なにやら、まとまりよく終わってしまった前回。ここからは書きたい順にしようと思う。でないと多分、続かない。
治療について話そうと思う。二十一歳の私は、病院選びに成功した。今でも通っている病院だ。だが、いくらしっかりした病院であっても、それだけで回復するわけじゃない。医師もスタッフさんも毎回丁寧な対応をしてくださるが、私の疾患は脳に原因がある。薬が合わないと、どうにもならないのだ。
ごく始めの頃は、病名もついていなかった。だが、またもや珍しいことに、双極性障害に至るまでの時間は短かった。すべて、現時点による推測にはなるが、治療を開始するその時に、私は軽躁状態になった。軽躁とそのあとの鬱により、しばらく病院にいけない時期があった。重い腰を上げて再び行ったとき、医師から「双極性障害Ⅱ型」の疑いが強いといわれた。以降その推測に従い、治療している。通院しだして間もなく、軽躁エピソードが出たことで、私は結論に早く達した。運がいいやつである。
さて、ここからは運の悪いエピソードとなる。私は、薬が効きにくいらしい。ありとあらゆる処方をしてくれた。私も、忘れずにきちんと服用した。現在、はじめて病院に行った頃から、八年目の夏が来る。未だ、効く薬を探している。
全く効かないわけじゃない。むしろプラシーボ効果は高い。だが、服薬してしばらく経つと、十分な効果はないことに気付く。
ほとんどずっと、うつ状態なのでそれを引き上げ、かつ躁状態にはならないように保つ。これが目指すゴールである。完治はしない。うまく付き合って生きていくしかない。うつの症状は多岐にわたる。私の場合、一番の障害になるのは、過眠だ。不眠、は馴染みのある方も多いと思うが、過眠はあまり知られていないのではないだろうか。書いて字のごとく、寝すぎるのが症状だ。本当に信じられないほど、寝ている。例えば、日付が変わる二十四時に床について、十九時に起き上がる。十九時間寝ていることになる。そしてその五時間後、床にはいり、翌十七時に起きる。これが毎日続く。羨ましいと思うかもしれないが、一度挑戦してみて欲しい。一日二日なら出来ても、長い期間になれば不可能だと思う。精神的にも「ずっと寝て何してるんだ。社会のゴミだ」ってなるし、身体的には通常そんなに眠り続けない。人間はそんな風に出来ていない。
当然のことだが、そんなに寝ていては、何も出来ない。働くことももちろん出来ない。無理に寝ているわけじゃない。起きられないのだから。手足と頭に、鉛が括り付けられ、肩が重力に引き付けられるような、そんな状態なのだ。しかも、眠いなんてもんじゃない。気が付いたら寝ている。恐らくあれは、何をしていても眠ってしまう。布団内でなければ、危ないことこの上ない。
手術という手もある。しかしこれは、薬を全部試しても駄目な場合の手段となっている。もうすぐ、そうなりそうなところである。
服薬も最後の手段になってきた。通常、双極性障害に抗うつ剤は出さない。躁になるのが怖いからだ。しかし現在私は、「トフラニール」をのんでいる。これは、強めの抗うつ剤らしい。それに「リチウム」や「エビリファイ」をプラスしている。
薬が合うか合わないかを確かめるにも、時間がかかる。そもそも効き目が出てくるまでの時間も長いうえに、少ない量から増やしていかなくてはならない。八年かかっても無理はないのだろう。
驚くことに、トフラニールは効いているらしい。最後の最後で、合う薬が見つかったのかもしれない。こんな文章を書けるなんて、何年ぶりだろうか。昼間に活動できることも、文字を読み書きする労力を捻出出来るのも、私にとっては大きな出来事だ。
しかしやはり、病気や自分について書くのは、疲れる。何度も溜息を吐いて書いている。
それでもいつ、またこの状態になれるかわからない。出来るだけ続けていこうと思う。
ブログで全文を読む国際ロマンス詐欺体験談④
国際ロマンス詐欺については
下に添付しました
国際ロマンス詐欺ジャーナリスト新川てるえさんの
「 STOP!国際ロマンス詐欺 」
M-STEP TV
YouTubeを是非ご覧になってください。
特にSNSをやっていらっしゃる方、必見です。
外国人フレンドとコミュニケーションを楽しんでいる方は絶対に見て下さい!
