またまたひさしぶりのブログになりました
2月24日に採血、CT検査をし3月2日に診察でした。
9時少し前に病院へ着いたのですが採血は一週間前にしていたので一番に呼ばれました
以前はインターフェロンの注射をする人が9時~9時半まで診察なので早くても3番目ぐらいに診察だったのですが今はインターフェロンを打つ人がいないので行くとすぐに呼ばれるんですね。
診察室も混んでないし
血液検査の結果です
LAPは高くなっていますが全然気にする数値じゃないそうです。
CTの結果は胸の方も肝臓の方も全く何も問題なく綺麗なものでした
自己免疫の数値も若干高いぐらいでこちらも先生はスルーで花粉症は影響しますか?と聞いたら花粉症は影響しないですとのこと…
自己免疫性肝炎のことなど一言も出ませんでした。
まあ問題ないということでしょう
早く病院が終わったので速攻仕事に向いました~
車がフリードから
オデッセイに
クルマに乗るのがめちゃ楽しい
身体も上々
気分も上々
怪獣君はもうすぐ卒業式
4月から高等部になります
卒業式に春休み旅行、そして入学式
家族全員インフルエンザにならないよう頑張るぞ
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本当は土曜日が運動会でしたが
前日からの雨で今日になりました� 何が困った��か お弁当を作るか❔作らないか❔ 三人分� ハッキリせずに 二日続けて作るのはしんどい� それが一番のネックでした� 今回のお弁当� きれいに完食してくれました✌ ブログで全文を読む先日告知していた
福祉ふれあいバザーが終了しました
日中、天気も良く
気持ちのいい気候の中実施できたので良かったです
赤飯・キウイ・さつまいも・ポケットテッシュケース
完売いたしました
ありがとうございました
以前は肝炎治療のため毎週通っていた病院です。
まさか福祉事業所として出店するとは思ってもいませんでした
半年に一度はまだ検査に来なければいけませんけど
少々無理しても大丈夫な体になれたことに感謝です
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11月18日(金)
三豊総合病院レストラン横ウッドデッキテラスにて
障害福祉サービス事業所として
「はたらーく」も出店いたします
出品商品予定の品は
「きゅーべぇ」 「色、柄マスク」 「新米のお米」 「綿菓子」
等です
お近くの方は
是非お立ち寄りください
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9月24日
観音寺市柳町商店街で開催される
ふれあい夜市(今回で7周年)に
NPO法人なかよしクラブ はたらーく が初参加です
朝から「おはぎ」2個入り100パック
「わらびもち」を200パック
その他もろもろ・・・
大変でしたが楽しい初参加となりました
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今日ゎ久々のぉ留守番
ぃつもなら、過食ができるとそゎ02なのですが、、、
吐くときがきつい…
過食・嘔吐に使う時間がぁったら、てんちゃん(ぅちの犬)のお散歩に出かけて
気分転換でも♪
って考えを切り替え、1時間くらぃ散歩に行ってきましたぁ♪
運動も出来たし、
てんちゃんも疲れて眠ってるし、過食・嘔吐してなぃし、
気分もまったりしてるし、久々のお留守番を満喫できてます!!
今までゎ過食をどれだけみつからなぃょぉにして、
後の処理をどぉするかしか考えてなかった。
焦ってことを終わらすことにかけてぃた。
今ゎ歩いて、気分転換して、疲れて、ウーロン茶のんで
って、何だか体にぃいことしてる気分♪
それから!!
便秘のゅっけゎおからが効いたょぉでw
今、おからクッキー焼いて、明日からのぉゃつにしょぉってしてまするw
さて02昼寝でもしょぉかな…
普通の欲求を、普通に受け入れて、
頑張らない日もぁってぃいかなって思う今日このごろでふ( ´艸`)
大体、身の回りに起きたことゎ書いてしまったかんじですw
4月から働きます。
不安でぃっぱぃ。
だけど、
自分で決めたんだもんね。
自分のことゎ自分が一番ょくわかってる。
だから、
無理ゎしなぃ。
気に入られようと、変なゴマすりなんてしなぃ。
ぁりのままのゅっけを見てもらうの。
それが一番だと思う。
努力ゎするょ。
だけど、
人を困らす努力ゎしなぃ。
マイペースに頑張ろう!!
4月になったら、
このブログから去りまする♪
また、新たなブログで会えたらぃいですねぇ♪
ゅっけゎ過去の記事でも書いたょぉにママが大好き
だけど、
ママに影響されすぎてたところもぁったんだょね…
ママに好かれようとして、
ママに喜んでもらいたくって、
ママに気に入ってほしくて…
でも、
それって…
中学生くらぃまでにゎ卒業してなきゃぃけなかったことなのかもしれなぃなって
最近思うの。
中学生までゎ義務教育。
親の保護の下。
20歳過ぎたら、大人として社会から認められるんだ。
だから成人式もしてもらぇるし。
だからと言って、
急に大人になれなぃのゎ当たり前。
とりぁぇず、自分の行動に責任を持つょぉにゎなると思いまする!!
ゅっけゎそれができてなかったんだなぁ…
ゅっけの行動がママの喜ぶょぉに…
って、見方を変えれば、ママに責任を押し付けてたんだぉ…
これからゎ、
ゅっけ自身で生きていかなきゃぃけなぃ
自分の道ゎ自分で決めて前に進んでく!!
良くなっても、悪くなっても自分が決めるんだ!!
誰のせいにもできない。
でも、自分で決めたなら後悔しない道を選ぼう。
今を一生懸命ゃれることだけゃろぅ!!
そぉ決めました。
そしたらねぇ、勝手な行動も、わがままも楽になったんだw
別にぃいじゃんって。
ママも、お皿洗わないからって怒らないし、
洗濯物手伝わないからって怒らなぃ。
門限さぇ守れば、何時まで遊んでも怒らなぃ。
意外なことばっかりが起きたw
そしてね、
ママにこの気持ちを伝える機会が巡ってきたの。
苦しくて、伝えたら、ママ自身が苦しむことになるんじゃなぃかって悩んだ。
だけど、
伝えなきゃぃけなぃ。
伝えなきゃ、ゅっけの気持ち、前向きになったことも伝えられない。
そぉ決心して、伝えました。
そしたらね、
ママゎ自分自身のことを理解してて、悪かったって思ってたみたぃ。
言葉の端々からなんとなく感じますた。。。。
「もぉ私のことなんて考えないでぃいから」
そぉ言われて話ゎひと段落。
お互い、頑張った。
それからゎママといつも通りに仲良し!!
逆にスッキリして適当になったw
楽になったw
思ったことをただ、口に出してぃぇばぃい。
(それが出来れば、どれだけ楽かw)
そんな教訓を得ました。
今のゅっけゎね、
人の言うことをすべて丸のみするんじゃなくって、
ただの意見として聞こうって思ってるの。
そしたら、
客観的にものが見れるし、必要以上のことを話さなくなって、
トラブルに巻き込まれる、巻き込む(自分自身でねw)ことが少なくなってきたょ!!
自分を苦しめるのなんてもぉしたくない。
ゅっけゎ人生を楽しむために生まれてきたんだもん!!
*最近ゎ自分のためにお金を遣うことが多くなりますたw
働きたい。
そぉ思ってすぐ、久しぶりに学校の先輩からメールがぁりました。
「卒業どぉなったか??就職ゎ??」
そんな内容のメール。
「ニートです、ニートwww」
って軽い感じで返したら、
「働く気なぃ??」
………∑(゚Д゚)は??
