ここ2年ほど胃の調子が不安定で、食べられなく
なる時もあり内科にかかっている。
▪️胃薬は飲み続けてることで、安定して食べられ
ている
▪️問題は食べてるのに体重がもとに戻らない。
この2年で5kg減った(先日のコロナで2kg減)
ストレスや病気で一時的に減るのは解るが、普通
に食べてるのに戻らない。
見た目も貧相で病的に痩せたと言われるし、
自覚もあってつらい。
どうすれば体重を増やせるのか?
先生は、もともと痩せてる人が何らかの理由で
体重が減った場合、もとに戻すのは簡単ではな
い。
太ってる人が何らかの理由で体重が減った場合、
すぐにもとに戻る。
世の中はダイエットしたい人が圧倒的に多いが、
痩せてるが太る方が難しく深刻な悩み。
方法としたら、カロリーを多く摂るしかないの
で食事の回数を1日5回に増やす。
3食は普通に食べて、あとの2食はおにぎり、パン
プリン、カロリーメイトなどカロリーを摂れるも
のを食べる。
間食におにぎりを食べると夕食が食べられなくなっ
たりするので、分量は様子を見てやっていく。
これでまずは1kgずつ増やしていくけど地道な
努力が必要。
2年間で減った5kgを取り戻すには、数ヶ月から
年単位でかかる。
頑張ってやりましょう!
との事だったが、食事を増やすには限界があるか
ら、他の方法、薬とかサプリとかないのか?と
訊いたが、栄養補助食品のパックがあるけど、
かなりまずいので、自分でプリンとか好きなのを
買った方がいいと言われた。
げんなり。。。
ブログで全文を読むすごい�
試合見てなかったけど、すごく盛り上がったでしょうね!
球場で直に見てた方たちは歴史的瞬間に立ち会えて最高の気分だったかもですね(*´ω`*)
とにかくおめでとう��
石川さん!
ブログで全文を読む本当に大切なものは、普段は当たり前のように手の中にあるんですよね。
しかし、持っている感覚があまりなくて、大切だという認識も普段はほどんどありません。
なぜなら、もう片方の手で別のものを必死で掴もうとしているからです。
なので、大切なものを握っている手に意識がいかないのです。
当たり前のように手の中にあるから、失う危機感もないまま過ごしています。
時代の変化とともに環境や価値観が変わり、持っていないものを得ようとする意識が強くなっています。
その分、持っている大切なものへの意識が薄くなってしまいがちなのかなと思います。
しかし、時々、握っている手の力が緩んで落としそうになるんです。
普段は当たり前のように手の中にある大切なもの、それらを落としそうになり「失うかも。。。」と感じた途端に、その大切さを急に痛感し、失いたくない気持ちがマックスになっていきます。
そして、日々、もう片方の手で必死で掴もうとしているものが、どうでも良いものであることに気づかされるのです。
どうでも良いものを、普段は必死で得ようとして生きていることに気づかされるのです。
本当に大切なもの、それは必死で生きていると当たり前の存在すぎて、普段は見えなくなるものばかりです。
健康な体もその一つだと思います。
あるのは当たり前、だから無いものばかりを必死で追いかけてしまう。
その結果、当たり前のように持っている本当に大切なものを落としそうなってしまうのです、
これって、一生懸命な人ほど、陥りやすいことのように感じます。
一生懸命に生きている人ほど、必死で何かを掴もうと頑張って生きていますからね。
大切なものを落とさずに、失わないためにも、失いかけるという出来事は必要なのだと思います。
落としそうになるからこそ、また強く握ることができるのですからね。
大切だということを再認識が出来ることは、生きる上での方向修正に繋がります。
その方向修正があるからこそ、大きく道を外れずに生きていけるのだと思います。
落としそうになっても、またちゃんと握れば大丈夫なのです。
難病克服支援センター
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お疲れ様です!
1時間ほど前にライブ会場を後にしました。
めっちゃ興奮したし、めっちゃ緊張して苦しくもなった��
ても、乗り切って少し成長した気がする✨
成長出来たのはコブクロが目の前にいたから( �‿� )
それと、コブクロファンが良い方たちばかりだったから☺️
なんかもう治そうとか、顔が赤くなってそれを見られたらどうしよ�と隠そうとしたり、逃げたりするのはダメだということがわかった。
顔が赤くなっても、挙動不審になっても、
仕方ない‼️
これ。この考え方ができるか出来ないかで、治るかもしれないし、いつまで経っても治らないかもしれない。
もう諦めるしかないんだって��
お腹が鳴って恥ずかしい時も、鳴るのを堪えるんじゃなくて「自分はそういう体質だから仕方ない」
人に見られて顔が強ばるのも、強ばりを和らげようと努力するのは止めて、「自分はこういう表情しか出来ないんだからしょうがない」と諦めた時、不安症は治るそうです。
簡単には行かないだろうけど、自分のいろいろな問題に対して、抗おうとするのは止めて、諦めてありのまま生きようと思います�
そしたら治るんだから、治るためならこんなことなんて事ない!
