だと思います。
現在の旦那?まぁダメ男でも、一応わたしを愛してくれてると思います。口も悪いし口も臭いし、不器用でお調子者で不潔な、父親そっくりな旦那ですが。あれ、果たしてこれでよかったんか…⁇もうちょっとこぎれいで優しい人もご縁があったのに、選んだのは父親そっくりっていう…。父親の呪縛、スゴイな‼わが娘たちも旦那みたいな人連れてくるのかな…可哀想に。
母親は、車好きはやめとけって言ってましたね。それも当てはまる。うーん、けっこう、かなり、親の言うことって残るもんですな。娘には、子ども好きな人にしやあって言っとこ。それさえあれば、何とかなる気が!
話は逸れましたが…父親の言葉のお陰で、ものすごい泥沼に入ることを免れたのです。恋愛だけに限らず、自分を大切に扱ってくれない職場にも拒否反応が出て、すぐ辞めることができたり。
不登校になる子は繊細で、自己分析したりして、自己卑下するような子が多いんじゃないかな。繊細だからこそ、自分を大切に扱ってもらうことがとても大切になってくるのでは。選んでいいんだよね。それすら、不登校の時はわからなかった。選んでいいんです。今の時代、選ぶということの方がむつかしいかな?与えられた道を歩ければ楽だと何度も思った。でも歩けない自分。どうか自己否定しないよう、愛してくれる人を大切にしてくださいね。
不登校のとき、わたしが親にして欲しかったことは。と、あの頃の気持ちになってみましたところ。ヒェー繊細‼反抗期こじらせすぎ?こらむつかしかったやろな…お父さんお母さん、すみませんでした。もーとにかかく自分勝手ですが、どうぞ…。
やっぱりね、ゆっくり話を聞いて欲しかった。いや、無視してはねつけてたけど、それでも何回もチャレンジして欲しかった。腫れ物を扱うようにそっとしておいてくれたけど、心はいつも助けてって思ってた。わたしはどうしたらいいの?どうなっちゃうの?って。
親も完璧じゃない。今ならわかるけど。向き合って欲しかったな。
でも、もし自分の娘にそんな風にされたら…めっちゃ傷つくなぁ。泣くな、間違いなく。傷つくし、そっとしてあげる方がいいのかな?とも思うだろな。でも、そう思うことをそのまま伝えてもらったら、あの頃のわたしは何か変わったかも知れない。正直、自分でいっぱいいっぱいで、親の気持ちなんか考えたこともなかった。親が傷つくなんて思わなかったし、傷つけてもいいと思ってた。だって、今の自分を作ったのは親だから。なんてすごい理屈ですねー。でも実際そういう部分はあるので、その憎しみ?を全て否定するのもその頃のわたしが可哀想。
まぁ実際心を閉ざしてるの子どものドアを開けるのはむつかしいと思うので、第三者が関わってくれるといいだろな、と思います。親の話は素直に聞けないもの。わたしは通信制の高校で出来た友達に救われました。
腹を割って話すこと。そこから何か変わるかもしれません。
あと変り種ですが、服を買うこと。引きこもってダサい格好をしてるのが年頃の女子には辛かった。出掛ける服がないから余計に引きこもる。なんてのも、ありましたよー。複雑な乙女心…‼
なんのこっちゃ、ですね。ええ、ええ。えーっと。不登校のや引きこもりの子どもを抱える家族は、どうやら神様にすがりたくなるようですが、それは最終手段でお願いしたいのです。
と、ゆうのも。わたしは親が宗教入ってたので、親はお祈りばかりしてました。あとは悪霊ついてる!とか言われてお祓い行ったり。自分を見てくれてないことが悲しかった。
あと友人で、お兄さんが鬱になってしまった人がいるのですが。家族はどうしていいかわからず、親は弱ってるときに相談に乗ってくれた宗教の勧誘にのせられ、入信。友人は兄が元気になるようにお百度参りしたそうな。
それを聞いて、思ったこと。優しいな。じゃないっつーの。そんなことする暇があるなら、ネットや市役所に相談するとかあるやん。具体的に家族がどうサポートすべきか学ぶことが、いちばん出来ることなんじゃないの?鬱のこと、ちゃんと理解してんの?