詳しく聞くと、先輩のぉ父さんがコンピュータを使える人を1人探してぃるとのこと。
先輩ゎすぐにゅっけを思い出してくれたょぉで、
声をかけてくださぃました。
その3日後にゎ面接。
その3日後にゎ内定報告。
その3日後にゎ健康診断。
トントン拍子です。
ついていけないくらぃラッキーなんです。
卒業できないと思ったら、卒業でき、
就活も一切してなぃ、とぃぅか就職できないと思ってぃたら決まり。
本当に順調に卒業したのと同じになったのです。
面接の際、
お休みの間に取ったmos検定が確実な証拠となり、
「素晴らしいですね。」
とお褒めの言葉をいただきました。
また、
このお仕事ゎ1年契約なので、次が心配なんですが、
もぉ1つ資格を取りつつぁります。
だから、
次ゎその方面で働きたいとぃぅ希望も持つょぉになりました。
希望が持てるんです。
そして、
お休みしたからこそ、ここまで元気になれた。
全てやってきたことが報われたのです。
意味がぁったのです。
摂食障害で苦しんでぃる方。
そのほかで苦しんでいる方。
今、苦しいかもしれなぃけど何か意味がぁっての休憩の時間って思ぃます。
ゅっけゎ…
焦るかもしれなぃ、自分を責めるかもしれなぃ、
だけど、
ぃつかゎ報われる日が来ると思います。
誰かに心配かけるとか、迷惑かけるとか、
そんなんじゃなくって、
自分ゎどぉなりたぃか、どぉしたぃか、
自分の体と相談して、無理をしなぃ程度に生きていくことが
幸せへの近道だと思いました。
遠回りでも、すぐそこに近道が見つかるかもしれなぃ。
ゅっけゎ2月に卒業が決まり、
ホット一安心してました。
卒業できる、だから
遊んでもぃいょね。
1年前に彼氏と卒業旅行に行きました。
休んでいる間(中退してた間だけど、今となってゎ休み)、
何度か同じことを繰り返そうとしました。
彼氏とお泊り旅行。
1年前の旅行ゎほぼ強行突破でした。
ゅっけ家の頭ゎママ。
ママの許しが無ければ何もできません。
ただ、
少し知恵がついたのか、パパを丸め込み許しをもらったのです。
パパの考えゎ
20歳を過ぎたら、自己責任・自己判断に任せる
ママの考えゎ
常識を考えなさい
同じょぉで違うんです。
ママの常識ってぃぅのゎ、最近にしたら少し古いかもしれない。
結婚前の女が男の家に上がり込むのゎ許さない。
実家に上がり込むのも許さない。
(ってか理解できないらしぃ…)
食事を共にするのも意味不明。
門限10時(22歳の今度働こうとぃぅ子供に対して。。。)
オールゎ許さない。
ママの言う常識ゎママの中での、常識でぁる。
一般的な常識でもぁるけど、人それぞれ価値観ゎぁるし、
考え方もぁる。
だけど、
ゅっけゎママに育てられ、その環境で生きてきたわけだから、
そのルールに従わなくてゎならなかったの。
ゅっけゎ、
今までママがすべてだった。
ママが喜んでくれることが一番うれしいことでぁったし、
ママが悲しんだり、怒ったりすることが一番ゃってゎならなぃことだった。
だから、
ぃつもぃい子でぃたし、迷惑をかけなぃょぉにしっかりした。
お利口さんで、真面目で、ぃい成績をとる努力をした。
実ゎ弟が少し順調な人生から転落したことがぁりました。
それで、
ママゎ狂い、悲しみ、自分を責めました。
それを見て、
ゅっけゎもっとぃい子でぃなきゃ。
そぉ思いました。
そんなゅっけの思い込みもぁり、
ゅっけの行動にゎまず、ママの思いとぃぅものを超えなければなりません。
もし、
今日遊びに行くならば、
家族で出かける用事ゎなぃか確認し、ママの機嫌を伺い、
それから遊びに行ってぃいか尋ねるのです。
…22歳の大人が…
ママゎ
ぃつ、どこで、誰と、何をして遊び、ぃつかえってくるかを報告させられます。
しかも、
時間にゎとても厳しく、10分でも遅れょぉものなら、次の日まで平謝りを続けなければなりません。
時間に厳しく教育されたことゎ、有難く思ってます。
だけど、
この歳になれば、ぃろ02付き合いってものもぁるし…
とにかく、
ゅっけの行動にゎ全てママが絡んでくるのです。
ただ、ゅっけの性格がそぉだっただけで、ゅっけにも原因ゎぁるんだけどね…
だからか、
嘘なんて付けないし、付いたらすぐにバレます。
ってか嘘つこぅとも思わないくらぃ、全て話してた自分がぃけなぃの。
まぁ、
ゅっけゎママが大好きなんですね。
そんなママにこの間、
「卒業旅行に彼氏が連れてってくれるんだって!!」
内心、もぉ何度もこんなやり取りが続いてゎ怒られだったので、
諦めて、しかも!!
卒業が決まったんだから、ぃいだろぉと思って
OKを出してくれるって期待をしてました。
なのに…
「はぁ??旅行??
何で、泊まらなきゃぃけなぃの?私ゎ反対だから。」
「何で??なんでダメなの??」
「はぁ??考えればわかるでしょう。
しかも、今日も彼氏の家でごはん食べてきたんでしょ??ふざけなさんな。いい加減にしなさい。」
…その日、ごちそうになってなんかいません。
ってか、、、
この会話をしたとたん、自分が否定された気になりました。
そして、
気に入ってもらぉぉとして話していた、彼氏のこと、彼氏の家のことまで否定された気になりました。
その日涙が止まらず、自分ゎ今までママのためにぃろんなことをしてきたんだな
と気が付きました。
そぉ気が付いたとたん…
ダメ。
これじゃダメ。
って思ったの。
何で、ママにすべて認めてもらわないとぃけなぃの??
ゅっけゎママじゃなぃ。
ゅっけゎゅっけの考え方がぁるし、同じ人間じゃないもん。
ゅっけにゎゅっけの人生がぁるんだ…
そぉ思ったとたん、
働きたい。
そぉ思いました。
働いて、自分でもきちんと働くことができるんだって
見せれば、もぉ干渉されなくなるんじゃなぃかなって。
ここも、認めてもらぉぉって気持ちになるんだろぉけど
ちょっと違う気がしたの。
それを思ってから、食事に振り回されなくなりました。
お腹が空いたら食べ、いらなかったら残す。
カロリー??知らない。
食べたいものだけ食べる生活。
過食も嘔吐もなぃょ。
だって、
これからしっかり1人で生きてぃかなきゃぃけなくなるかもしれなぃから
そんな柔なこと言ってらんなぃ!!
少しのきっかけがゅっけを大きく変化させました。
それから、一生懸命勉強に精を出してます。
短期のアルバイトが決まって、
自分の中で少し自信がついてきたときに、
なぜだか大学の他学部の先生がゅっけに会いたがっていることを知りました。
理由ゎ全然わからない…
ただ、友だちのゼミの先生。
話がしたぃとのこと。
たぶん、ゅっけのゼミの先生とのことで何か聞きたいのかな…
と踏んだので
後輩に同じ思いゎさせたらぃけなぃ!!
ゅっけみたぃなこと繰り返されないょぉに
後輩のためにぁったことすべて話してぁげょぉ。
そぉ思って、その先生と会うことを決めました。
しかし、
話の内容ゎそんなちっぽけな話でゎなかったのです。
その先生ゎ学生指導??関係の役員をゃられてぃる方でした。
なので、
ゅっけが中退するにあたって、会議にかけられたときに
参加されてぁったょぉです。
そのときのゅっけに対しての意見が半端なかったょぉで…
(自分でぃぅのも何ですが…
成績がょかったょぉです。なのに、なぜ今の時点(大学3年生)で辞めなければならないのか、
仕方がなぃことなのか、などと討論になったそぉ…)
その印象が残ってぃたときに、
ゼミの生徒(友達)からゅっけの話を聞いたょぉなんです。
先生との兼ね合いがうまくいかなくて学校を辞めた。と。
真実ゎ隠すょぉに辞めるときに伝えてぁりました。
ゼミの先生が原因で中退と言うことがバレたら、
残った同級生のゼミ生に影響がぁるかもしれなぃ。。。
そぉ思ったから隠しました。
それから、
ゅっけが辞めた後にもゼミ生ゎ苦しいゼミ生活が続いてぃたょぉで、
ぁるときに先生を訴えたょぉなんです。
結局、訴えた人からの内容からパワハラと確定。
そんなこんなで(苦しかったことゎ過去の記事にぃっぱぃ書いてます。)
ゅっけも被害者の1人でゎなぃか、
とぃぅ本音を聞きに話し合いの場を持たれたょぉなのです。
話の結末ゎこぉでした。
卒業したぃ??
…ぇΣ
この私が卒業??
混乱しました。
卒業を諦めて、次の道を切り開いてぃこぉとゃっと切り替えられそぉだったとき。
卒業なんて手に入らないと、夢なんだと思ったそんなもの。
それが、今、手に入りそうなんだ…
「はぃ。卒業したぃです。」
その言葉を聞いた先生ゎ一気に動いてくださいました。
その1週間以内にゎ学部長と話し合いの場が持たれ、
卒業までの対策、方法を決めました。
その1週間以内にゎ新しいゼミの先生が決定し、
卒論のテーマ決めに入っていました。
単位とか気になるかもしれませんが、
ゅっけの努力が実を結んだところがここでした。
1・2年生で必死に勉強してぃた単位で補えたんです!!(3年生の前期も少し単位ゎとってたかな。)
卒業単位分ゎぁったんです!!
だから、
卒論を書きあげてしまぇば、卒業させてもらぇるとな!!!!!
