日記は一日に一回と思ってたけど、「ツレがうつになりまして」が思いの外グッと来たので、涙で画面が見づらいですけど、書いてますw
自分が、うつになったり、親しい人がうつになったりしたことのある方なら、絶対見たほうがいいです。
俺は、「うつ」になってから、もう随分経ち、うつになった当初、眠り病とでも言うのかな?眠くて眠くて仕方なく一日のほとんどを寝て過ごしてた時期があったのに、何となく「辛かった」のは覚えてるんですが、詳しくは正直思い出せないんです。
おかしな話です。あれだけ辛くて、自殺までしたくて仕方なかった時期が、人生の中で一番印象に残っていそうなのに、記憶が曖昧なんて;
そして、その辛かった時期を、この映画が思い出させてくれました。
思い出したくない、うつになる前のいじめられてた時期の記憶から、うつで苦しめられる時期まで、堺雅人の涙で鮮明に思い出されました。
嫌なことを思い出してるのに、何故か泣いたあとは気分がスッキリしてます。
今までの映画の中でというか、感動ものの作品の中で、一番共感でき、間違いなく一番泣いた映画です。
逆にうつになったことのない方や、うつとは無縁の方には、この映画は心に刺さらないかも?
こんな映画を9年間も見ずに生きてきたことを後悔してます…w
何か、自分以外で苦しんでる人の日常を(フィクションではありますが)見たの初めてだったから、自分と重ね合わせて、余計共感できたんだと思います。
いや~、にしても宮崎あおい可愛いなぁ。あんな(役だけどw)性格良くて可愛い妻いませんよ~
と、「ツレがうつになりまして」は無事好きな邦画の10本指の一つに入りましたね♪
ブログで全文を読むさっきまでちょっとだけ「ツレがうつになりまして」っていう邦画を見てました。
数ヶ月前にAmazonプライムに登録したので、晴れてプライムビデオが見れるようになり、そのコンテンツ数に圧倒されてました。
んで、今日みたいに時間がある時に、たま~に動画見てるんですが、今日は「ツレがうつになりまして」ってのに、タイトルだけでしか判断できませんが、なんとなく共感して再生してみました。
見てみると、まぁ予想通りというかタイトル通りというか、主人公(堺雅人)がうつ病になるという話でしたが、ちょっと影響を受けたことがありまして、それが「日記」なんです。
まだ主人公が日記を書き始めたところまでしか見てないんで、もしかしたら映画の途中で、主人公、日記やめてるかもしれませんがw
でも、俺が挫折した「認知行動療法」を再開できるかもしれないので、頑張って書いていきます。
とりあえず、毎日の負担にならない程度に、今日はここで終わります。
毎日続けることに意義があると思うので。
この映画の影響で「うつ」への理解が少し高まったのではないかと思います。
うつにさせた人間が、鬱になった人の気持ちを理解してくれる日が来たらいいな。
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幼少のころ、恐らく私は、人見知りをしなかっただろう。母親の後さえ追わず、奔放に、あっちへふらふら、こっちへふらふらしていたように思う。六つ上の心配性な兄が、私の世話を嫌がったというのも頷ける。目に映るもの映らないもの、すべてに興味があって、知りたがる。大人からすると少々、厄介な子供だっただろう。
厄介な子供だったのはその頃だけではない。幼稚園から大学に至るまで、教師にとって厄介だったことは間違いない。幼少期の記憶はほとんどないのだが、順を追って考えることにする。
大阪府大阪市にて第二子として生まれ、三歳から三年間幼稚園へ通う。兄の通った幼稚園とは違い、小学校が同じになる子の多い幼稚園へ通っていた。その分遠いため、園長先生が自家用車で迎えに来てくれるという、特別待遇だった。兄は幼稚園が違う子たちばかりの小学校入学式で可哀想だったため、私の幼稚園を決めたらしい。どう考えても、私と兄が逆なら問題なかった。多分私は、知らない子たちとの入学式でも、兄の様にしょんぼりしたりしなかっただろう。