まあ、偉そうに思っても言えなかったけど!
わたしが立ち直る力が出たのは、ひょっとしたら親のお祈りのお陰だったかもしれない。でも、すごく違和感を感じてたのは事実。
神様はいない。わたしだって、むしろわたしが一番お祈りしてたから。助けてくださいって。四六時中。抜け出したいって。ドラマや漫画のように誰か現れて、わたしを救ってくださいと。
結果は…誰も助けてくれないのでした。自分で歩き出すしかない。でも、歩き出すと、助けてもらえることもあったりして。とにかく一歩外に出なければ始まらないのですが、そのきっかけは宗教施設に連れていくことではなく、健全な社会と関わっていく方向で。お稽古とかでもいいんじゃないかな?引きこもる人は、絵を描くのが好きなイメージ…わたしもだけど。絵画教室にでも行きたかったなー…と今更。
かなり個人的な話になりましたが、吐き出せてスッキリしました。このブログが終わる頃には、わたしも自分の過去を受け入れることができるといいなー…。
関係ないですが、わたし育児ブログもやってるのですけど、全然アクセスないんですよ。でもこちらの不登校ブログときたら!二日目から100アクセス越えですよ。みなさまの関心の高さが伺えますな。こりゃーちゃんと更新せねば…ということで。
通信制の高校はどんなもんか、ですね。まぁいろいろ特色あるとは思いますが、わたしのいった所は。月に二回くらいスクーリングという名の授業があり、それ以外は自由という。まあテストとかあるので、ある程度勉強しないかんのは当たり前なのですが。昔はお金がない子が、働きながら通う学校だったのです。いまは訳ありの子が通うところ?
とにかく、入学して驚いたのが、スクールカーストがないこと‼不良も真面目も、ふつーに話してる。じーさんもいるしおっさんもいる。明らかにお水っぽいおねーさんもいたし、めちゃめちゃオシャレな子もいた。
生徒会長は、70くらいのじーさんでした。イキイキと取り戻した青春を謳歌するじーさん。あんま絡まなかったけど、素敵だったな。
わたしは運よく友達が出来たけど、いなくても卒業するという目標を持ってれば、通うことはできると思います。1人でいても辛くない場所だったから。1人の人もいっぱいいたし。
先生も優しかったし。
でも、そんな自由な学校だから、辞めていく人もいました。来なくても咎められないし。辞めた子はどうしていくのかな。わからないけど…。やっぱり友達がいるのって大きいな。さっきはいなくても…って書いたけど、いた方が絶対楽しい。学校だもの。塾じゃないから。
よし、次は友達の作り方を書こうかな。わたし流ですが。
理由と書いてわけと読む…。どうも、しつこいおちょもです。
前回、わたしが不登校になったお恥ずかしい理由を書きました。今回はそこから抜け出すまでの話。立ち直るのはまだまだ先です。あれ、タイトルに偽りあり!ですな。あとで直しときます。気が向いたら…(←気が向かないとやらないという便利な意味らしいですよ。)
高校二年生で不登校になり、一年間休学。その次の年に通信制の高校に転入したので、脱出が早いといえば早いですね。
そう、抜け出せたのは、不登校になってまだ一年だったからというのはとても大きいと思います。家にこもる時間は長ければ長いほど、身動きとれなくなる。外に出るのがどんどん怖くなります。早めに通信制に転入出来たのは、いま考えると本当にありがたいことでした。じゃあ不登校になってもう何年にもなる…どうしようもないの?って言われると、そりゃあもちろん難しくはなります。でも、通信制行けばいいんですよ。迷ってたら転校‼笑中学生なら通信制目指しとけば安心♡また別に詳しく書くつもりですけど、通信制の高校はなかなかいいところでした。自分みたいに訳ありな人間ばかりだったので。