それから、1か月ばかし卒論と向き合って書き上げました。
2万字超え
頑張りました。
2月の頭に口頭試問会を終え、卒業が決定となりました。
努力した分、報われた気がしました。
嬉しくて涙が出ました。
卒業が名前だけでもぁるのと無いのとでゎ全然違う。
だって、
ちっぽけなゅっけだけど、頑張ったんだもん。
努力をしてるときにゎ無駄に感じるかもしれなぃけど、
絶対に後になって何かが帰ってくる!!
って感じたょ。
ホントに02ラッキーだったんだけど、
これも運の内。
すくわれたょね。
守られてるね。
辛かった時期がぁると、
必ず、幸せに感じるときがぁる。
ゅっけゎ中退でゎなく、卒業します。
摂食障害とともに。
自分の許せる範囲が広くなってきた中で、
新しい考え方を見つけました。
そのきっかけゎ
新しい短期のアルバイト。
たった1週間のバイトをしょぉと思ったときに
思いのほか、1か月間働かなくてはならなくなったのです。
そのときに、
短期だし、期待ゎされてなぃはず。
自分のできる範囲でぃいんだ。
実力以上のことゎしなぃし、出来ない。
自分のできる範囲でお仕事をしょぉ。
まず、今大切なことゎ自分の体を治すこと。
今すべきことをまず第一に考え、
人に迷惑をかけることだけゎない程度に働こうと
割り切りました。
会社側も、出来ればでぃいので
と付け加えて、指示をだしてくれてぃたので
自分の意見を言いやすかったのもぁります。
まぁ…環境がょかったんですが…w
無理をすると体調が悪くなります。
すると周りが心配します。
次の日まで体調が回復しなかったらどぉなるでしょぉ。
もっと迷惑をかけます。
今、精一杯ゃってできることまで。
実力、体力を超えてしまうものゎ無理とはっきり言う。
これも
自分を認めたからだと思う。
自分ゎこの程度なんだ。
別に卑下するわけでもなく、劣っていると言ってるゎけでもなぃょ。
私ってぃぅものゎ
こぉなんだって見えてきたんだろぉね
そして、
別に人にどぉ思われたってぃいって思った。
だって、
ゅっけにゎ大切な家族も友達も彼氏もぃるんだから
それで十分じゃなぃ!!
好きになってくれる人にゎその分返します。
嫌われたらしょうがない。
関わらなければぃい。
1人でも認めてくれてる人がぃたからその精神が持てたのかな…
朝ゎ液体でしか食べられなかったゅっけゎ、
今、朝からソーセージだって食べられます!!
食事ゎステップアップしてきたなって感じますょ。
今でも個体ゎぁまり受け付けないけど、
液体ならそれなりに飲めます!!
最初ゎカロリーが高いものゎすべて嫌。
クッキー1枚が56kcalなんて書いてぁろぉものなら、
絶対に口にしませんでした。
過食・嘔吐が癖になってぃたときゎ、
固形物を胃に入れると吐くことが反射的になって行動に表れてました。
だから、
今でも固形物ゎぁまり好きじゃなぃ…
そして、
数字に踊らされてました。
カロリー数が書いてなぃと口にできなぃの。
カロリー表記のなぃお肉とかお魚とかゎ、調べて計算。
数字に惑わされる毎日。
体重もそぉ。
たった0.1gの変動で不安になり、吐きたくもなぃのに嘔吐。
吐けば、体重が維持、またゎ減少するって思ってたの。
だけどね、
少しづつ食べることを許してきたら、
朝でもお米を食べれるょぉになってきたんだょ。
少し慣れるってことで固形物を食べるょぉな練習をしたの。
それから
体重計測したら…
まさかの減少…
固形物食べても体重増えないんだ!!
って発見がぁったの。
それから、
ガリガリな姿を冷静に見れたときがぁって、
豊満な胸とかに憧れたときがぁって、
美脚に憧れて、、、w
綺麗になるために肉をつけょぉ!!
って気持ちになれたの。
だからと言って、
すぐにがっつり食べれたわけじゃなぃけど、
から揚げが1個吐かずに食べれたり、
朝からソーセージが2本食べれたり、
天ぷらも少し衣が付いてても許せるょぉになってきたの。
全てゎ自分のため。
綺麗になって彼氏を喜ばせるんだ!!
綺麗になってモテるんだ←w
ゅっけゎ自分が好き好きなんですw
本当に食べても太らない体になってしまったのか、
はたまた、摂取カロリーが低いのかゎわかりませんが、
体重が増えず、未だに減少中です…
この間、健康診断にいって正式な体重はかったけど
32.8kgと最低体重更新!!
今日の食事教えましょうか??
朝*ご飯・味噌汁・鮭・ちくわの磯部揚げ・漬物
間食*
はちみつ豆乳1杯
ドライマンゴー
ガム
昼*野菜たっぷりうどん・うずらピータン3個
間食*
白ココア豆乳1杯
饅頭1個
人形焼1個
さて、これから夜ごはんですょ!!
これだけ、食べても体重ゎ平行線。
だから、好きなものを食べちゃおう!!
ただ…
食事のときゎ自分の体と相談することが大切だってことが分かったの。
ゅっけゎストレスや疲れがくると
内臓(特に胃)に影響がぁるの。
油っこいものを食べすぎると消化できなぃ…
だから、
適度ってぃぅ言葉
学んだなぁw
食事ゎ楽しむもの。
そして、誰かと一緒の時間を過ごす時間。
量が食べれないなら、好きなのだけ食べればぃい。
申し訳なぃとか
そんなん関係なぃ
だって、自分の気分が悪くなるほぉが周りに迷惑。
自分の管理ゎ自分でするし!!w
ゅっけゎ自分の体と相談しながら食事することで
上手く食事できるょぉになったょ。
こころとの相談も大切。
食べたくないものゎ食べなければぃい。
これから先、食べれるょぉになればぃいんだし、
その時がくるときがぁれば、こなぃかもしれなぃ。
でも、今日の夜ごはんがおいしく食べれたら
それでぃいじゃん??
ゅっけゎとてもぃい友達に囲まれてぃたょぉで、
退学した後も仲良くしてくれた友達がぃました。
急に遊びにさそってくれたり、
ただ、話を聞いてくれたり、
意見してくれたり…
ただ、ただ、
毎日をぼぉっと過ごすことに不安で
何もしていなぃ自分が許せなくって焦ってばかり。
毎日、毎日焦りました。
友達のイキイキとした話を聞くと
さらにたまらなく不安になることもぁったかな…
何にもしてなぃ。
こんなんじゃダメ。
焦る焦る焦る
焦る焦る焦る
焦る焦る焦る
焦る焦る焦る
焦る焦る焦る
焦る焦る焦る
焦る焦る焦る
焦る焦る焦る
焦る焦る焦る
焦る焦る焦る
焦る焦る焦る
焦る焦る焦る
焦る焦る焦る
焦る毎日。
だけど、
友達が気づかせてくれたの。
ゅっけゎ今、何かしょぉとしても体力なぃし無理じゃん。
今、出来ることをすればぃいんじゃなぃ??
母も
ゅっけゎ今、出来ることをゃればぃい。
今やるべきことゎなに??
体調を良くすることでしょ??
納得ゎできていたけど、焦る気持ちゎなかなか消えません。
友達の1人に将来が不安でお金を稼げるかな
とぃぅことを話してぃました。
その3か月後くらぃにアルバイトを紹介してくれたのです!!
週に1回の2時間
しかも高時給!!
社会貢献できる。
お金を自分で稼いで、少しでも親のすねかじりじゃなくなる!!
そぉ思って、がんばろぉって決めました。
アルバイトゎとてもぃい人だし、ぃい環境だから
ゅっけなら大丈夫と思うょ
って。
働くことに不安で、
出勤前になると毎回、食欲がなくなり食べないことが多かったけれど、
本当に環境がょく、かぁぃがってもらぃました。
だんだんと割り切ってお仕事をすることができるょぉになって、
ストレスが減ってきました。
割り切れるょぉになってきたら、
ここまででぃい。
できるとこまででぃい。
ってハードルが下がって、楽に仕事ができるょぉになったょ。
少し仕事が楽しくなった気がす…る??w
家と彼氏との往復しかほとんど交流がなかったゅっけに
新たに定期的な交流として
アルバイトとぃぅ環境が加わったことで、刺激が増えました。
外の刺激を受けることでストレスもぁったけど、
自分にもできることがぁる。
自分ゎダメじゃなぃ。
自分ができることをすればぃいんだ。
そぉ思えるょぉになったの。
自分の中にこもるょり、ストレスがかかりすぎない程度に外に出るほぉが
ゅっけにゎょかったみたぃ。
忙しいほぉがゅっけらしさが出た気がしたときです。
資格勉強を始め、1日の生活リズムができてきました。
朝ごはんを食べたら、勉強。
勉強したから、おやつを食べても自分を許せた。
2時間勉強したんだから、カロリーを消費してるはず。
じゃぁ、おやつを少し食べてもぃいょね。
頭を使ったから、体を動かしたから
ってぃぅ理由をつけて
自分をだんだんと許すことができてきました。
許すことができるょぉになったら、
何だか楽になってきました。
理由を自分なりにつけることで、納得することができたんです。
ここで
ゅっけの性格で、欠点となったところゎ
思っていることを口に出さなかったこと。
内に閉じ込めて、抱え込んでました。
それが溜まると爆発したょぉに
過食・嘔吐の症状へ。
ぁるとき、あまりにもたまりすぎて
母の前で泣いたことがぁりました。
母ゎ
家族なんだから言えるんでしょ??