今になって考えると、
5月18日「米軍」で夫が詐欺師に騙されていることは明白で、
5月21日「女兵」では国際ロマンス詐欺に引っ掛かっていることも
丸わかりだった。
だけど、
私は考えることを拒否した。
家族の問題として立ち向かわなかった。
そこまで愚かではなかろうと、夫を放り出した。
諸悪の根源は私である。
私はトドのようにただひたすら1年中寝たきりの妻。
送迎以外の家事は何もしない。
身体のあちこちが痛くて、1年半何もしなかった。
醜い身体でただベッドで惰眠を貪る、
それが再婚5年目の私。
夫がフェイスブックにはまって2年くらいかな?
彼は何の文句も言わず、
再婚してから初めて覚えた家事を
フェイスブックの合間にこなしてくれた。
楽だった。
何もしなくていい毎日をただ寝て過ごした。
もちろん病気で仕事を辞めて以来の虚しさは消えなかったが。
ただ、「米軍」「女兵」の件は気にかかっていた。
夫のスマホは夜居間で充電していたが、
フェイスブックの開き方、見方も知らなかったし、
パートナーであろうと、プライバシーを侵すことへの抵抗があった。
しかし、あれ以来夫の様子はどんどん変わっていった。
まず、寝室で眠る時間が異様に短い。
夫は帰宅が遅く、疲労を回復させるためずっと睡眠を大切にしていたのに、
半徹、徹夜も当たり前になっていた。
そして、明らかに私に対して冷ややかに冷たい態度になっていった。
10日ほど迷ったけれど、もう事態は待っていられる状態ではない!
6月1日未明、私は遂に夫のスマホをこっそり開いた。
フェイスブックを見ようとしたが、操作の仕方がわからない。
それでなくても、夫には5000人の外国人フレンドがいる。
どこをどう探せばNoy Noyとのやり取りが見られるのかもわからなかった。
迷った末に、まさかと思いながらメールフォルダを開いてみた。
すると、送信フォルダにも着信フォルダにも
「Hallo my love ! I miss you.
I LOVE YOU !
I LOVE YOU !
I LOVE YOU 」
お互い心からの愛情と思いやりに満ち溢れたメールが、
毎日毎日毎日毎日何通も何通も何通も何通も
交換し続けられていた
[今日の晩御飯]
豚肉と茄子入りゴーヤチャンプルー(こねり)とにかく身体にいい物を何でも混ぜ混ん丼にんじんとオニオンスライスにさば水煮缶ぶち込むサラダ 全部食べる直前にネギと大葉を乗せます。夫には冷奴もあります。今日は新生姜をおろしたよ。おっと、味噌汁はまだ出汁を取っているだけ。昆布と椎茸。新玉ねぎと生わかめ。八丁味噌とあわせ味噌で。ちなみに夕べは1時間しか眠れなかった。今日は一日中ふらふらしていたのに仮眠もできない。きついわー。ブログで全文を読む@toramall51 @amrcyan ほんと、外はそんなに暑くないのに、家の中は蒸し暑い 私も寒くないわ 14年一緒にいたドルチェがいないなんて、まだ考えられないの
posted at 18:08:40
@toramall51 @amrcyan てとぷーさん、おはよこんにちは~ 大雨の中、美容院来てます 私も湿度高いと息苦しくて、朝からエアコンぽちったけど、夫が湿度を感じないので、こんな寒いのにって言われたー テトラちゃん、3ヶ月なんだね ドルチェは8ヶ月経つんだなぁ ずっと夢みたい