しかし、その決断をするのは自分です。わたしは通信制を親に勧められても、ずっと行く気がなかった。このまま精神病院に入って死にたいと思ってた。どうして行く気になったのかというと…やっぱり、抜け出したいと思ったからです。毎日ゲームか漫画読むだけの日々。楽しかったけど、ふと、誰も助けてくれないんだと強烈に思った。雷に打たれたように。
誰も助けてくれないと知ること。それがわたしの出発点でした。
それからは、ゲームを辞めて、図書館で本を借りてきて読み漁りました。なんだっかな…スピリチュアル系とか自己啓発系が多かったかなー?心を鼓舞してた気がする。非常に中二病でしたね。でもいいの!お陰で得体の知れないパワーを溜めて、不登校から脱出することが出来たから。
社会と関わりを持つこと。家以外の。それがスタートです。何でもいいんです。定期的に通う所があれば。人間には、居場所が必要なのです。家以外の‼大切なことなので、二回言いましたよ。家じゃだめなんですよね…。
まとめ。不登校になったら、さっさと見切りをつけて転校しよう‼でした。
理由と書いてわけと読む!
こんにちは、ちょっとオサレなおちょもです。
不登校の原因…人によっていろいろあるかと思います。
わたしの場合は、いじめとかじゃなく。そんなことで?と言われるかもしれません。
当時、親や先生にはどう説明してもわかってもらえなかった。
わたしが幼くて、自分でも説明出来なかったのもあるし、親世代がわからない空気感というものだったんだろな、と。
さて、前置き長くなりました。
わたしは高校二年生のクラス替えで不登校になりました。
理由は、ゆるやかな無視。
ってわかりますかね?
話してはくれる。
けれどすぐに逃げるように去っていく。
みんな。
どうしていいかわからなくて、そんな風に扱われることに耐えられなくて、不登校になりました。
一年生のときは、クラスに数人友達がいたので何とか行ってました。
でもお昼ご飯は教室で食べれなくて、校舎の隅っこでその友達と食べてました。
わたしの言動が何か人を不愉快にしてることはわかる。
でも、どうしていいかわからない。
実は、これは小学校からずっと感じてたことで。
でも、数人でも友達がいたから何とか学校に行けてたのです。
それが、クラス替えでいなくなった。
そして誰も友達になってくれない。
コミュ障だけど、空気は読めます。
スクールカースト最下層で生きていくことが確定したとき、わたしは不登校になりました。
友達がいないだけ。
言ってしまえばそれだけ。
でもそれがとても辛かった。
思春期にはとても。
1人でお昼ご飯を食べるなんて耐えられなかった。
最下層にはなりたくないプライドもあった。
学校へ行って勉強したいわけでもなかった。
目的がなかったから不登校になることにためらいはなかった。
甘いですね。
今ならそう思います。
でも当時は本当に狭い世界で生きていて、辛かったのです。
そんな理由。
笑ってください。
わたしも、笑えます。今なら。
ども、はじめましたー。
不登校ブログ‼
前々から自分の中でまとめてみたかった不登校の話。
一応社会復帰して結婚もできたし、子どもも授かり、三歳と一歳。
なんとかやっております。
どうやって持ち直したか知りたい人もいるのでは?という気持ちと。
わたしのいらん経験も、誰かの役に立てれば昇華されないかなーなんて、よこしまな気持ちと。
そろそろ向き合わないかん時期だな…という諦めの気持ちです。
向き合わないかんとは、育児してると、やっぱり消化できてないと感じるんですよね。
とにかく自信がない。
その自信のなさは、不登校からきている?
いや、家庭環境かも…。
とにかく。
不登校だった過去を、自分の中でプラスにしたい。
そんなかんじで、わたしが思ってたこと、して欲しかったことなどを書いていきますので、よろしくお願いします。