他人だったら、しこりが残るけど、
家族だから言っても許してくれるし、喧嘩もできる。
家族だからこそ言いたいこといわなぃと。
…しかも、
ぁんたが思っているほど、気にしないから。
重く考えすぎょ。
考えすぎ
って。
すっきりした気分で、体もこころも楽になりました。
それから、少しずつでゎぁるけど
思ったことを言うょぉになりました。
罪悪感ゎぁったときもぁったけど、
認めてくれる家族がぃたから、自由にできた。
そぉ、これも
自分自身で認めれた。
意見を言うことができるょぉになってからゎ
自分を責めることも若干へって、
過食・嘔吐をする回数も若干減ってきました。
吐き出すことって大切なんだ
って再確認できたときでした。
私の母方の祖母が、旅立った。
齢93年と11か月。
1週間後に迎えるはずだった誕生日は、私が生まれた日と同じ日だ。
以前から入退院を繰り返していた祖母が、今年の初めに様態が悪化し再度入院した。
昨日の朝、母から電話があり、
「もう危ないから合わせたい人を呼んでくれって、お医者様が言っていた。合ってきなさい」
と・・・・。
昨日は突然だったので、今日の午前中に家族と共にお見舞いに行く予定だった。
痴呆が悪化し、寝たきりになった祖母が危ない危ないと言われ、数年が過ぎた。
今年になってから私は、25年前に先に逝ってしまった祖父の夢を見た。
生前は私と姉をとても可愛がってくれていた祖父だが、夢に出てくることは滅多になかった。
「おじいちゃんの夢を見たよ。迎えに来たのかもしれないね・・・・・」
と、母に告げると、母も「そうかもしれないね」、と言った。
先生の話では、あと2~3日だろうということだったが、昨夜私はなかなか寝付けなかった。
ふいに涙がポロポロと溢れて止まらない。
主人に、「まだ亡くなったわけじゃないのに」 と、言われたが、
どうにもいえない不安にかられた。
寝てしまったら、寝ている間に祖母が旅立ってしまう気がしたのだ。
「落ち着かないなら薬飲んで寝たら?」
私を気遣って主人が言った。
私の病状は最近安定していたので、夜だけ飲んでいた薬も飲まない日もあったのだ。昨日は薬を飲んでいない、
だけど薬がないから不安なんじゃない。
心がざわざわして、明日病院へ行っても祖母に合えない気がしてならないのだ。
祖母と過ごした日々が走馬灯のように頭の中を駆け巡る。
同居はしていなかったが、歩いて10分もかからない距離に住んでいた祖母。
いつもニコニコしていて、いつも家事に忙しそうだった。
翌朝、母から祖母が亡くなったと知らせをうけた。
やはり、逝ってしまったのだ。
昨日の晩、祖母の魂が私の元へ来てくれたのかもしれない。
もう行くよ、と、伝えに来てくれていたのかもしれない。
祖母の知らせを聞いて、私は泣かなかった。
おじいちゃんが迎えに来てくれたから、きっとおばあちゃんも安心して旅立って行けたのだと思う。
私が突然の訃報に動揺しないよう、きっと事前に知らせてくれたに違いない。
心の準備は出来ていた。
けれど祖母の遺体と対面したら、悲しみに身体が支配されてしまうかもしれない。
そうしたら、また声が出なくなってしまうかもしれないという不安は拭いきれない。
だけどこれから先、私はいくつもの別れを経験しなければいけない。
その度に喋れなくなるわけにはいかないのだ。
強くならなくては。
悲しみが心を、
声を閉ざしてしまわぬように。
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今年の3月に私が失声症を発症してから、9か月。
間もなく一年が終わろうとしている。
失声当初はすぐに治ると思っていたのに、なかなか声が出なかった。
今年の終わりには、私はどうなっているのだろうか?
と、よく考えたものだ。
最近の私はなかなか調子が良い。
とはいえ、先日も1週間ほど突然声が出なくなってしまった。
とある日曜日の夕方にふいっと出なくなって、翌日もその翌日も声が出なかった。
久々にメモ帳を持参して筆談だ。
声が出なくなると、周りがうるさい。
「どうしたの?」 「またでないの?」 「何の病気なの?」
そして大抵こう言う。
「原因はストレス?」
そう言われたり、あれこれ詮索されることが、ストレスだと言ってやりたい。
無神経な女性に、あまりにしつこく詮索されたので、
「病気のことはあまり聞かないで下さい。繰り返して、完治には時間がかかります」
と、メモ帳に書いた。
声の出ない病気の人に、どうしたどうしたと詮索して、あげくにこんな事をわざわざ書かせて一体何が楽しいのだろうか。
その女性はつまらなそうに、
「ああ、ごめん、ごめん」
と仏頂面で吐き捨てて、その場を去って行った。
それでも声は1週間後には殆ど戻っていたので、私にとっては
「出なくなっても、また出るようになる」
という自信につながった。
完治といえるにはまだほど遠いだろう。
けれど、回復している事は間違いない。
今年は病気もしたけれど、懐かしい人と再会したり、良いご縁があって色々な人と知り合うことが出来た良い一年だった。
来年は、もっと良くなる。
やりたかったこと、
出来なかったこと、
全部やるつもりだ。
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約2か月も更新をおこたってしまいました。
11月の舞台は、公演の数日前に声の調子が悪くなり、このまま不調のまま本番をむかえるのだと覚悟した。
毎日毎日、少しでも良くなっていないかと祈ったが、調子は悪いまま前日のリハーサルを終えた。
悲しくて落ち込んで、「沢山練習しているのになぜ?」と、何度も思ったが、もう割り切って舞台を楽しもうと決めた。
歌えなくてもソロがあるわけじゃないから口をパクパクさせていればいいし、笑顔で踊ればいいんだ!
いよいよ、当日を迎えました。
舞台独特の雰囲気が懐かしい。
真っ黒の暗幕に照明の光があたって、小さな埃がチラチラと光る。
あぁ・・・・・・・・。
私は舞台に戻ってきたんだ・・・・・・。
結婚と同時に役者の仕事を辞め、声を失い、なぜだかまた今ここに立っている。
不思議な気持ちだった。
周りのみんなは緊張している様だったが、私は全く緊張はなかった。
自然と背筋が伸びる。
私は2000人も収容できる客席のある舞台の光の中へ歩き出した。
音楽がかかり、歌い始める。
最初は出る。
だけど、サビの少し前の部分から、いつも出なくなる。
それでもいい。
自分の声が、自分の耳に届く。
あれ?
声が出ている・・・・・。
いつも出なかったところも、ちゃんと出ている。
なんて不思議なんだろう?!
奇跡だ・・・・・・・
神様は、とても悪戯だ。
私を失望させたり、喜ばせたり。
頑張って沢山練習したから、ご褒美をくれたのかもしれない。
なんでもいいや。
だって私は歌ってる。
自分の声で!!