posted at 12:02:02
おはようございます~�️�♀️❗ 雨 気温は下がるといっても、朝から超絶蒸し暑い 最低気温と最高気温の差がほとんどないみたい
posted at 09:22:35
ブログで全文を読むSEO 対策 起立性調節障害
ODのお子さんは大体大まかには季節問わず不調な事が多い、季節と言うよりはの様な気温変動、気圧変動に振り回されるところが多い とは言えそれでも中でも魔の時期と呼ばれる時期がある。OD児の親御さんとしてベテランの域に入ってくると今更な話だが GW明け位から7月にかけてを魔の時期と呼ぶ
大体発症するのがこの時期に多い、おまけにを越えてになって、家の場合の話だが、発症した年(まだODとは知らなかった)を迎える頃には一つの事を除いては不調な割に一応落ち着いて(立ち眩み、しかもほんの1,2秒と言う短時間とは言え完全ブラックアウトする)、一見少しは良くなったかに見えた。になり陽気も上向いてくるので若しかして良くなって行ってくれるかと期待した でもその期待はあっさり裏切られた。止めていた給食を折角再開して貰ったのにGW前後からまた逆戻り 魔の時期は発症のみならず、現在進行形のお子さんにも襲い掛かってくる
先日のもし時間が巻き戻せるならにも取り上げた様に可能ならで励まして上げられたら理想的な話だが、現実私はその頃息子の病が何であるかというか、それ以前に病だと言う認識も無かったですし、期待させられた分(が期待させた訳では無い、勝手に私が期待しただけ)落胆も大きく、その思いは自然とに向かってしまった。
ざっくり朝の不調、起きられない等五月雨不登校も含め以前よりに行けていないなと言う様子が見られたら。自宅用血圧計で構いませんOD検査、起立試験から早期治療へ(加筆しました)から簡易検査が出来るので試してあげて下さい
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日記は一日に一回と思ってたけど、「ツレがうつになりまして」が思いの外グッと来たので、涙で画面が見づらいですけど、書いてますw
自分が、うつになったり、親しい人がうつになったりしたことのある方なら、絶対見たほうがいいです。
俺は、「うつ」になってから、もう随分経ち、うつになった当初、眠り病とでも言うのかな?眠くて眠くて仕方なく一日のほとんどを寝て過ごしてた時期があったのに、何となく「辛かった」のは覚えてるんですが、詳しくは正直思い出せないんです。
おかしな話です。あれだけ辛くて、自殺までしたくて仕方なかった時期が、人生の中で一番印象に残っていそうなのに、記憶が曖昧なんて;
そして、その辛かった時期を、この映画が思い出させてくれました。
思い出したくない、うつになる前のいじめられてた時期の記憶から、うつで苦しめられる時期まで、堺雅人の涙で鮮明に思い出されました。
嫌なことを思い出してるのに、何故か泣いたあとは気分がスッキリしてます。
今までの映画の中でというか、感動ものの作品の中で、一番共感でき、間違いなく一番泣いた映画です。
逆にうつになったことのない方や、うつとは無縁の方には、この映画は心に刺さらないかも?