つまり、私の実家から小学校もとても遠い。小学生の足だと三十分を超える時間、歩かなければならない。もちろん、徒歩以外の手段は許されていない。今考えても、遠いことによる一番の問題は、変質者に狙われやすいことだろう。二日に一度は、何かしらの加害をされていたと記憶している。一番多かったのが、歩いている私の後をついてくる自転車。たまに追い越しても、戻ってくる。何人もいたが、すべて男性。何がしたいのか。怖がらせて、ほくそ笑んでいるのか。一度だけ、虫の居所が悪く「何か用ですか」と怒号の様に叫んだことがある。相手は逃げて行った。今ならわかる。これは危険な行動だった。相手がナイフでも持っていたらどうなっていたことか。ただ、驚いた顔で逃げていく若い男を見て、しょーもない馬鹿だな、と思えたことは良かったかもしれない。
ある日、本を読みながら歩いていた。そのことは私が悪い。家まで一分、すぐ近くだった。すれ違いざまに、胸をもまれた。顔をあげると、にやにやしながら私を見ていた。正直そんなことはどうでもよくて、本の続きにすぐ戻った。だが、今考えると気持ちが悪いことこの上ない。よくある、露出狂もたびたび見たし、そんなことは日常茶飯事だった。
小学生時代の私は、はきはきして好奇心旺盛で、優等生といった具合だった。優等生と言われることは嫌だったが。
小学五年生の時、はじめて「死にたい」と思った。担任と合わず、仲の良い友人全員と違うクラス。今思えば馬鹿馬鹿しいが、確実にストレスになっていた。この前後、母方の祖母と一緒に暮らしていた。今でいうと認知症で、母親が介護していた。到底、素人が家ですべき介護ではなかったが。
原因なんてものは、必ずしも大事だとは言えない。そう思っている。きっかけは些細な事。ただ、少しずつ、ストレスとなり、溜まっていったんだろう。
中学校に入って部活をした。吹奏楽部だ。一年の頃は楽しくて楽しくて、小五ごろの鬱憤は消え去っていた。ただ、この部活もまた、大きなストレス源となる。本当に、人生の長さを考えたら、些細な出来事だと思う。皆に慕われた実力のある先生が、定年をとっくに越えていたので、新しい先生と変わる過渡期だった。おじいちゃんとおばちゃん、この二人がまた、仲が悪い。私の一年先輩はおじいちゃん先生を慕っていた。簡単に言うと、おばちゃん先生をいじめようとしていた。それに気づいた私は、先輩に楯突く形になってしまった。予想外に、友人を巻き込んで。念のためにいうが、私はどっち派でもない。特別おばちゃん先生が好きなわけではなく、やろうとしていた行動に反発したのだ。ただ、それはこちら側の言い分である。先輩方及び、そちらについた(?)一部の同期に、敵とみなされた。いじめられたとは、昔から思っていない。が、そのようなものだろう。私を苦しめたのは、攻撃対象が私だけではなかったこと。一人でかぶろうとすれば、もれなく叱られていたが、やはり私には、友人たちが苦しんでいる姿を見ることが一番の苦痛だった。申し訳なくて仕方がなかった。そしてその時、先生方からはそれぞれ、次期部長にならないかと言われていた。だが、黙っているように指示された。中二の秋ごろでもまだ、言えなかった。一緒に苦しんでくれた友人たちにさえ。
結果から言うと、最終的には全員が仲間として私たちは引退できた。ただし、かなりの人数が辞めていった後だったが。その間、様々の細かい出来事に対していた訳だが「やつれていた」と称される程度には、疲れていたようだった。部活引退後は遊びまくった。
忙しかった中二の頃、友人たちと帰路についている時、ふと気付いた。自分の肩や頭の上には曇天が広がり、それはいついかなる時にも晴れてはくれない。すぐに分かった。私は、病気だ。それはとても珍しいことらしいが、なぜか私は病気であることを確信した。
幼少より、休むことは駄目なことだと強くしつけられてきた。「嫌でもみんな頑張ってんねん。」根性論を信じている、両親はそんなタイプだった。