無事に舞台を終えると、心地よい疲労感と脱力感に襲われた。
終わった・・・・・・・・・。
もうこれが人生で最後の舞台かもしれない。
でもちゃんとやれた。
辛い時もちゃんと病気と向き合って、声の出ない自分を受け入れて、やりとげられた。
頑張った自分を褒めてあげよう。
それからしばらくの間、私はとても快調に声が出る日々を送る事が出来た。
もう完全に治ったんじゃないかと錯覚させるほどだった。
だけど、病気はまだ治っていなかった。
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診察の日に、先日のフラッシュバックについて医師に相談した。
「ある程度思い出しそうなものや場所は回避してきましたが、今回の様に突然思い出してしまうと自分ではどうにもならないんですが・・・・・」
そう告げると、
「回避出来るものは回避して、今回の様に予期せずパニックに陥った時に飲むと気持ちが落ち着く薬を何錠かだしましょうか。速攻性があるので、気持ちはすぐに落ち着いてきますよ」
と、医師は言った。
その後で、
「暴露療法というのもあるのですが」
「暴露療法?」
初めて聞く言葉だった。
「ショック療法みたいなものなんですが、あえて嫌な物と向き合ってその時間を計るんです。それを毎日記録して、自分がどのくらい耐えられるようになったかというのを知るんです。もちろん、それをする場合にはお薬を変えたり準備をしないといけませんから、急に始めたりはしないで下さいね。」
嫌なものをあえて見る・・・・・・・。
想像しただけで、背筋が冷たくなった。
「・・・・・・私には、まだその勇気はありません」
「そうですね。気が進まないなら無理にしないほうがいいでしょう。では、気持ちを落ち着かせるお薬だけ何錠か出しておきましょう」
「はい」
いつも処方している薬に加え、いざという時の切り札的な薬。
私は少し安心した。
もし先日のような事に遭遇したとしても、薬を携帯していれば・・・・。
先日の一件から、私は少々過敏になっていた。
思い出すのが怖いのだ。
症状が改善されてきたので、朝と晩に2回飲んでいた薬も夜1回に減らしていた。
だけど今日は朝から薬を飲んだ。
とにかく漠然と不安なのだ。
不意におこるフラッシュバックに加えて、知り合いに合えば、
「声、随分出る様になったね!」
「で、原因は何だったの?ストレス??」
待ってましたとばかりに食いついてくる。
皆で口を揃えて、ストレス、ストレスと言ってくる。
そうだ、といえば好奇心は満たされるのだろうか?
声が出なくなる=ストレスという知識しかないから、軽々しく面と向かって言い放つ。
もし私がストレスで失声に陥ったとしていたら、そういう言動こそがストレスになるとは想像出来ないのだろうか。
人には触れて欲しくない部分だってある。
どうしてそうも無神経になれるのだろうか?
「原因は・・・・」
と、聞かれる度に、私は一瞬当時の事を思い出す。
だから、思い出してしまいそうで
また声が出なくなってしまうんじゃないかと
怖くなる・・・・・・・。
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歌のレッスンを始めてから、かなり順調に回復していた私の声。
かなり安定してきたので、自信もついてきた。
私はもう戻らない、と心のどこかで勝手に過信していた。
だけど現実はそう甘くはなかった。
レッスンの最中、ダンススタジオのスタッフが舞台に使う小道具の作成をしていた。
器用に色々な小物を次々とリアルに作り上げていく。最初は感心して見ていた。
軍手をしたスタッフのが電動のドリルのようなもので次々にネジを材木に打ち込んでゆく。
手元に気をつけて・・・・・
そう心の中で呟いた。
私の心臓がドクンと音をたてた。
私の目の前がぐるぐると回りだす。
手・・・・・
軍手・・・・・
この二つのキーワードが私を過去に呼び戻した。
あの時、軍手の中で見つかった父の親指、血に染まったタオル・・・・・・・・・・・・・
静かに私は混乱した。
ダンスの先生が私の異変に気づき声をかけてくれた。
「大丈夫?」
なんとか「・・・はい」と答えた。
少しして、今度は先生が私の元に来て腕をつかんだ。
「顔が真っ青よ、どうしたの?少しこっちに来て休みなさい」
私は素直に先生の指示に従った。
「何かあった?」
「軍手が・・・・・ちょっと・・・・」
絞るようにそれだけ伝えると、先生は状況を察したのか、
「わかった、いいよ、大丈夫」
と言って、作業中のスタッフに別の場所でやってもらうように頼んでくれた。
先生は温かいココアを手に私の元に戻り、
「温かい物でも飲んで落ち着きなさい」
と、私の手にココアを握らせた。
私のせいでレッスンを中断させてしまって本当に申し訳ないという気持ちと、ぐるぐると頭をめぐるフラッシュバックに呼吸が苦しくなる。吸っても吸っても、酸素が身体に浸透していかない気がした。
ダンスの先生がレッスンに戻ると、心配そうに見ていた歌の先生がそばに来てくれた。
何も言わずに私の背中をさすってくれた。背中に優しくて温かい体温、両手には温かいココア。
胸がいっぱいになった。
怖い気持ちと先生方の優しい言動に、私の眼からは涙があふれた。
沢山の子供たちが練習しているのに、私はどうしてこんな所で涙を流しているのだろう?
きっと皆びっくりしているね。
ごめんね。
だけど、私の身体は私の意志でどうにもならず涙が次から次へと流れた。
すみませんでした。
ありがとうございました。
そう伝えたいけれど、今日はもう言葉にならない。
あんなに出ていた私の声は、また引っ込んでしまった。
また、戻るの?
せっかく歌えるようになったのに?
後半のレッスンはずっと座って皆の姿を眺めている事しかできなかった。
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長女が歌を教わっている歌の先生から、ヴォイストレーングをしてもらえることになった。
週に何回とか、月に何回という取り決めはなく、見られる時にみてもらうといった感じだが、この所週に1度程度みてもらっている。その代り、費用も殆どかかっていない。先生のご厚意で見てもらっている。
今日もトレーニングに行ってきたのだが、先生の古くからの友人(女性)が来て居た。
先生とは実に20年ぶりの再会だそうだ。
こちらの女性は先生と同様に歌を歌っていたそうなのだが、やはり一時期失声状態に陥ったことがあったと言う。
シャンソンを歌っていた彼女は、森友嵐士さんと同様に歌を歌おうとすると声が出なくなり、日常会話は出来たという。
そんな状態が数年続いたが、とあるヴォイストレーニングの先生との出会いがあり、そこから徐々に声が出るようになり今は歌えるようになったそうだ。
彼女は数年に渡り歌が歌えなくなり、もう二度と歌えないと思ったそうだ。
それの歳月に比べれば、私は数か月なのでマシだ。
やはり声にこだわりや思い入れを持っている人ほどなりやすいというのは本当の様だ。
今日は先生の指導の元、トレーニングを行い、物凄く久しぶりに「芯」のある「声」が出た。
それは一瞬でまだ継続しないけれど、
あ・・・・・、
私の声・・・・・・・
久しぶりに聞いた・・・・・・・・。
今までも出てはいたけれど、なんか違う。
くぐもった、芯のない声。
喉元で詰まって、引っかかっていた。
声はどうやって出すのか、どうやって話をしていたのかすら、数か月前はわからなくなっていた。
だけど、またこうやって自分の声を聴くことができた。
取り戻さなくては。
私の声。
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元T-BOLANのヴォーカル、森友嵐士さんがテレビに出演していた。
人気バンドのヴォーカルだった彼はストレス等により心因性発声障害となり、14年間もの間歌が歌えなかったそうだ。
彼の場合は歌おうとすると声が出なくなり、日常会話は普通にできたという事だった。
彼は1年かけて、坂本九さんの「上をむいて歩こう」を練習したという。
歌の歌えない自分に存在価値が見いだせなかったと語っていた。
私の場合は歌う方が声が出やすく、日常会話がダメだったから全く逆だ。
番組を観ながら、同じ病気でも色々なタイプがあるんだなぁと思う。
彼の場合は歌に対するプレッシャーが大きかったから、歌が歌えなくなったのだろう。
人それぞれに思い入れや感じる所が違うから、同じ病気でも症状も異なるのかもしれない。
私は今、歌をリハビリに使っているが、以前の様に声が出ない自分をもどかしく思う事が多々ある。
それでも全く歌も歌えず、話も出来なかった頃に比べたらすごい進歩なのだけど、昔の自分のイメージを追ってしまうからどうしても焦りや不安が生じてしまう。
私の姉は小さい頃からずっとピアノを習っていた。社会人になっても習い続け、母になった今でも趣味で時々弾いている。
姉は学生から社会人になった時、1年間ピアノを止めた。
会社に慣れ再びピアノを始めた時に、以前の様に指が動かず猛烈なストレスを感じたという。同じ様な人は沢山いるようで、大半の人がそのストレスに負けそのまま弾くのを止めてしまうそうだ。
1日弾かないと自分で違いがわかり、
3日弾かないと先生に違いがわかり、
1週間弾かないと観客に違いがわかる、と言う。
育児で何年もブランクを空けてしまった姉は、もう本格的に弾くことはないと言う。
弾かないというより、もう弾けないというのだ。
空けたブランクを埋めるには、同じ位の歳月、はたまたそれ以上の歳月を必要とするらしい。
私も歌の先生に同じことを言われた。
声が出始めると途端に欲が出て、もっと出したい。もっと歌いたいという気持ちが強くなる。
出ない部分があると不安になる。
例えば1~3小節目まで調子よく歌っていても4小節目はプツリと出なくなったりするのだ。
そんな私に先生は言う。
「焦らないよ、今日はすごく声が出ていたよ。出ない部分は気にしない。悪くなった期間と同じくらい、それ以上かけて治すつもりでね」
森友さんは今、歌を歌っているけれど、自分のイメージ通りに出せているのだろうか?