こんな映画を9年間も見ずに生きてきたことを後悔してます…w
何か、自分以外で苦しんでる人の日常を(フィクションではありますが)見たの初めてだったから、自分と重ね合わせて、余計共感できたんだと思います。
いや~、にしても宮崎あおい可愛いなぁ。あんな(役だけどw)性格良くて可愛い妻いませんよ~
と、「ツレがうつになりまして」は無事好きな邦画の10本指の一つに入りましたね♪
ブログで全文を読むさっきまでちょっとだけ「ツレがうつになりまして」っていう邦画を見てました。
数ヶ月前にAmazonプライムに登録したので、晴れてプライムビデオが見れるようになり、そのコンテンツ数に圧倒されてました。
んで、今日みたいに時間がある時に、たま~に動画見てるんですが、今日は「ツレがうつになりまして」ってのに、タイトルだけでしか判断できませんが、なんとなく共感して再生してみました。
見てみると、まぁ予想通りというかタイトル通りというか、主人公(堺雅人)がうつ病になるという話でしたが、ちょっと影響を受けたことがありまして、それが「日記」なんです。
まだ主人公が日記を書き始めたところまでしか見てないんで、もしかしたら映画の途中で、主人公、日記やめてるかもしれませんがw
でも、俺が挫折した「認知行動療法」を再開できるかもしれないので、頑張って書いていきます。
とりあえず、毎日の負担にならない程度に、今日はここで終わります。
毎日続けることに意義があると思うので。
この映画の影響で「うつ」への理解が少し高まったのではないかと思います。
うつにさせた人間が、鬱になった人の気持ちを理解してくれる日が来たらいいな。
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幼少のころ、恐らく私は、人見知りをしなかっただろう。母親の後さえ追わず、奔放に、あっちへふらふら、こっちへふらふらしていたように思う。六つ上の心配性な兄が、私の世話を嫌がったというのも頷ける。目に映るもの映らないもの、すべてに興味があって、知りたがる。大人からすると少々、厄介な子供だっただろう。
厄介な子供だったのはその頃だけではない。幼稚園から大学に至るまで、教師にとって厄介だったことは間違いない。幼少期の記憶はほとんどないのだが、順を追って考えることにする。
大阪府大阪市にて第二子として生まれ、三歳から三年間幼稚園へ通う。兄の通った幼稚園とは違い、小学校が同じになる子の多い幼稚園へ通っていた。その分遠いため、園長先生が自家用車で迎えに来てくれるという、特別待遇だった。兄は幼稚園が違う子たちばかりの小学校入学式で可哀想だったため、私の幼稚園を決めたらしい。どう考えても、私と兄が逆なら問題なかった。多分私は、知らない子たちとの入学式でも、兄の様にしょんぼりしたりしなかっただろう。
つまり、私の実家から小学校もとても遠い。小学生の足だと三十分を超える時間、歩かなければならない。もちろん、徒歩以外の手段は許されていない。今考えても、遠いことによる一番の問題は、変質者に狙われやすいことだろう。二日に一度は、何かしらの加害をされていたと記憶している。一番多かったのが、歩いている私の後をついてくる自転車。たまに追い越しても、戻ってくる。何人もいたが、すべて男性。何がしたいのか。怖がらせて、ほくそ笑んでいるのか。一度だけ、虫の居所が悪く「何か用ですか」と怒号の様に叫んだことがある。相手は逃げて行った。今ならわかる。これは危険な行動だった。相手がナイフでも持っていたらどうなっていたことか。ただ、驚いた顔で逃げていく若い男を見て、しょーもない馬鹿だな、と思えたことは良かったかもしれない。
ある日、本を読みながら歩いていた。そのことは私が悪い。家まで一分、すぐ近くだった。すれ違いざまに、胸をもまれた。顔をあげると、にやにやしながら私を見ていた。正直そんなことはどうでもよくて、本の続きにすぐ戻った。だが、今考えると気持ちが悪いことこの上ない。よくある、露出狂もたびたび見たし、そんなことは日常茶飯事だった。
小学生時代の私は、はきはきして好奇心旺盛で、優等生といった具合だった。優等生と言われることは嫌だったが。
小学五年生の時、はじめて「死にたい」と思った。担任と合わず、仲の良い友人全員と違うクラス。今思えば馬鹿馬鹿しいが、確実にストレスになっていた。この前後、母方の祖母と一緒に暮らしていた。今でいうと認知症で、母親が介護していた。到底、素人が家ですべき介護ではなかったが。