病気を確信したその時、瞬時に計画が頭を巡った。何とか、何とか、大学卒業まで頑張ろう。だましだまし、大学まで卒業して家を出よう。そしたら、通院できる。今考えたら、別に高校生でも通院は出来たと思うのだが、両親にばれてはいけない、その一心で思い込んでしまったようだ。
これからはずっと、我慢の毎日だった。どんどん出来ることが少なくなり、日に日に死にたくて仕方なくなってくる。しかも、高校・大学と電車通学だった。何度飛び降りようと思ったことか。しかし私は、今に至るまで自殺をしたことがない。私は病気以外にも、どこかおかしいのかもしれない。自傷行為も、身体を傷つけるのは痛いだろうし怖い。臆病なのか何なのか、自分の身体に傷をつけたことがない。自分の症状は大したことがないのかと、何度も疑問に思っている。
とにかく、我慢の繰り返しで、耐えて耐えて、辛ければ寝て、寝て寝て、大学四年に、なれなかった。留年の通知書を見て思ったことは、そりゃあそうだろうということ。この頃にはすっかり過眠症で、そもそも布団から起き上がることさえ辛かった。大学なんて、ほとんど行っていない。高校もさぼりまくっていた。高校をストレートで卒業でき、一応大学に入れたのは、奇跡に近い。
限界を感じ、人や薬を頼るしか方法がないと確信した。治療したい旨を伝えた母の反応は「父さんと母さんだってしんどいけど、毎日働いて頑張っている。理解は出来ない。自分のことは自分で勝手にしたらいい。」といったもの。想像と大差はなかったが、やはり辛かった。
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今「7つの習慣」を読んでいます。
豚自(自分のことをへりくだった勝手な造語。むしろトド)の人生を生き直すために、とても有意義で、ためになる本です。中田敦彦のYouTube大学「7つの習慣」紹介を是非ご覧ください。 私はこれまで、ただ自分の感情にバカ正直に生きてきただけでした。言い換えれば、ただわがままな裸の女王様に過ぎませんでした。正直は美徳ではありません。私の場合、それはただ横暴で無神経なだけでした。 これからの私が目指すのは、謙虚であること。思いやりと配慮をもって周囲に接し、相手の気持ちをおもんばかって言葉を選び、責任をもって行動すること、信頼に答えるよう心掛けること。人が生きる意味や喜びを探す旅に、毎日目標意識をもって一歩一歩踏み出し、歩んでいきたいと思います。 突然、今までにない発言に違和感を感じる方もいらっしゃるかと思いますが、まずはここから決意表明といたします えーと、あちこちにコメントを書いた影響だと思うのですが、我が家的にはかなりアクセス数が伸びております。おそらく、皆様、我が家に起きた国際ロマンス詐欺被害未遂事件について、お知りになりたいのですよね? 2個前記事「米軍」前記事「女兵」からの顛末はまだ書けていません。ただ今、専門ジャーナリスト新川てるえさんの資料を取り寄せているところですので、もう少々お待ちください。(簡単に言うと箱もの。170万円請求メールが来ました。その直後に警察に相談できたため完全に未遂で済みました) 私が一番参考になったのが、YouTubeのサイト集です。YouTubeにて、まずは「m-step tv こくさい」と検索してください。ステップファミリーチャンネルにたどり着きますが、慌ててあちこち開かない方が混乱しなくて済むと思います。落ち着いてかなり右(?)に進むと、白地にピンクの模様の入った「STOP!国際ロマンス詐欺 6本の動画国際ロマンス詐欺ジャーナリスト新川てるえ」というM-STEP TVのまとまった動画集が出てきます。この6本の順番で見るのが一番分かりやすいのです。どうか是非ご覧になってください。SNSをやっていらっしゃる方々には決して他人事ではない重要な情報が含まれています。詐欺師は非常に狡猾です。どうかその危険性や手口を一度ご覧になっておいてくださいよろしくお願いします。我が家の事情より、まずは新川てるえさんの動画集をご覧いただきたいので、先にYouTubeで正しい情報を見てください。アドレスを貼れなくてすみませんブログで全文を読む@junjunmj1208 @amrcyan りんちゃんママさん、おはよ~ もう曇っちゃった? こちはら昨日より晴れてる感じ 今日は、リハビリ行って、午後は母の通院だから、降らないでほしいんだけどな