私の様に、「出るけどイメージと違う」、「以前の自分と違う」と感じているのだろうか?
私と森友さんではかかったストレスやプレッシャーは比較にならないので、同じ様に考えるのは失礼だと思うが、同じ声を失った苦しみを知る者として考えてしまう。
T-BOLANは大好きだったので、今でも当時買ったCDを大切に持っている。
森友さんがもしまだイメージ通りに声を出せずにいるのなら、良くなりますようにと心から祈りたい。
辛い現実に向き合い乗り越えた彼の歌声は、以前にも増して素晴らしく感動的だった。
私も頑張ろう、と励まされた。
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長女が今年の春から通い始めたダンス・スタジオは、とても良い所。
声が出るようになって、先生から
「11月のミュージカルでお母さんも出ない?」
と、誘われた。
舞台や歌が好きな私は二つ返事で
「はい」
と答えた。
ちゃんと歌えるかなんてわからないけれど、私がやるのは歌と踊りだけ。
セリフはないし、ソロもないから大丈夫だと思う。
苦手な電話も出るように心がけ、無謀な様なミュージカルにも出ることにした。
逃げてるだけじゃなくて、ダメでもぶつかって行こう。
やって出来なくても、やらないで出来ないよりきっといい。
でも始めたら絶対に凹んじゃいけない。
声が出なくても落ち込んじゃいけないと、自分に言いきかせた。
ミュージカルなので、歌の先生とも話する機会が増えた。
長女はダンスと歌を合わせて習っているので先生とは面識はあったが、何せ話せなかったので会話したことはなかった。
歌の先生が私に、
「今度声をみてあげるね。どこが出なくて、どこが出るのか」
と、言ってくれた。
「不思議なんですが、歌はわりと声が出るんです。話すのが出しずらくて・・・・・」
と私が言うと、
「そうなのよ、それが普通なのよ。声が出なくなった人はそれが普通なの。
だから、出やすい音を探してそこに合わせて行くのよ。そういうトレーニングをすればいいの」
そそそ、そうなのかぁ~!!!
知らなかったよ。
声が初めて出たのも歌で、その後も暫く会話は出来なくても歌は歌えた。
どうして歌は出るのに、会話はできないのだろう??
と不思議でたまらなかったんだ。
病院の先生も、そんな事は知らないから教えてくれなかった。
周りでこんな病気にかかった人も居ないし・・・・・。
やはり専門家は違うね・・・・・・・。
「歌うように、高い音のが話しやすいと思うわよ。鼻腔を使って話していくとだんだん良くなるわよ」
だって。
すごいっっ!
すごいっっっ!!!
やはり、このダンススタジオにあの日に来たのは、運命なんじゃないかと思う。
導かれたんじゃないだろうか?
ここへ行きなさいって。
ここへ行けば、失ったものを取り戻せるって。
失った声、
もう二度と自分が立つことはないと思っていた舞台。
私はここでダンスを習う子供以上に、色々なものを得ているのかもしれない。
舞台に立つと思うと、ワクワクしてゾクゾクする。
やはり私は舞台が好きなんだなぁと、当たり前だった事を思い出した。
このスタジオの先生の人柄に惚れていたが、やはりそういう人の元には良い人が集まって来るのだろう。
歌の先生もとっても良い方で、温かいオーラが沢山出ている気がする。(見えないけどね)
先が見えない暗闇の中で、ぽぅっとここだけ明るくて、気が付けば自分の進む先も照らしてくれる
そんな感覚。
どうしたら前みたく話せるの??
と、ずっと思っていたけれど、なんだか大丈夫な気がしてきた。
「でも焦っちゃだめよ、ゆっくりよ」
歌の先生が言う。
今まで何度となく周りから言われてきた言葉。
前は気休めに聞こえていた言葉。
今は素直に受け止められる。
先生が言うと、魔法の言葉のように、私の中にするりと入っていく。
勇気を出して良かった。
私の道は続いている。
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通院をし、カウンセリングにも通い、声は少しずつ出るようになっていったけれど、どうしても出ない音や音域がある。
以前は出ていた音域、高音と低音の中間の音が上手く出ない。だから歌も上手く歌えない。
自分の声は壊れた楽器の様だなと思う。
意図しない音が出たり、クリアに出なかったり、動かしていなかったので舌も上手く回らない。
普通の人からしたら恐ろしく滑舌が悪いというまでではないかもしれないが、以前の仕事柄クリアに発声し歯切れよく喋るということが身体に染みついている。だからこそ、ろれつの回らない自分の声を聴くのが辛くもどかしい。
私はどこへ行ってしまったのだろう?
と、時々思う。
声が戻った様に、いつかは元の自分に戻れるのだろうか?
どの音も同じくらいの音量で安定した声を出せるようになるのだろうか?
カウンセリングはもう話すことがない。
「どんなことでもいいので、どうぞ」
と、言われても、特別何が起きたわけでもなければ酷く落ち込むこともない。
声は出るが綺麗に出ない状態で、停滞している時期が長く続いているだけだった。
症例が少ないせいか、カウンセラーも解決に導くような答えも持ち合わせていないし、聞きたい答えも帰っては来ない。
意味があるのだろうか?
時間とお金を使って、ここに通う意味・・・・・・。
聞いてもらうだけで何が変わるとも思えない。
医師から処方される薬は昼間は飲んでいない。夜、眠る前にだけ飲むことにした。
昼間に不安を感じる事はないし、日中眠気に襲われるのは厳しいからだ。
まだ日中に薬を飲んでいた時に怖い体験をした。
ソファーでウトウトと昼寝をしていたら、目が覚めた。
いや、初めから目は覚めていたのかもしれない。脳か身体か、どちらかが寝ていてどちらかは起きているような不思議な感覚。
耳のすぐそばでザワザワと沢山の人が話す声が聞こえてきた。
自宅のリビングに居るのに、まるで渋谷や新宿の雑踏の中に居るような喧噪。
私の眼にはいつもの天井と、いつものリビングが映っているのに。
首をぶんぶんと振ってみた。
だけど声は止まない。
その中で一人の男性の声だけがやけに鮮明に届いた。
私に何か言っている。
「マドカラ トビオリロ・・・・・・」
!!!!?
私は横たわっていたソファーから転げ降り、床に身体を預けた。
まだ声が聞こえる。
「ハヤク ソコノマドカラ トビオリロ」
身体が硬直して起き上がる事は出来ないので、必死に声を振り払おうとした。
金縛りとも違う、夢でもなく・・・・これは・・・・・白昼夢?
私はついに幻聴まで聞こえるようになってしまったのだろうか?
死にたいなんて、思っていないのに、こんな声が聞こえる私は潜在的に自殺願望でもあるのだろうか?
それとも心霊現象?
この一件を医師に話してみた。
すると医師は思いもよらない答えを返した。
「それは薬の悪戯かもしれませんね」
「薬の悪戯?幻聴が聞こえたりするんですか?」
覚せい剤でもないのに・・・?
「こういった類の薬には少なからず副作用があって、それは出る人と出ない人がいるのだけど、一度だけなら今の薬を続けていきましょう。何度も繰り返すようなら考えなくてはいけないけれど、今飲んでいる薬が一番弱い薬だから、それ以上弱い薬っていうのはないんですよ」
「・・・・・・はぁ」
とりあえず、頭がおかしくなったわけでも心霊現象でもなかったことに安堵した。
夜はまだ時々不安になる。
瞼を閉じると怖い映像が映し出され恐ろしくてたまらなくなったりするので、薬はまだ必要かもしれない。
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食欲はあまりなかったが、元気になるためには食べなくてはと思い、少しずつ食事の量を増やすようにした。
気持ちが落ち込んでいる事も食欲のない原因ではあったが、味覚が鈍くなっていてあまり食べ物の味がわからないというのも食欲がわかない大きな要因のひとつだった。
何を食べても美味しくない、というかよくわからない。
味覚が鈍くなっていると気が付いたのは料理の味見をした時だった。
私は基本的に濃い味が苦手なので割と味覚は敏感な方なのだけれど、料理をお玉ですくって味見をしても濃いも薄いもわからいのだ。何度試してみても、やはりわからない。
私はあきらめて、素直に主人に打ち明けた。
「味覚がおかしくて味がわからないから、暫く味が多少おかしくても我慢して」
味見をしなくても、軽量スプーンやカップを使えば大きく失敗することはないし、大体の感覚があるので大きく味が変わるということはないだろう。
問題は料理の味ではなく、私の味覚だ。
ストレス性のものは耳や鼻、口あたりに結構来ると、いつか誰かが言っていた。
そうなのかもしれない。母もストレスで難聴になったし、私も声が出なくなった。そして味覚も・・・・。
元々生まれつきの近眼で非常に目が悪いのに、喋れなくなって、味覚がなくなって、私はどうなってしまうのだろう。これで母の様に耳まで聞こえなくなってしまったら・・・・・。
時々、耳鳴りがして、その度に私は恐怖にかられた。
どうか、耳が聞こえなくなりませんように・・・・・・・!!!