原因なんてものは、必ずしも大事だとは言えない。そう思っている。きっかけは些細な事。ただ、少しずつ、ストレスとなり、溜まっていったんだろう。
中学校に入って部活をした。吹奏楽部だ。一年の頃は楽しくて楽しくて、小五ごろの鬱憤は消え去っていた。ただ、この部活もまた、大きなストレス源となる。本当に、人生の長さを考えたら、些細な出来事だと思う。皆に慕われた実力のある先生が、定年をとっくに越えていたので、新しい先生と変わる過渡期だった。おじいちゃんとおばちゃん、この二人がまた、仲が悪い。私の一年先輩はおじいちゃん先生を慕っていた。簡単に言うと、おばちゃん先生をいじめようとしていた。それに気づいた私は、先輩に楯突く形になってしまった。予想外に、友人を巻き込んで。念のためにいうが、私はどっち派でもない。特別おばちゃん先生が好きなわけではなく、やろうとしていた行動に反発したのだ。ただ、それはこちら側の言い分である。先輩方及び、そちらについた(?)一部の同期に、敵とみなされた。いじめられたとは、昔から思っていない。が、そのようなものだろう。私を苦しめたのは、攻撃対象が私だけではなかったこと。一人でかぶろうとすれば、もれなく叱られていたが、やはり私には、友人たちが苦しんでいる姿を見ることが一番の苦痛だった。申し訳なくて仕方がなかった。そしてその時、先生方からはそれぞれ、次期部長にならないかと言われていた。だが、黙っているように指示された。中二の秋ごろでもまだ、言えなかった。一緒に苦しんでくれた友人たちにさえ。
結果から言うと、最終的には全員が仲間として私たちは引退できた。ただし、かなりの人数が辞めていった後だったが。その間、様々の細かい出来事に対していた訳だが「やつれていた」と称される程度には、疲れていたようだった。部活引退後は遊びまくった。
忙しかった中二の頃、友人たちと帰路についている時、ふと気付いた。自分の肩や頭の上には曇天が広がり、それはいついかなる時にも晴れてはくれない。すぐに分かった。私は、病気だ。それはとても珍しいことらしいが、なぜか私は病気であることを確信した。
幼少より、休むことは駄目なことだと強くしつけられてきた。「嫌でもみんな頑張ってんねん。」根性論を信じている、両親はそんなタイプだった。
病気を確信したその時、瞬時に計画が頭を巡った。何とか、何とか、大学卒業まで頑張ろう。だましだまし、大学まで卒業して家を出よう。そしたら、通院できる。今考えたら、別に高校生でも通院は出来たと思うのだが、両親にばれてはいけない、その一心で思い込んでしまったようだ。
これからはずっと、我慢の毎日だった。どんどん出来ることが少なくなり、日に日に死にたくて仕方なくなってくる。しかも、高校・大学と電車通学だった。何度飛び降りようと思ったことか。しかし私は、今に至るまで自殺をしたことがない。私は病気以外にも、どこかおかしいのかもしれない。自傷行為も、身体を傷つけるのは痛いだろうし怖い。臆病なのか何なのか、自分の身体に傷をつけたことがない。自分の症状は大したことがないのかと、何度も疑問に思っている。
とにかく、我慢の繰り返しで、耐えて耐えて、辛ければ寝て、寝て寝て、大学四年に、なれなかった。留年の通知書を見て思ったことは、そりゃあそうだろうということ。この頃にはすっかり過眠症で、そもそも布団から起き上がることさえ辛かった。大学なんて、ほとんど行っていない。高校もさぼりまくっていた。高校をストレートで卒業でき、一応大学に入れたのは、奇跡に近い。
限界を感じ、人や薬を頼るしか方法がないと確信した。治療したい旨を伝えた母の反応は「父さんと母さんだってしんどいけど、毎日働いて頑張っている。理解は出来ない。自分のことは自分で勝手にしたらいい。」といったもの。想像と大差はなかったが、やはり辛かった。
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今「7つの習慣」を読んでいます。