今までの考え方が間違ってたから、今まで治らなかったんだ。
これで失敗したところで、特に失うものなど何も無いですよ�
昨日はIBD外来でした。
先週、コロナウィルス発症で
受けられなかったので、改めて。
5類移行で陰性確認をしていなくても
発症からの日数と
症状の治まりで
そのまま受診して大丈夫でした。
今は喉の淡がからんだ
いがらっぽい感じだけが
ほんの少し残る程度です。
血液検査も問題なし。
エンタイビオ7回目も無事受けられました。
スキンケア外来だけが
予約ギッシリで受けられなくて
また2か月先になってしまいました。
中心静脈栄養の刺入部は
診てもらったものの
まだ挿し替えなくても良いとの判断で
そのまま様子見となりました。
病院帰りにお買い物して
駐車した所で走行距離が3000kmになりました。
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今日はいまからコブクロのライブ行ってきます(*`・ω・)ゞ
数年ぶりだから、ちょっと緊張してきた��
でも、それ以上にワクワク(っ ॑꒳ ॑c)
「あなたが健康を願う人はだれ?」という文字をみかけたので、書いてみる。
アタシが健康を願う人・・・
そうだなぁ。
自分、と言いたいところだけど。
次兄かなぁ。
それと、気にかかるブロガーさんが数人。
身近にいる人、という意味では次兄かな。
彼が糖尿を発症したのはいつだったのか。
もう忘れちゃったけど。
久しぶりに家に来た時に、妙にガリガリで。
時々、甘酸っぱい、身に覚えがある臭いがしていたので。
慌てて、「医者に診てもらえ!」と言ったらば。
呑気に”まずは健康診断してからね~”とかいうて。
診断を申し込んでから1週間後に診断。
そしたら、精密検査が必要とのことで。
その後、2型糖尿病だってことが発覚したんだけど。
HbA1Cが14%だったんでねぇ~。
アタシャ~、ビックリよ。
(インスリンを打っていた母は13%止まりだったのに。
いや、それにしてもアタシと同じものを食べていた母との差が激しかった。アタシは6.5~6.8%をウロウロ)
兄が発症したのはいつだったかな?と思って。
このブログの記事を検索してみた。
(2016年10月15日(土)の記事から抜粋)
兄のHbA1Cは
(採血した日には出ないので、ひと月前の結果だけど)
発症時の、4月 14% 平均血糖値: 360
5月 10.2% 平均血糖値: 246
6月 8.9% 〃 : 207
7月 7.9% 〃 : 177
8月 7.4% 〃 : 162
9月 8.1% 〃 : 183
実は、兄によればもっと前から健康診断で血糖が高いことを指摘されていたけども。
痛くも痒くもないので医者に行かなかったのだそうな。
↑
だから、次兄に言ったんだよね。
「そんな悠長な。。。 2型で良かったね」って。
だって、1型だったら多分、死んでるよ。
(インスリンの出にもよるけど)
兄は発症発覚(2016年)から考えて。
7年てことになるのかな。
・・・。
年の半分は、アタシの目の届かないところにいるし。
うちにいない間、何を食べているか知らないけど。
毎回、痩せて帰ってくるんで心配だなぁ。
7年、と言えば。
合併症が出てくる頃かな、と思うんだけど。
40年長のアタシが出てないんで、同じものを食べてりゃ~大丈夫かも、、、だな。
いや、でも、次兄はインスリン打ってないんで。
う”~~~ん、、、どうかな。
わんズの為にも、わんズが全頭、寿命で逝くまでは元気でいて欲しいものだ。
*****
アタシの発症時の話を。
アタシの場合は1979年、母により開業医に強制連行され。
そこから紹介状貰って、すぐに大学病院の小児科に行き。
外来から、そのまま1ヶ月の強制入院だったからね。
「若年型糖尿病」とかいうて。
「半日~1日(受診が)遅れてたら死んでたかも」とまで言われたんだよ。
「生涯、日に複数回のインスリン注射を打たないと死ぬ」とも言われて、否も応もなく。
即、日に複数回のインスリン注射を開始。
(まだインスリン自己注射が保険適用ではなかった。
保険保険適用は1981年)
1ヶ月後、退院する時からインスリンのバイアルとインスリン用注射器を処方されて、家でインスリンを打ってた。
思えば。
まだ、自己インスリン注射に保険が効かなかったし。
その頃、院内処方が当たり前だったような気がするし。
開業医は大学病院に紹介するしかなかったんだろうなぁ。
多分、ふつうの薬局ではインスリンも注射器も扱っていなかった・・・と思う。
なんたって。
自分でインスリンを打っちゃいけなかったんだから。
(母の話では。
朝、病院に行って打ってもらってた人がいたそうな^^;)
ということは。
その頃、院外処方してくれる薬局があったとしても。
いつ出るか解らないインスリンは扱っていなかったんじゃなかろうか。
使用前は、冷蔵(2~8℃)保存する必要があるんだけど。
凍らせたらダメダメなのよ~ん。
変性しちゃうと効かなくなっちゃったりするらしいから。
凍らせるのも暑いのもダメなんて、ホントメンドウだなぁ。