私自身はそんなにストレスを抱えているという自覚はなかったのに、どうしてこんな事になっているのだろう。
声が出ない、味覚がない、そういう不安はストレスになる。それは自覚することができるが、根本的な原因は一体なんなのだろうか?
カウンセリングには月2回通っているけれど、正直これでなにが変わるのか?
と、いつも疑問に思う。
無意味に思えるようなカウンセリングでも、効いているかわからないお守り程度の薬も、今の私に必要なのだと言われれば受け入れる。
私にはそれしか出来ないから。
ふと、思う。
私の中には、私の知らない私が居て、そのもう一人の私が酷く辛い思いをしているのではないかと。
多重人格とは違う気がする。
私は記憶が無くなるから覚えていないけれど、それを覚えている自分が居て、その自分が辛いと身体にうったえているのではないかと。
多重人格は記憶のない間に他の人格が身体や心を支配するけれど、私にはおそらくそういった事はない。
ただ、忘れてしまうだけ・・・・・・・。
過去の記憶は曖昧で、最近のことも危うい。私の脳はやっぱりちょっとヘンだ。
どうしてこんなにすぐに忘れてしまうのか。嫌な事以外でも忘れてしまう。
それでも私は、日々少しずつ声が出るようになっていた。
自分では何が何だかわからない。何で出るようになっていったのか?何で出なかったのか?
初めは小さなかすれた声。
それからもう少し大きく話せるようになっていった。
だけど、くぐもった喉につかえるような声で以前の自分の声とは違ていた。
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「若年乳がん 拓かれた若年乳がん診療を目指して」
http://www.jakunen.com/
若年性乳がんについて知っていただくための厚労省のサイトです。
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同じ病気に羅漢した一人の女性として、小林さんの闘病は心が痛いものでした。
もっと生きたかったでしょう。
もっと見たい景色がたくさんあったと思います。
後ろ髪を引かれることだらけだったでしょう。
残されたご家族も同様かと思います。
一人でも乳がんで命が奪われない未来がやってくることを切望します。
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http://news.livedoor.com/article/detail/13036882/
この記事を見た時、怒りしか湧かなかった。
医師は神じゃないし、仏でもない。
「最善を尽くす」と言ってくださるのは至極当然。
それに対して嚙みついたとして、
パーセンテージが上がるのか?
そんな事を言う人間が増えれば増えるほど、
医師は追い詰められてしまうのでは?
この人、嫌いだ。
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私の母は長きにわたり、入院生活をしている。
退院はほぼ不可能なレベル。
なので、彼女が亡くなるまでは入院になるだろう。
だからと言って、私が何かをするという気持ちにはなれない。
幼少期から、愛情を受けた記憶もなく、
気が付けば離れて生活をし、気が付けば今に至る。
それでも何かあれば私にケツは回ってくるし、
いつ亡くなるかわからないけれど、最終的には私がもろもろやることになる。
いつになれば終わるのだろう・・・考えると胃が痛い。
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明けました、大分…w
サイトの更新などはしましたが、Blog忘れた深月です(><)
皆様、本年もまったりよろしくお願いします。
さて、1月7日は私が手術を受けた日。
つまり、第二の人生を歩むきっかけになったとも言える日です。
今年の7日は偶然公休と重なりましたが、
前の日が会社の新年会だったため、爆睡して終わりました(涙)
ま、いっか。
新たな年を迎える事も出来て何よりではありますし、
無事公私ともに平穏無事に過ごせているのは何よりって感じです。
体調的には悲しいかな、更年期の症状が少しずつ出てきていて、
生理不順やら頭痛やらに悩まされてはいますが、
まぁこれも何とかなるでしょう ← 希望的観測w
こんな私ではありますが、今年もよろしくお願いしたいです、はい。
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ま、まだだいぶ日はありますが(笑)
今年は色々ありましたなぁ・・・
□ 食中毒になった
(お盆休みで本当に良かったw)
□ 車で中央分離帯と友達になった
(人の優しさに触れたり、自分の運の良さに驚きました)
□ LIVEを観るために遠征した
(自宅大好き女が奇跡の行動w)
□ 試験落ちた
(当然です・・・wろくに勉強していなかったし)
□ 激やせした
(改善の方向に向かって邁進しております・・・orz)
□ 久々のお友達に会えた
(来年はランチにも行きたいなぁ・・・)
□ 転職しなかった!
(もういいや、しばらくは・・・)
って一年でした、はい。
病気については、あまり考えなくて良い状態ではありますが、
加齢には勝てず、しょっちゅう頭痛やら体調不良にはなってます。
それでも持ち直せる程度なので、大したことはないのでしょう(苦笑)
脳みそはそれなりに動いていますが、メンタルが昔より弱くなった自覚あり。
ただその点については、少しずつではありますが、改善してますかね。
人の心は傷が加算されるシステムになっているらしく、
辛いことや苦しいことがあると、一旦ゼロになります。
そこから再びプラスにするためには、かなりの年月と努力が必要で、
今ようやくプラスになりつつある状況。
要因としては、新しい仕事に慣れて来たことと同時に、
過去の「出来ていた自分」をようやく思い出せる程度に復活したことかな?
数年前、私は自分を全否定されました。
そしてその傷がなかなか癒えず、今に至りました。
でもね。
本当に少しずつですが、その傷が薄くなってきたと言うか・・・
その傷を付けられた要因を自分が否定出来るようになってきました。
これはある意味進歩なのかもしれません。
誰かに付けられた傷は、自分以外では治せない。
そりゃ優しい言葉を他人からもらえたりすると、一瞬は落ち着きます。
けれど、すぐにその傷はぶり返す。
なので、その傷自体を否定しないと治らない。
この数年、それをひたすら繰り返した自分…悲しいです。
ここまで弱くなかったはずなのに、いつから?って思いもあったし。
今はたまに落ち込んだり、自己嫌悪になったりするけれど、
それはそれだと思うようにしています。
ってことで、今年は。
色々なことを気が付かせてくれた一年だったと言えます。
来年の目標や抱負については、年末にでも書きましょうかねw
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【スマホゲームをしない人には何のこと?と思われる内容含む】
ご無沙汰しておりました。
ええ、元気でしたよ、それなりに(笑)
一年前くらいから、あるスマホゲームにはまりまして、
ひたすらそれをやり続けておりました。
知らない間にメンバーを統括する側になり、紆余曲折ありながら、
気が付けば最強同盟と呼ばれるところに入り、
どこからも攻撃されない(戦争ゲーム)安寧の地に落ち着き、
少しだけその環境に慣れて参りました。
それと同時に姉妹ゲームもやっておりましたが、
あまりにも人間関係が面倒になり、結果引退した次第です(苦笑)
何て言えば良いか微妙ですが、同じスマホゲームでしたし、
姉妹ゲームの一種な筈なのに、ぶっちゃけ民度が違うと言うか・・・
DQNという括りの人が多かったなぁと振り返る今日この頃。
結論としては、ゲームにも人間性大切!ってことで(笑)
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ふと何気なく見たネットニュース。
小林麻央さんのブログ記事について触れていたモノ。
読んでいて、私まで悲しい気持ちになった。
私が最初に胸にしこりを見つけたのは28才。
その時に摘出をして生検に出したけれど、
結局はグレーと言われて終了。
医者の意見もほぼ一緒で「まぁ大丈夫でしょうね」って。
それから2年後、再発した。
仕方がないこともあるだろう。お医者様も神様ではないから。
けれど、結果的に私は乳がんだった。
・・・他人事とは思えない気がしたのは私だけだろうか?
う~ん・・・。
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お久しぶりの更新です。
資格試験の勉強やら、このタイミングで始めたゲームやら・・・
何だか日々充実しているようなしていないような日常。
そんな感じです、はい。
じゃあ何で久々に書こうと思ったか。
それはやはり小林麻央さんのBlogでしょうね。
彼女のブログを拝読し、何となく共感出来ました。
なぜでしょうね。
病気って不思議と自分の殻に閉じこもってしまう人が多い。
それも優しさからの閉じこもりなんですよね。
私はオープンな性格ゆえ、あまりこもることなく、
あっけらかんと社会復帰しましたが、
それだって周囲はかなり心配してくれました、はい。
そりゃね、辛かった時期もありました。
体力は落ちるし、免疫力ってどこにあるの?