豚自(自分のことをへりくだった勝手な造語。むしろトド)の人生を生き直すために、とても有意義で、ためになる本です。中田敦彦のYouTube大学「7つの習慣」紹介を是非ご覧ください。 私はこれまで、ただ自分の感情にバカ正直に生きてきただけでした。言い換えれば、ただわがままな裸の女王様に過ぎませんでした。正直は美徳ではありません。私の場合、それはただ横暴で無神経なだけでした。 これからの私が目指すのは、謙虚であること。思いやりと配慮をもって周囲に接し、相手の気持ちをおもんばかって言葉を選び、責任をもって行動すること、信頼に答えるよう心掛けること。人が生きる意味や喜びを探す旅に、毎日目標意識をもって一歩一歩踏み出し、歩んでいきたいと思います。 突然、今までにない発言に違和感を感じる方もいらっしゃるかと思いますが、まずはここから決意表明といたします えーと、あちこちにコメントを書いた影響だと思うのですが、我が家的にはかなりアクセス数が伸びております。おそらく、皆様、我が家に起きた国際ロマンス詐欺被害未遂事件について、お知りになりたいのですよね? 2個前記事「米軍」前記事「女兵」からの顛末はまだ書けていません。ただ今、専門ジャーナリスト新川てるえさんの資料を取り寄せているところですので、もう少々お待ちください。(簡単に言うと箱もの。170万円請求メールが来ました。その直後に警察に相談できたため完全に未遂で済みました) 私が一番参考になったのが、YouTubeのサイト集です。YouTubeにて、まずは「m-step tv こくさい」と検索してください。ステップファミリーチャンネルにたどり着きますが、慌ててあちこち開かない方が混乱しなくて済むと思います。落ち着いてかなり右(?)に進むと、白地にピンクの模様の入った「STOP!国際ロマンス詐欺 6本の動画国際ロマンス詐欺ジャーナリスト新川てるえ」というM-STEP TVのまとまった動画集が出てきます。この6本の順番で見るのが一番分かりやすいのです。どうか是非ご覧になってください。SNSをやっていらっしゃる方々には決して他人事ではない重要な情報が含まれています。詐欺師は非常に狡猾です。どうかその危険性や手口を一度ご覧になっておいてくださいよろしくお願いします。我が家の事情より、まずは新川てるえさんの動画集をご覧いただきたいので、先にYouTubeで正しい情報を見てください。アドレスを貼れなくてすみませんブログで全文を読む@junjunmj1208 @amrcyan りんちゃんママさん、おはよ~ もう曇っちゃった? こちはら昨日より晴れてる感じ 今日は、リハビリ行って、午後は母の通院だから、降らないでほしいんだけどな
posted at 08:25:17
おはようございます~☀️�️�♀️❗ 曇りのち雨予報ですが、今日も晴れてます 昨日より晴れてるかも 洗濯物追加しちゃったけど、午後は雷雨予報なんだよねぇ
posted at 08:15:01
ブログで全文を読むテレビ寺子屋ご存知の方もお母さん方の中には少なくないと思います ここ最近何によらず再放送が多いですが、観た事のある方はご存じのようにあまり大きくないホールにお客さんを入れ、様々な有識者の方に先生になって貰って教育に関わる話をして貰ってます。其の為3密になってしまう為先々週先週と昔のテレビ寺子屋を流していました(その前も再放送だったかも知れませんが、最近は余り見ていなかったので判りません)
テレビ寺子屋の中でもレギュラー講師をされていた吉岡たすく先生のお話です 先日もし時を巻き戻せたらでも取り上げさせて貰いましたが、とても心に響く話や為になる話も所々ユーモアのある事例も交えて話してくれるのです 先週の話は障害を持った女の子をそのこと仲良しの子が書いた作文の事やこの障害を持った女の子のお母さんの話。
障害を持った友達にその子は何でも勝てるけど、その障害を持った子の心には勝てないとても素晴らしい心を持っているんです その障害を持った子のお母さん素晴らしいです。この子は私達を選んで生まれて来てくれた。私達なら育てられると神様に選ばれたのです
もう一人はこれも或る女の子の作文で、徒競走(今なら○○m走)でびりになったけどお母さんがまた素晴らしい人で、あんたみたいびりになる子がおるから一位になれる子がおるんや、びりになる子も大切やでと励ましてくれたと言うんですね、私もびりにばかりなっていたから、私も1位などの子の役には立ったのかな何て思ったりして。いい話を聞かせて貰いました
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ブログで全文を読む今年はコロナの影響で最悪な春となりましたね。
森山直太朗さんがそんな思いで作曲したのか分かりませんが…
森山直太朗さんが作曲した曲「最悪な春」です。
ブログで全文を読む