posted at 08:25:17
おはようございます~☀️�️�♀️❗ 曇りのち雨予報ですが、今日も晴れてます 昨日より晴れてるかも 洗濯物追加しちゃったけど、午後は雷雨予報なんだよねぇ
posted at 08:15:01
ブログで全文を読むテレビ寺子屋ご存知の方もお母さん方の中には少なくないと思います ここ最近何によらず再放送が多いですが、観た事のある方はご存じのようにあまり大きくないホールにお客さんを入れ、様々な有識者の方に先生になって貰って教育に関わる話をして貰ってます。其の為3密になってしまう為先々週先週と昔のテレビ寺子屋を流していました(その前も再放送だったかも知れませんが、最近は余り見ていなかったので判りません)
テレビ寺子屋の中でもレギュラー講師をされていた吉岡たすく先生のお話です 先日もし時を巻き戻せたらでも取り上げさせて貰いましたが、とても心に響く話や為になる話も所々ユーモアのある事例も交えて話してくれるのです 先週の話は障害を持った女の子をそのこと仲良しの子が書いた作文の事やこの障害を持った女の子のお母さんの話。
障害を持った友達にその子は何でも勝てるけど、その障害を持った子の心には勝てないとても素晴らしい心を持っているんです その障害を持った子のお母さん素晴らしいです。この子は私達を選んで生まれて来てくれた。私達なら育てられると神様に選ばれたのです
もう一人はこれも或る女の子の作文で、徒競走(今なら○○m走)でびりになったけどお母さんがまた素晴らしい人で、あんたみたいびりになる子がおるから一位になれる子がおるんや、びりになる子も大切やでと励ましてくれたと言うんですね、私もびりにばかりなっていたから、私も1位などの子の役には立ったのかな何て思ったりして。いい話を聞かせて貰いました
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ブログで全文を読む今年はコロナの影響で最悪な春となりましたね。
森山直太朗さんがそんな思いで作曲したのか分かりませんが…
森山直太朗さんが作曲した曲「最悪な春」です。
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きのうは早起きして、病院の受け受け時間の前から並んで皮膚科に行ってきました。
前回、同じ時間に行った時にはすでに8番目だったのに、今回は1番だったうえに、受付の15分ぐらい前まであまり後ろに人も増えなくてビックリでした。
前回いた時と、特に何が変わった感じでもなかったのでしたが、先生に、「かなり軽症で済んでいる」とおっしゃっていただけたので、そこでまずほっとしました。もう少し安静にしていて、とのことだったので、ではもう少し会社を休ませてもらおうと思い、抗ウイルス剤の続きと塗り薬の処方を出していただいたのでその足で薬局へ向かい、会社へ電話。残念ながら上司は電話に出られなかったのですが、そのあと眼科にもいかねばならなかったので、とりあえず簡単な経過をメール入れて、さらに眼科へ行くことに。
その前に、前回も皮膚科の後に寄った神社さんへ、前回、どうか軽くて済みますようにとお参りしているので、軽く済んでありがとうございますを言わねばと思ってお参りに行きました。まだ朝のうちだったこともあってか風も気持ちよく、何かのお花の季節なのかお参り後に鳥居をくぐる時にいい香りがしたので、清々しい気持ちで眼科へ。
眼科の先生にも、大抵、顔に帯状疱疹が出たら七割は結膜炎になるんだけれども大丈夫、とおっしゃっていただき、再度、抗ウイルス剤の目薬を頂いて帰りました。
まだ痛みはあるし、湿疹も赤いんだけれど、あと少しと思ってのんびり過ごそうと思います。
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