ってこともあったしね。
けれど、年月がそれを全てクリアしてくれました。
幸いにも外科的手術とそのあとのホルモン治療のお陰です。
だからあれからかなりの歳月が経過していても元気です。
ストレスに弱くなった時期もありました。
自分が脆くなったと感じた時もありました。
でもね。
気が付いたら乗り越えてしまえました、私。
それも全て身内や仲間から沢山パワーをもらったから。
本当に感謝です。
あ、あと主治医ねw
先生や先生のお嬢たちのお陰でもありますな。
きっと私は大丈夫。
そして今、乳がんと戦っておられる皆さん、
きっと大丈夫。
負けるって思ったら、負け。
勝てるって思ったら、勝ち。
ただそれだけなんですよ、だって最後は自分との勝負だから。
共存も出来ますし、正面切って戦うことも出来ますが、
きっとそれって様々な環境で選択するしかない。
今の貴女にとって、必ず良い選択が出来るはず。
なので、一緒に乗り越えましょう(^^)
ブログで全文を読む
最近思うこと・・・
私って、更年期なの?
これまで、全く別世界のことと、気にしてなかった。
気持ちはまだまだ30代だったし、見た目だって・・・
いろんな面で、自信満々だった。
43歳くらいから白髪が増え、髪の毛のボリュームが少なくなった気がして、
目の下に肝斑らしきものも出来た。
ん?バストの張りがなくなってきた?・・・etc
ちょっと気になってきてたものの、
いやいや、大丈夫、みんな若く見えるって言ってくれるもん!
と、まだ現実を見る気なんてなかった。
44歳で子宮筋腫があることがわかり手術・・・
筋腫の手術、不妊治療と時が流れていく中、
「女性ホルモンのバランスの崩れ」
という言葉を何度も見ることになった。
いろいろ見聞きするごとに、自分のからだの中の黄色信号に気付く。
そしてその症状が、どうも更年期の項目に当てはまってる気がして(・・;)
無理しすぎ、頑張りすぎて溜まってきたストレス、どんどんからだを冷やしてしまってた生活習慣・・・
そして、年齢とともに老化してきてる卵巣・・・。
前回の妊娠検査の時に担当の先生から言われた言葉、
「年齢的にも難しいですね、あれだけ誘発して結果1個しか卵採れなかったでしょ・・・」
わかってはいたけど、実際言われると、その時はショックで頭の中真っ白で・・・
これまた私の悪いところで、現実を受け入れようとしてなかったのかな・・・。
暫くは現実逃避して、少しずつ今を考え始めて・・・。
結局、私の卵巣が老化しちゃってて、私の卵巣、これまでこつこつと女性ホルモンを作り続けることに疲れて、若い頃と同じ調子でホルモンを作ることが出来なくなってきてるってことなんだな。
じゃ、疲れた卵巣を元気にしてやれば、卵巣の老化は遅らせることが出来るのかなぁ?
卵巣が元気になると、排卵、着床ってまだまだ可能?
女性は胎児の頃から、卵巣に数百万個の原始卵胞を持っているって見聞きしたことがあるけど・・・。
ところで、私の卵巣には、その原始卵胞はまだあるの?
などなど、まだ前向きな気持ちが残ってるみたい。
卵はあるんだ!そう信じて、まずは、卵巣を元気にしてあげることをしていこうと思います。
「普通よりも長い期間、卵巣が元気に働き、女性ホルモンをどんどん出せる人のことを
若々しい女性と言うのです。」
と、この前本屋さんで買って帰って読んだ本に書かれてありました。
私は信じます。
もうひとつ、
「卵巣が若く、排卵があればいくつになっても妊娠可能」
とも書かれていました。
嬉しすぎる言葉・・・
信じます。
希望が見えた気がします・・・。
希望を持って、充実した日々の生活を送りたいです。
更年期を気にしてる場合じゃないですよね(*^.^*)
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今日、岩盤浴に行ってきました。
なんと、初岩盤浴。
ずっと気になっていたのですが、なかなか行けずで・・・。
次の体外受精までに少しでもホルモンを整えることは出来ないか・・・と、
いろいろ情報収集していました。
前から気になってたウェルネスさんの「コタマゴ」を取り寄せ
読んでみたり・・・。
「・・・あくまでも治療は、妊娠の行程を一部手助けするものであって、受精卵の着床や妊娠の維持はあなたの体内で自然に行われることです。
結局のところ、どんなにいい治療を受けたとしても、妊娠成立となるかどうかは母体となるあなた次第だと・・・」
「治療の成功率をあげたいのなら、腕のよいお医者さんを見つけるのではなく、治療を受けるあなたが出来るだけいい状態で治療に挑むことをお勧めします・・・」
とありました。
私にはそれ以前に、卵の質、卵巣を元気にすることも大事なんだけど
ひとつひとつ、出来ることから心がけていきたいと思っています。
*血液の循環をよくすること*
血液のおもな働きは、栄養を運ぶ、酸素を運ぶ、体温を保つ、病原体からからだを守る。
私は、血液の循環がよくないと思います。
改善していくには、食事、運動、生活習慣・・・
いろいろあるみたいですが・・・。
ネットで調べたり本を読んだり・・・
そんな中、最近よく足跡を残して下さってる岩盤浴ゆらゆさん。
ブログを拝見して、同じ今治だし、初回無料だし・・・
行ってみよう!と重い腰を上げたのでした。
うつ伏せになり5分お腹をあたため、上を向いて10分腰をあたため、休憩室で水分補給しながら5分ボーっとして・・・
今日は、とりあえず3回繰り返したかな。
サラサラのいい汗を流し
癒しの音楽でリラックスした時を過ごし・・・
からだの芯から温まった気がします。
からだも軽くなったような・・・。
この感じだと、腰痛もよくなるのでは・・・。
続けてみようかな、と思っています。
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月曜日、病院に行ってきました。
やっぱり、ドキドキするものですね・・・。
名前呼ばれて尿検査。
再び待合のいすに腰掛けて、祈る・・・。
ついに、名前が呼ばれる・・・。
今までは、あ~、やっと呼ばれた・・・と行くところ、
今回は、ついに呼ばれてしまった・・・と・・・。
結果、(-)
妊娠していませんでした。
わずかの可能性に・・・
だった今回の移植。
あれから息が途絶えちゃったんだな・・・。
でも、ほんのちょっぴりひかりをみせてくれた・・・。
先生は、これだけお薬を使って結果1個しか採れなかったし、
やはり、年齢的にも難しいですね・・・、と言っていた。
今年の5月で46歳、更年期な年頃だ・・・。
ずっしり「年齢」という言葉が乗っかってきた。
今後体外受精をするにしても、卵巣の治療も含めて薬を続けてきてるので
少し、間をあけてあげないといけない・・・
2ヶ月、からだを休ませてあげましょう。
その間に、ご主人と今後のことを話し合ってみて下さいとのこと・・・。
旦那にメールでダメだったことを知らせ家に帰った。
よく笑ってたな~、その後今日まで。
後ろを見たら後悔ばっかりしそうだから・・・。
後ろみないように、テンション上げて、口角上げて・・・。
4月まで、体力つけて、体調整えて・・・
いっぱい笑って・・・
春を待とう!
そう思う今日この頃です(*^▽^*)
診察料&検査 ¥2,667
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今日で何回おしりを出したんだろう・・・。
人生、こんなに立て続けに注射に通ったのは初めてのことだ^^;
ベッドにうつ伏せになり自分でおしりを出す・・・
この動作も手馴れたものだ^^
途中、おしりが大きくなった気がして・・・
毎日の注射でおしりが腫れあがった?
何て思ったりもしたが、食べすぎと運動不足でただ太っただけだった^^;
寒いから家の中でゴロゴロしてばかり・・・
朝昼晩しっかり食べてお薬飲んで・・・
お腹いっぱいになると眠くなるし・・・
ウトウト眠ってしまったり・・・
夜も早めに布団の中に・・・どんなに昼寝しても
夜はぐっすり眠れる・・・。
病院は4時前に行って帰りに買い物寄って
ちょっと横になり
それから晩ご飯の支度・・・
この繰り返しもとりあえず今日までなのかな・・・
またいちからなのかな・・・
今日で残りの注射終わり。
明日は診察日だ・・・
*注射
2月 4日(金) ¥700
5日(土) ¥2,500
6日(日) ¥2,600
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