なのに。
使い始めたら30℃以下(室温)までOKとか・・・どういうことなのよ~?と思うわ。
開封したインスリン(多分ペン型)が室温OK なのは、冷蔵保存すると注入器が故障することがあるから、らしいけど。
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ショップをあとにして総持寺に向かいました。
ショップから車で10数分の場所にあり、
以前から行きたいと思っていたのです。
総持寺は曹洞宗の関東の総本山です。
https://www.sojiji.jp/
今回行きたいと思っていた理由は
アントニオ猪木氏のお墓参りをしたかったのと、
親父の葬式の時にうちは曹洞宗だったと知ったので。
日本仏教の曹洞宗は道元という人が開祖で
仏壇にはお釈迦様を祀るという事を
仏壇等一式購入する時に仏壇屋さんに聞きました。
(違っていたらすみません)
お釈迦様は像だとお金かかりそうだったので
絵が描かれた小さな掛け軸タイプを購入しました。
話は総持寺に戻って。
境内は物凄く広いです(@_@)
ここは改修中でした。
ここで御朱印を貰いました。
蜜を避けるためか、最近は予め書置きした物をいただく事が多いのですが、
直接書いてもらった方が気持ち的にはありがたみがある気がします(^^;
この時、アントニオ猪木のお墓の場所を聞いたのですが、
猪木家個人のお墓なので場所は教えられないと言われました。
そこでスマートフォンで、
既に訪れた人の投稿を参考に行く事にしました。
お墓内をウロウロしていたら、
大西瀧治郎海軍中将のお墓がありました。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E8%A5%BF%E7%80%A7%E6%B2%BB%E9%83%8E
神風特別攻撃隊の立案者張本人の一人と称されている人物です。
(この説に疑問を持つ人もいます)
新しい石です。昭和後半か平成に建て替えられたのかな??
遺書が刻まれた石碑もありました。
この人は終戦が決まった日遅く(明日ですね)
深夜に介錯無しで割腹自決しています。
介錯が無かったので息絶えるまで
時間がかかり苦しみながら死んでいきました。
複雑な思いが心にあり、
南無三と唱えて手を合わせました。
で、アントニオ猪木のお墓ですが、
投稿した人の記事を読むと
この大西瀧治郎中将のお墓の左隣りあるという事が分かったのですが、
その場所は、
こうなっていました。
奥に見えるのが大西瀧治郎のお墓です。
更にスマートフォンで調べると
猪木家のお墓に銅像を建てて
リニューアルするとの記事が。
https://www.tokyo-sports.co.jp/articles/-/246131
どうりでウロウロしても見つからなかった訳だ(;^_^A
推測ですけど、このリニューアルの為に
猪木家のお骨などは境内の何処かに
一時移動させているのでしょう。
お墓の場所は言えないという時に
お坊さんが一瞬口ごもったのですが、
その理由はお墓の状態が写真の様になっていたので
言えなかったのもあるのでしょう。
現時点では写真の状態より
既に変わった感じになっていると思われます。
また青森には猪木生前に自前で
奥さんと一緒に入る墓を建てており、
そこにも猪木のお骨が奥さんと一緒に納められています。
青森と横浜で分骨される様です。
総持寺は石原裕次郎をはじめとする
有名人のお墓も多数あって
「石原裕次郎のお墓→」
という看板がアチコチにある筈なのですが、
全く無かった。
この日は駐車場に
盆踊り用の櫓が組まれており
お祭りがあるらしかったので、
そういう看板も一時撤去されたのでは、
と思う。
アントニオ猪木のお墓を探す為に
炎天下の中、
汗だくになって
お墓の中場所を見つけられただけで、
それだけで既にクタクタになって
他の有名人のお墓を巡る気力がなく、
断念。
帰路につきました。
猪木家のお墓がリニューアルされて
完成したら
改めて伺いたいと思います。
その時には
他の有名人のお墓も巡りたいと思います。
御朱印と一緒に
御両尊大遠忌法会という物もいただきました。
いや、汗ダクダクのクタクタになりましたが、
曹洞宗総本山に行けて満足でした。
そして函館旅行も影響していますが、
この歳になってようやく
歴史関係の書物や
武将・僧侶等の書物を読みたいと思う様になりました。
うちは本家・分家含めて子孫がいないので
(うちは分家)
私の代で家系が絶えてしまいますが、
親族で最後に残った人に
墓じまいを託します。
難病の持病がある自分が
最後の1人になるとは
思えないので。
新宿ではアントニオ猪木展が開催されていて、
行きたいのはやまやまですが、
涙を飲んで止めておきます。。。
明日で終わりだし。。。
https://www.keionet.com/info/shinjuku/topics/002159.html
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